( アメリカ合州国海軍の太平洋艦隊司令部で副司令官の任にある、ブレイク・コンヴァース海軍少将です。
わたしの知友の海軍大将、アキリーノ・インド太平洋軍司令官はこの日は作戦任務中だったのですが、コンヴァース海軍少将はそのアキリーノ海軍大将と兄弟のように似ておられます。精悍にして誠実な智将です )
わたしの知友の海軍大将、アキリーノ・インド太平洋軍司令官はこの日は作戦任務中だったのですが、コンヴァース海軍少将はそのアキリーノ海軍大将と兄弟のように似ておられます。精悍にして誠実な智将です )
▼上記のとおり、米軍がどのような発言をなさったのか、一切、カケラも、公開ブログの場で記すことはありません。
ただ、安倍元総理が暗殺されたことについて、いずれの議論においても冒頭、深い真摯な弔意が表明されました。
そもそも、上記の統合司令部は「太平洋軍司令部」 ( PACOM/ペイコム ) でした。それが現在の「インド太平洋軍司令部」( INDO-PACOM/インド・ペイコム ) となったのは、安倍さんの提唱した「自由で開かれたインド太平洋」がきっかけです。
それもあって、安倍元総理に対する見方は、日本国内よりもむしろ、アメリカと世界における評価の方がずっと高いです。
▼わたしの方からどのような問題提起をしたかについて、その項目の一端だけは日本の主権者にお伝えしておきます。
( 1 ) アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問したことを契機に、中国軍が、核を搭載できる弾道ミサイルを狙いすまして日本の海 ( EEZ ) に撃ち込むという史上初めての事態が起きた。
これに対応するために、日米は新たな、より実践的な安全保障体制を構築せねばならない。
( 2 ) アメリカはアジアの永い歴史をより知るべきだ。
朝鮮半島は、中国に服従を強いられる長い歴史を持っており、前政権のみならず、ユン大統領の新政権であっても、中国重視に回帰していくことはもはや避けられない。
韓国軍が海上自衛隊機にレーダーを照射した問題の根っこもそこにある。
わたしの問題提起の項目を一部、開示することも、ここまでにしておきます。
▼前述のように不肖わたしは、民間時代から、アメリカ軍の実働部隊の中枢である、ここ真珠湾の司令部の内部に入って議論することを容認され、長年、包み隠さない突っ込んだ討論を重ねてきました。
その目的はあくまでも、アジアと世界において独裁主義と対峙し、民主主義と平和を護るための、実務的な戦略、作戦上の日米連携を進化させることです。
▼このブログだけではなく、いずれ、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の次回の収録でもお話しします。
しかしブログも動画も、わたしの発信のうちの「無条件公開」の部分ですから、その範囲内で、ギリギリを模索しつつ言葉を選んで、お伝えすることになります。
▼日本に戻るために不可欠の手続きとして定められている、PCR検査も、日程の合間を縫って終わりました。
これまでに受けたPCR検査と同じく、陰性でした。
3年ほどのあいだ、この真珠湾を訪れることもできませんでした。
やはり直接に会って、眼を覗き込んで話すと、まったく意義が違います。
日本に戻ると、別の現実が待っています。誤解、曲解と直面することから、海外出張費の自弁による膨大な支払いまで。
利益はゼロ、それはもとより百パーセントの覚悟のうえですが、実りもあるかどうか分かりません。
これからも果てのない戦いが続くでしょう。
問題、ありませぬ。
( 1 ) アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問したことを契機に、中国軍が、核を搭載できる弾道ミサイルを狙いすまして日本の海 ( EEZ ) に撃ち込むという史上初めての事態が起きた。
これに対応するために、日米は新たな、より実践的な安全保障体制を構築せねばならない。
( 2 ) アメリカはアジアの永い歴史をより知るべきだ。
朝鮮半島は、中国に服従を強いられる長い歴史を持っており、前政権のみならず、ユン大統領の新政権であっても、中国重視に回帰していくことはもはや避けられない。
韓国軍が海上自衛隊機にレーダーを照射した問題の根っこもそこにある。
わたしの問題提起の項目を一部、開示することも、ここまでにしておきます。
▼前述のように不肖わたしは、民間時代から、アメリカ軍の実働部隊の中枢である、ここ真珠湾の司令部の内部に入って議論することを容認され、長年、包み隠さない突っ込んだ討論を重ねてきました。
その目的はあくまでも、アジアと世界において独裁主義と対峙し、民主主義と平和を護るための、実務的な戦略、作戦上の日米連携を進化させることです。
▼このブログだけではなく、いずれ、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の次回の収録でもお話しします。
しかしブログも動画も、わたしの発信のうちの「無条件公開」の部分ですから、その範囲内で、ギリギリを模索しつつ言葉を選んで、お伝えすることになります。
▼日本に戻るために不可欠の手続きとして定められている、PCR検査も、日程の合間を縫って終わりました。
これまでに受けたPCR検査と同じく、陰性でした。
3年ほどのあいだ、この真珠湾を訪れることもできませんでした。
やはり直接に会って、眼を覗き込んで話すと、まったく意義が違います。
日本に戻ると、別の現実が待っています。誤解、曲解と直面することから、海外出張費の自弁による膨大な支払いまで。
利益はゼロ、それはもとより百パーセントの覚悟のうえですが、実りもあるかどうか分かりません。
これからも果てのない戦いが続くでしょう。
問題、ありませぬ。