功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

ウイーンを飛び立って(2024/01/12)

2024-01-12 16:59:00 | On the Road
▼スイスに入るのも、チューリヒに入るのも、久しぶりです。
 国会議員になっている今は、国会の開会中は「原則、海外渡航禁止」というルールに厳しく縛られていますからね。
 今回も、1月下旬の通常国会開会までに、専門家のひとりとして26年のあいだ取り組み続けている安全保障上のアジェンダ ( 課題 ) をこなすために諸国を大急ぎで回らねばなりません。
 現在は、現地時間1月12日金曜の未明3時14分です。
 あとわずかな時間で、早朝からこのホテルを出て、スイスの重要インフラストラクチャの現場に向かいます。

次に世界の金融の中心地のひとつ、チューリヒに入っています  引き続き、安全保障をめぐる現地調査と議論です

次に世界の金融の中心地のひとつ、チューリヒに入っています  引き続き、安全保障をめぐる現地調査と議論です

青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road

青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road


▼早くも過ぎ去ったウィーンでは、国際原子力機関 ( IAEA ) の本部で、実りの豊かな、しかし一切が極秘の議論を英語で直にいたしました。
 主要テーマは、ロシア軍のチョルノービリ、ザポリッジャ両原発の、あり得ないはずだった軍事攻撃です。
 それ以上は一切、申せませぬ。

 そこには在ウィーン日本政府代表部の中田栄介公使 ( 旧科技庁出身 ) 、松山哲士二等書記官が同席され、日本政府にとっても得るものが非常に大きかっただろうと考えます。
 このウィーン日本政府代表部の海部篤大使はなんと、故・海部俊樹元総理の甥でいらっしゃいます。
 共同通信政治部の記者の時代に、海部総理と公邸の寝室でサミットをめぐって秘かに議論をするような信頼関係がありましたから、海部大使と大使公邸でお目に掛かったときに、思わずおたがいの話が弾みました。

 ウィーンを去る時、大使館の若い派遣員、ドイツ語の専門家である岡田まりほさんが空港で見送ってくれて、大学生の弟さんがぼくの発信に興味津々だという嬉しい話しもしてくれました。
 若い世代と言えば、議員会館の青山繁晴事務所の19歳の学生インターン、増野優斗くんがぼくに問うて、ぼくが20秒台から30秒台で答えるショート動画が、海外出張中もここに続々とアップされています。
 志ある日本の若者のためにも、ちらり、視てやってください。



 ちなみに、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」のチャンネル登録者は55万人を超えました。
 みなさんの関心と連帯に、深く感謝しています。
 視聴回数は、この動画の発信開始から3年半で、2億8千5百万回に迫っています。






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