60年前に戦争が終わった日

2005年08月15日 | 思つてみました
終戦記念日ですね。

太平洋戦争だけが戦争ではありませんが
日本が平和国家への大きな一歩を踏み出す
きっかけとなった日を心に刻むのは
良いことだと思います。

記念日だからって特に何かするワケではありませんが
いつもと変わらぬ暮らしなのですが、ちょっぴりは
考えてみたりもするのです。戦争は嫌だなぁって。
どうにかして戦争が無くならんモノかなって。

日本には軍隊は存在しません。平和国家だから。
2度と戦争をしないと誓ったのは強要されたからではなく
日本国民の心からの願いだったと信じています。
それを選択したのが国民ではなくても
それが植民政策の一環だったとしても。
平和を明記した憲法に誇りを感じます。

でも、自衛隊という防衛力は、どんどん軍隊の様相を呈し
国外に防衛という名の軍事力を輸出するまでに武力を
成長させてしまいました。
国民が自ら望んだ軍事力というよりも、財閥系のお金稼ぎの為に
国家予算をつぎ込みまくった感が強いのですが…

僕らに必要なのはそういう力ではないと思うのです。
自衛隊が世界に誇るのは軍事力ではなく災害復旧能力です。
軍事力を持って他国に「救援」に行っても
反対勢力からは侵略にしか見えません
出来る事なら軍事力を放棄して「国際災害救助隊」と名を変えて
日本の災害、世界の災害の救援活動に専念して欲しいくらいです。
戦争の災害を最小限に食い止めるのも、攻撃ではなく
専守防衛とする精神で挑んで欲しいのです。
そして世界中の人が純粋なキモチで「ありがとう」と
安心して言えるようになって欲しいのです。

でもね、やっぱり言うんですよ。
南部魂を持った某国の国家のオエライ人が言うんですよ。
拳銃を持たないと怖くて戸外にも出られないチキンハートが
他人を信じるという事の意味を理解できない人が
石油産業の言いなりに戦争をふっかけるオヤジの
粗悪なコピーが言うんですよ。にっこり笑って
「ほほぅ…ボクに守ってもらわなくても平気なんだ…」
って後ろ手に棍棒を握り締めて言うのです…

本当にアメリカの軍事力の後ろ盾がないと
日本はお隣のジョンイルさんに侵略されちゃうのかな。
核の傘って本当に必要なのかな?
僕らが最も否定しなくてはいけない力を
傘に使わないといけないのはとても嫌な気分です。

戦争は平和への道であると言い切る根性が
ボクにはありません。
もっと他に平和になる道は無いのでしょうか?
ただ他人の存在を許す事だけで平和にはならないのでしょうか?
ボクとキミとの意見は違うけど、それも一つの道だよねと
笑いあえる世の中は夢の中にしか存在しないのでしょうか?

戦争の残酷さをリアルに知りません。

でも、戦争の残酷さをリアルに思い知らなければ
平和への道を探せないとは思いたくありません。
平和に生きる僕たちだからこそ探せる道があると
信じたいです。

日本国民のDNAに備わっているの力を
平和への道に生かして生きたいのです。
Noが言えないのではないのです。
世の中はYesとNoだけではないと言う事を
知っているのです。
皆が和するためには中庸である道も必要なのです。

決して大声で叫ぶ事だけが、拳を振り上げる事だけが
戦争回避の道だとは思いません。

例えばブログで「戦争が嫌だなって思ってます」と
意思表示をする事。
それも一つの平和への道にはならないでしょうか?

例えば国際社会ではなくとも、日常生活の中で
「意見が違っても許す心を持つように心がける事」
それも一つの平和への道にはならないでしょうか?

ただただ平和な日常に幸せを感じ
そういう小さい心がけが平和への一歩だと信じて
日々を暮らしたいのです。
人を愛する事が平和への道だと信じていたいのです。
せんそうはんたい
コメント (2)
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