戦争を体験していません。
いろんなトコで報じられて、事実が錯綜しているようですが
高陽東の黙とうめぐりトラブル=大会主催者が関係者に謝罪-高校野球
最初に「原爆は広島だけのこと。みんなを巻き込むのは良くない」
との発言があったと聞いた時は、絶対に友達になれないタイプの人が
発言したんだろうなと思ってました。
あ、ウソ。むしろシネとか思いました。
結局その発言は無かったとの事ですが、報道した人はもちろんの事
それを読んだ人の中にも、そういう発言をする人の存在を
信じてしまう部分があったのかな、と思います。
そんな発言は「ヒトデナシ」という感覚があれば
「まさか」という気分で記事を疑ったのでしょうが
そういう人が存在しうる社会を肌で感じているからなのか
「そういう人もいるかも」と疑いもしませんでした。
発言に憤りはしましたが。
というか、原爆だけじゃなくて、戦争も当事者ではないボクには
どうしても「戦争」という事実が「どこかヨソの事」という感覚が
拭えません。
身近な人が病気や事故で亡くなるのとは、全く別の次元の
事だというコトは想像できますが、リアルに感じられません。
そのアンリアル感が、原爆という悲惨な経験を軽く流す発言をも
許容してしまう結果になったのかと思うと、やるせない気分です。
そのアンリアル感は、戦争が平気なわけでも、
戦争を許容するものでもなく、あまりに残酷な事実を
リアルに想像する事を拒否しているからなんだと信じたいです。
それをリアルにしたくない心の叫びだと信じたいです。
で、話は戻りますが、ヒトデナシ発言が無かったとしても
黙祷を行わない判断があった事は事実です。
高校野球という非常に過酷なスケジュールの中で
6日、9日、15日と3回も黙祷を行うのは
進行上好ましくないので、15日にしたい
という運営側の意図は判らないわけではありません。
球児の気分を殺ぐ事は極力回避したいと思う気持ちも理解します。
ただ、核兵器について考える事が出来る折角の機会を
高校球児達から、それを応援する人々から奪って良いのでしょうか?
低くは無い視聴率を持っているイベント主催者として
是非、日本中に考えて欲しいという意思を発するくらいで
丁度良いくらいだと思うのです。
ニュース見て「あぁ、原爆の日だ」と思うのです。
そこから「戦争は嫌だ」と思うのです。
どうにかして戦争が無くならんものかなと思うのです。
そのキッカケは多いに越した事は無いと思うのです。
朝から長崎の女子高生がエビジョンイル私設の某国営放送で
「核兵器が無くなれば戦争は無くなると思う」と言っていました。
そっか~、「武器が無ければ戦争は起こらない」という
思考形態が割と一般的になりつつあるのか、と不安を感じました。
生物は欲します。欲する事によってのみ進化します。
それが争いの根源です。だから争いは無くなりません。
でも、戦争はしなくてもいいはずです。
核爆弾を戦争で使用したという事実すら
大国による戦争早期終結のための正しい措置
という史実にすり返られている昨今
8月6日の広島、8月9日の長崎
この言葉の意味を伝え続ける事が出来るのでしょうか?
せめて自分と仲間達が「戦争」という判断を
正しいと思う時が来ませんように。
せんそうはんたい
いろんなトコで報じられて、事実が錯綜しているようですが
高陽東の黙とうめぐりトラブル=大会主催者が関係者に謝罪-高校野球
最初に「原爆は広島だけのこと。みんなを巻き込むのは良くない」
との発言があったと聞いた時は、絶対に友達になれないタイプの人が
発言したんだろうなと思ってました。
あ、ウソ。むしろシネとか思いました。
結局その発言は無かったとの事ですが、報道した人はもちろんの事
それを読んだ人の中にも、そういう発言をする人の存在を
信じてしまう部分があったのかな、と思います。
そんな発言は「ヒトデナシ」という感覚があれば
「まさか」という気分で記事を疑ったのでしょうが
そういう人が存在しうる社会を肌で感じているからなのか
「そういう人もいるかも」と疑いもしませんでした。
発言に憤りはしましたが。
というか、原爆だけじゃなくて、戦争も当事者ではないボクには
どうしても「戦争」という事実が「どこかヨソの事」という感覚が
拭えません。
身近な人が病気や事故で亡くなるのとは、全く別の次元の
事だというコトは想像できますが、リアルに感じられません。
そのアンリアル感が、原爆という悲惨な経験を軽く流す発言をも
許容してしまう結果になったのかと思うと、やるせない気分です。
そのアンリアル感は、戦争が平気なわけでも、
戦争を許容するものでもなく、あまりに残酷な事実を
リアルに想像する事を拒否しているからなんだと信じたいです。
それをリアルにしたくない心の叫びだと信じたいです。
で、話は戻りますが、ヒトデナシ発言が無かったとしても
黙祷を行わない判断があった事は事実です。
高校野球という非常に過酷なスケジュールの中で
6日、9日、15日と3回も黙祷を行うのは
進行上好ましくないので、15日にしたい
という運営側の意図は判らないわけではありません。
球児の気分を殺ぐ事は極力回避したいと思う気持ちも理解します。
ただ、核兵器について考える事が出来る折角の機会を
高校球児達から、それを応援する人々から奪って良いのでしょうか?
低くは無い視聴率を持っているイベント主催者として
是非、日本中に考えて欲しいという意思を発するくらいで
丁度良いくらいだと思うのです。
ニュース見て「あぁ、原爆の日だ」と思うのです。
そこから「戦争は嫌だ」と思うのです。
どうにかして戦争が無くならんものかなと思うのです。
そのキッカケは多いに越した事は無いと思うのです。
朝から長崎の女子高生がエビジョンイル私設の某国営放送で
「核兵器が無くなれば戦争は無くなると思う」と言っていました。
そっか~、「武器が無ければ戦争は起こらない」という
思考形態が割と一般的になりつつあるのか、と不安を感じました。
生物は欲します。欲する事によってのみ進化します。
それが争いの根源です。だから争いは無くなりません。
でも、戦争はしなくてもいいはずです。
核爆弾を戦争で使用したという事実すら
大国による戦争早期終結のための正しい措置
という史実にすり返られている昨今
8月6日の広島、8月9日の長崎
この言葉の意味を伝え続ける事が出来るのでしょうか?
せめて自分と仲間達が「戦争」という判断を
正しいと思う時が来ませんように。
せんそうはんたい
最近、メディアから遠ざかってるもので・・
6日、私がいる地区で盆踊りがあったんですけど。
その時にも、会長さんが挨拶で「黙祷しましょう」って。
会場にいた全員が、作業の手を止めて、
食べ物を口にするのも止めて、目を閉じましたよ。
> どうにかして戦争が無くならんものかなと思うのです。
> そのキッカケは多いに越した事は無いと思うのです。
ここ、同感です。
キッカケさえあれば街を行く若者達だって
戦争に対する黙祷の意味を知ると思うのですよ
そうしてみんなが戦争って嫌だなって
思ってくれると良いと思います。本当に。
私も知りませんでした。
私の世代は親が生々しく戦争のことを語ってくれたので身近に感じています。
若い世代にどう伝えるのかが今こそ問われている時代はないでしょう。
確かに戦争は無くならないかも知れませんが、リアルな悲しみから遠ざかってしまっている世代の心の有り様こそが問題になるのだと思いますね。
このようなエントリィを読ませて頂くと何となく嬉しいです。
爺さん達は、子供たちに伝えて満足したのか
忌まわしい記憶を伝えたくなかったのか
孫たちには一切戦争の話をしませんでした。
可愛い孫に残酷な話をしたくなかったんだと思います。
もうそろそろ、戦争に行った世代がいなくなり
戦時中に生まれた世代もジイ様になり
何も知らない僕らも親になり
日本の戦争を伝説としてしか感じられない
子供達が社会に出てきます。
戦争を無くす為に僕らは一体何をしたら良いのでしょうね?
それを皆で考える日が無くならない様にするくらいしか
思いつかないんですよね…