医者という職業を選んだ人についてモノイイタイ気分だったり

2005年04月18日 | 悩んでみました
死ぬ理由の何割が医者の無愛想さを原因とするのだろう?

医者が嫌い。病院が嫌い。病院に行く時は
視覚聴覚触覚嗅覚味覚の5感のみならず
ナニモノカがトラウマを刺激しないように
そろーり、そろーりと、とりあえずその場を
切り抜けたい一心で過ごすのです。
シンジャイタクナリマセンヨウニ
と念じつつ病院を後にする時間を
心待ちにするのです。

注射が怖くて逃げ回っているワケではないけど
注射が怖くて逃げ回っているコドモと
大差ない恐怖を感じてしまっているのです。

それでも今は心のヨリドコロがあるから
奥様を守らなくてはならないと思い込む事で
自分のを鼓舞して乗り切るのです。
昔よりは平気だけど、気を抜くわけには
いかないのです。

立派に、楽しく、カッコ良く生き続けねば
そう思いながら日々努力を続けても
やはり虚弱というか貧弱というか脆弱というか
雑誌広告のムキムキモテモテのBeforeAfterにおける
Beforeに属している私はフィジカルダメージを
蓄積しやすいのです。つか体が弱いんス。

イマジナリスペースというかアストラルバディというか
気合とか思い込みとかそういう部分で
がんばれがんばれと自分自身を叱咤激励することで
ギリギリ健康体のように振舞っているのです。

がんばらなくては生きている意味が無いのだからと
日々がんばって乗り越えてはいるのですが
やっぱし気合のみではイカンともしがたいのです。

フィジカルダメージの蓄積が
メンタルでの修正可能範囲の
閾値を越えてしまうと倒れてしまうのです。
ぐったりと。もっふりと。ぱったりと。

で、しょうがないので病院に行くと

「気のせいですね」

と言われたりするのです。

というか、そもそも医者が無関心に見えるのが
ポーカーフェイスなんだか、演技なんだか
興味が無いんだか、職業的訓練の賜物なのかが
一切不明であるため

「大した事ありませんね」

という言葉が非常に痛烈に胸に突き刺さります

「これくらいで病院に来るなヘタレ」

と言われた気になってしまうのです。

気合のみで健康を維持しているため
気合が入らないと心身共に
もうグダグダなのです

ただでさえ病院にいるという事実だけで
ボロボロになっているナイーブハートは
ブロークンなのです。
そしてさらにぐったりしてしまう自分を見て
メンタルとフィジカルは切っても切れないコトを
改めて思い知るのです

相手にその気が無くても、
コレくらいで病院に来ないでね
チックな雰囲気を感じてしまうのが
とてもストレスなので病院には極力行きたくない。
ただでさえ病院に行きたくないんだし。
だから手遅れになるまで病院に行かないのかも。

そんな理由で死ぬ人がどれくらいいるのだろう?
そんな理由にもかかわらず「もっと早く治療を受けていれば」
と言われるひとがどれくらいいるのだろう?
そんな理由で殺された人がどれくらいいるのだろう?

と被害妄想に脳みそを浸らせるのも久々だなと現実逃避してみたり
コメント (6)
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