国際交流のススメ

舞台芸術・海外公演に関する情報をニューヨークから発信します。

優れた舞台“芸術”って

2009年09月20日 | 海外公演
    


僕はあまり文学作品と呼ばれる本を読まない。

どうしても僕自身を楽しませてくれようとする工夫の多いエンターテイメント小説を選んでしまう。出版や文筆を生業としていない“単なる読者”の僕が何を好んで読もうといっこうに構わないのだけれど、文学とエンターテイメント小説にはやはりどこかに一線があると思う。やや乱暴に言えば、文学であれエンターテイメント小説であれ、文章を書くために必要な訓練や経験、修行と言った過程が必要ではあるけれど、文学は書くという行為自体が作者にとって意義があり、エンターテイメントには読者に読ませることに意義があるように思われる。なので、その優劣を発行部数で計ることはできないし、文学とエンターテイメントを個人的な好み以外の同じ土俵で比べることはできないんじゃないかとも思う。どちらにも批評というものが存在するが、基準は自ずと違ってくると思う。同じ書籍として本屋で売られれいる物であっても、どこか地平線が違っているように僕には思える。繰り返しになるが、どちらが優れているか、社会にとって有益であるか、必要であるか、という話ではなく、2つには生まれる根本のところに違いがあるんじゃないか、と思っているのである。

バレエ、演劇、オペラ、ミュージカル、コンテンポラリーダンス、落語、歌舞伎・・・ 舞台で行われているプレゼンテーションを我々は一般的に舞台“芸術”と呼んでいるが、そこにはエンターテイメントと芸能、そして芸術が混在していてる。しかし、実は舞台で行われるプレゼンテーションも上記したような違い、(時には垣根を超えたりするが、それは文学とエンターテイメント小説でも同じ)があるのではと考えている。一般の観客としては無関係でも構わないが、生業として関わる人間ならば、その違いに敏感であったほうが良いのではないかなと。

100万人の観客がいて、「100人に1人の興味を引けば1万人の動員がある」とすると、「1万人に1人の興味を引く作品は100人の動員しかない」ということになる。「100人に1人の興味を引こうとしたのに1万人に1人だった」という作品もあるだろうが、「1万人に1人の割合で理解してもらえれば良い」という作品もある。むしろ、「1万人に1人しか理解されないところに意義のある作品」もあるだろう。さらに言えば「万人に受け始めたら、そろそろ終わり」ということもあるだろう。万人に理解されるということが作品として良質である、とは全く思わない。万人に受けるために失うものもあるだろう。いささかスノッブな考えかもしれないが、そういう理解も必要だと思う。

さて、本日はポストシアターの最終日。最終日といっても3日間の事業ですから、初日、中日ときて、今日はすでに楽日。お金をかけて、一生懸命作った舞台なのでもっと長くやりたい気持ちもありますが、まあ、舞台作品とは終わりがあるから、時間と場所を共有しないといけないからこそ栄えるというという一面もあるしね。昨夜はワイヤレスマイクに途中2分ほど、ガ、ガガッという雑音が入るトラブルが発生。コネクションやケーブルを総点検していますが、原因は見つからず、もしかすると隣に明後日から総会を迎える国連があって警察がわんさかいるので、その電波なんかと関係があったのかも、と推測。無事公演が終了すると良いのですけどねえ・・・・。


   


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