のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

1970年代の大変動

2009年01月04日 18時52分40秒 | Weblog
つい、この間まで原油高でガソリン代がどうした、こうしたという話が新聞紙上を

賑わしていました。しかし、気がつけば、原油安になっています…

原油高に対抗してバイオ燃料を開発していたはず、

それがため、農作物が急騰したはずなのに!

こちらの影響は、未だに残したまま、いつの間にか原油が安い。

目先の利益を云々したいのではありません。

僕が言いたいのは、何かに操られているようだということ。

その不快感は、息苦しいほどです。

「私は、だ~れ? (パート3)」で、

「1970年代の大変動が2008年まで続くのだとするなら、

60年代後半から70年代初頭にかけて時代の節目があったと見てよい」

と、書きました。

この見方自体は、重松清氏の受け売りです。

ただし、そうかもしれんな、と思いながら文章を綴りました。

「分かりませ~ん」という頂いたコメントを読みながら、

どこで共感し、引用したんだろう? という自省に年末から年始にかけて

捉えられました。で、まぁ、何か一言、言おうと思いました。

まだよく分からないところもあります。

見切り発車です。分析が不十分なところありますが、ご容赦あれ。

文芸春秋の岩井克人氏の記事を読みながら

自問自答したところを、とりあえず書き出して見ます。

   ――  ―― 

高校受験のための社会科の問題なら、70年代の大変動と言えば、

石油危機でしょう。

しかし、2008年まで影響を及ぼしたとは考え難いです。

では、何をもって、今日まで続く大変動とするか。

思うところを先に言っちゃうと、ニクソンショックです。

60年代後半、アメリカはベトナムとの戦争が泥沼化することで、

巨額の戦費に苦しんでいました。

当時、金本位制の下、ドルは、世界の基軸通貨でした。

固定相場制をとると、赤字財政のとき、金が流出します。

世界に流通していたのは、ドル札紙幣でした。

そのドル札が雪崩を打って、アメリカに還流してくるわけです。

各国の通貨は、ドルと交換され、そのドルは、

金との交換が約束された唯一の通貨でした。

だから、アメリカ国内から支払われたドルは、

世界中の国を転々とする可能性があります。

それだけの信用力がドルにあるわけです。

しかし、各国にドル防衛の義務などありません。

アメリカの財政赤字が続くと、各国はこぞって、ドルを金に交換したがります。

その結果、アメリカから金がどんどん流出していき、アメリカは、

ドルの通貨としての機能を維持し難くなります。

そこで、ニクソンが決定したのは、ドルと金との兌換(交換)の停止でした。

1971年のことでした。これによって、通貨に関するIMF体制が崩れ、

為替レートは、変動相場制へと移行します。

ニクソンショックの後、ドルは、相場を持ち直しました。

これによって、金への兌換の負担を免れるとともに、

文字通り、自国の紙幣を基軸通貨にしておく利益も守ったわけです。


2008年まで、色々とあった金融関連の出来事のすべて、

ここに淵源があると思います。

たとえば、金融工学!

こんなものが何故、発達したのでしょうか。

信用創造の“規制緩和”がなされたため、ではないでしょうか。

1999年に事実上、銀行への規制が骨抜きにされたようです。

変動相場制になっていたから、天井知らずの信用創造を金融機関に許しても

金の流出という事態を回避できました。

つまり、政府として困ることがなくなったから、

大恐慌で得た教訓を反故(ほご)にし得たと言えそうです。


アメリカは、ドルを基軸通貨とすることで、

外国製品を自国製品と交換せずに手に入れることができます。

米ドル札の約7割は、国外で流通しているらしいです。

その額は、6千億ドルにもなると言います。負担は、お札になる紙代だけです。

まさに大儲けです。

経済学では、このような大儲けを「シニョレッジ(王権)」と呼ぶらしいですね。


先の大恐慌の際、銀行に対する規制が必要とされ、制定されたのが

グラス・スティーガル法でした。

この法律を骨抜きにした理由は、そもそも金融市場とは

リスクを商品として取引する市場であるということ、

リスクがいくら大きくとも、

証券化すれば、リスクは分散し、

小さくなる。また、そうすることで、

コントロールが可能であるということ、だったそうです。


グラス・スティーガル法は、ケインズの理論を基礎にしてしています。

これに対し、同法を骨抜きにしたグループは、アダム・スミスに始まって、

ミルトン・フリードマンに受け継がれる古典派経済学に依拠してます。

この二つの立場の異なる学説は、大雑把の言って、

どこがどう違うのでしょう。



古典派経済学は、市場の円滑な働きを阻害する「不純物」を取り除けば、

理想状態に近付く、と考えるらしいです。

市場の「見えざる手」を信じるからです。ケインズは、そのような古典派経済学の

提唱する市場の「見えざる手」に信頼を置きません。かえって、

古典派経済学が理想の指標として描く「効率性」と「安定性」は、

二律背反の関係にあると指摘します。

彼によれば、この二つを調和させるには「不純物」が必要不可欠なものです。

たとえば、それは、失業です。

古典派経済学の立場で言うと、失業者のいる社会は効率的でありませんので、

改革の必要があります。

ケインズの立場で言うと、失業者の一人もいない社会というのは、逆に危険な

状態にある社会だと診断されます。

お金にも“失業”があります。いわゆるタンス預金になったときです。お金は、

流通することが仕事です。ということは、タンスの中に隠された段階で、

仕事を辞めています。つまり、失業中というわけです・・・

ケインズは、そういう無駄の有効性のようなことを主張したわけです。

どこか東洋的な人なんですね。荘子を思い起こさせます。

まぁ、それはいいとして、具体的に、彼は、安定性の問題をどう掘り起こしていた

のでしょうか。それを次に項を改めて、述べたいと思います。

(続く)

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2 コメント

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うーん・・・ (イチゴ)
2009-01-04 20:52:53
1970年代のことゎイチゴよくわからないけど・・・

ブログを読んでいるとすごく勉強になります^-^
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☆イチゴさんへ (忠太)
2009-01-05 21:45:49
コメント、ありがとう~♪
1970年代って、イチゴさんが生まれる前のことになりますから、実感はないでしょうね。
でも、時間って連続してるから、さかのぼって考えれば、現在との関係が見えてきたりします。何かの役に立てば、幸いです。
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