朝日新聞に
「『一般に』って? 首相が安保審議で多用する背景は」
と題する記事がある。
何でも
安倍某は、
5月28日の衆院特別委員会で
この言葉を80回以上使ったという。
☆ 記事URL:http://www.asahi.com/articles/ASH7J0408H7HUTFK01R.html
内閣法制局の関係者によると、
「霞が関用語で『一般』を使うのは、『例外』を想定している時」だそうだ。
しかし、普通は、
『一般』的な概念は、
例外を予想していないのではないか。
というのも、
「一般」とは、
抽象概念だからだ。
現に、「一般に」の初出である
1980年の鈴木善幸の答弁書には、
例外には触れられていない。
自分に当てはめて
「一般」を語ってから、
そこから離れる
事例を「例外」と呼ぶかどうか――。
そもそも
「一般」と対概念なのは、
「特殊」ではないか。
安倍は、
同じこの日本に住んで
何故、「特殊」と言わず
「例外」と
言いたがるのか。
思うに、
「例外」をたくさん認めたいから
「一般」という
語句を使いたがるのではないか。
「例外」の対概念は、
「原則」だ。
ただ、この言葉を使うと、
「例外」を
認めるに当たって抵抗があるから
この用語法を
敬遠しているのだろう。
日常的な会話でも
「それは一般論だ」
という言い方に
特殊性を正当化する響きがある。
安倍某は、
そんな風に広範な
例外的扱いを許容するため、
好んで
「一般」を
使っているのだろう。
例外的扱いが
たくさんあることで
何が帰結するか。
基本として
述べられていることが無意味になるのです。
結局、
「総合的に判断する」
という
安倍某お得意の、あの表現を使うのと
結果的には同じになる。
すなわち、
内閣の判断にすべて
「任せろ」
ということです。
任せてくれさえすれば、
嘘を吐く手間が
省けるということなんでしょう。
あゝ!
「『一般に』って? 首相が安保審議で多用する背景は」
と題する記事がある。
何でも
安倍某は、
5月28日の衆院特別委員会で
この言葉を80回以上使ったという。
☆ 記事URL:http://www.asahi.com/articles/ASH7J0408H7HUTFK01R.html
内閣法制局の関係者によると、
「霞が関用語で『一般』を使うのは、『例外』を想定している時」だそうだ。
しかし、普通は、
『一般』的な概念は、
例外を予想していないのではないか。
というのも、
「一般」とは、
抽象概念だからだ。
現に、「一般に」の初出である
1980年の鈴木善幸の答弁書には、
例外には触れられていない。
自分に当てはめて
「一般」を語ってから、
そこから離れる
事例を「例外」と呼ぶかどうか――。
そもそも
「一般」と対概念なのは、
「特殊」ではないか。
安倍は、
同じこの日本に住んで
何故、「特殊」と言わず
「例外」と
言いたがるのか。
思うに、
「例外」をたくさん認めたいから
「一般」という
語句を使いたがるのではないか。
「例外」の対概念は、
「原則」だ。
ただ、この言葉を使うと、
「例外」を
認めるに当たって抵抗があるから
この用語法を
敬遠しているのだろう。
日常的な会話でも
「それは一般論だ」
という言い方に
特殊性を正当化する響きがある。
安倍某は、
そんな風に広範な
例外的扱いを許容するため、
好んで
「一般」を
使っているのだろう。
例外的扱いが
たくさんあることで
何が帰結するか。
基本として
述べられていることが無意味になるのです。
結局、
「総合的に判断する」
という
安倍某お得意の、あの表現を使うのと
結果的には同じになる。
すなわち、
内閣の判断にすべて
「任せろ」
ということです。
任せてくれさえすれば、
嘘を吐く手間が
省けるということなんでしょう。
あゝ!
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