2011年、夏頃、
フジテレビ批判で、
いわゆる
自称「右翼」のチンピラ諸君が
デモと称して、
奇声を上げてました。
なぜ、フジテレビが
怪しからんかと言うと、
韓国が制作した
ドラマを
沢山、放映していたから!!
です。
その薄っぺらい理由に
仰天しました。
正直、日本の未来が
不安になりました。
フジテレビとしては、
韓流も和流も関係ないでしょうね。
儲かればいいはずです。
それが理解できない
若者たちの知性の劣化が
心配でした。
さて、
その韓流ですが、
福島県民の
心を掴んだのでしょうか。
「週刊金曜日」(1月25日号)に
人材育成コンサルトの
辛淑玉(しん すご)さんが
「福島で韓流ドラマにはまる人が増えた理由」
と題して、
その現象を
分析する記事を掲載されておられます。
なぜ、福島で韓流が受けるか――。
“葛藤”が
ドラマの軸にあるからだろうと言われます。
長い長い喪の時期を過ごし、
「地雷原の上では、
普通を装わなければ生きていけない」
と、ある友人が語ったそうです。
そういう日常の中で
韓流ドラマは、
「何も考えなくて済む(時間を提供する)から」
だとのことです。
これ、意外に大切かも、です。
要するに、
神経を逆なでされるような
セリフがないということでしょ?
たとえば、
口が酸っぱくなるほど
言われた
「絆」という言葉には、
家畜をつないでおく綱の意味が
あります・・・
つながれた思わされる方には
どうしても、
怒りが芽生えます。
しかし、
現実認識を持ちつつ、
福島の人たちが
本当に
心の底から求めているのは、
「許し」と「再生」。
そして途中にある
「気付き」だと言います。
日々が
パニックを起こしそうな
心の傷に覆われています。
辛さんは、
日本社会の致命的欠点として、
そのような精神状態の
人間の心の傷を
癒す文化的背景がないと
指摘されます。
だから韓流ドラマなんだ、と。
朝鮮には、
その文化があるってことです。
辛さんに言わせると、
それが「恨」だとのことです。
この漢字を、
「うらむ」と訓読したのでは、
朝鮮文化を理解できないようです。
「はん」と読むらしいです。
何度でも蘇ってくる
恐怖、混乱、戸惑い・・・といった情動すべてを
ひっくるめて
「恨」なのだと。
そう言えば、
日本人には、
かような
PTSD(心的外傷と訳されます)と
診断されそうな心の傷を
持つ者に対して、
冷たいです。
と言うか、攻撃的でさえあります。
ただ、
この傾向にも
アニメの世界では、
変化があると思います。
たとえば、
「新世紀・エヴァンゲリオン」
というアニメを、
ご覧になったことあります?
子どもの頃、
大人から受けた
虐待をテーマにしていて、
日本では
出色です
(ただ、この評価は、僕がしたものです。
監督の庵野氏が
そう受け取れる発言をしたわけではないです)。
心の傷を持つ者に対し、
日本人は、
ともすれば
「甘えるな」
と言ってしまいがちです。
一層、
会話がないほうが
救われます。
ならば、それに徹底した方が
いいのかな、
とも思います。
加害者の
人を傷つける「嘘」に接するより、
被害者の側の、
すなわち、
自分の
「嘘」
に気付くため、
離れている方が
楽は楽です。
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