のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

第五福竜丸事件の被害者は、輸血後肝炎で死亡したのだったか

2014年08月30日 23時49分21秒 | 放射能の脅威
onodekita‏@onodekita さんのツイートです。


――東電、最初の放射線研修の際に、第五福竜丸事件の被害者の話があり、本来は被曝ではなかった(輸血後肝炎だった)のに、世論の影響で放射能障害にせざるを得なかったという講義を受けたことは忘れていない。これが、原子力村の実態だ〔21:10 - 2014年8月30日 〕――

被ばくによる障害はないと言いたい、

言いたいから言ってみる、

言ってみたら自分でもその気になる――

という人間の愚かさの

証明のようなものが原子力エネルギーの理解には

付きまとっているようです。

onodekitaさんのツイートを読んで、

そう感じました。

第五福竜丸事件とは、

「1954年3月1日未明、米国は施政権下にあったマーシャル諸島ビキニ環礁で、広島に投下された原爆の約1000倍の威力の水爆「ブラボー」を使った実験を実施。

公海上にいた静岡県焼津市の遠洋マグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員や島民らが「死の灰」と言われる放射性物質を強く帯びた砂を浴びた」

事件を指します(サイト「☆第五福龍(竜)丸☆」参照
*http://tamutamu2011.kuronowish.com/daigofukuruumaru.htm)。


典拠:上掲サイト/1954年3月16日付『読売新聞』記事

被爆から半年後、

1954(昭和29)年9月23日、

乗組員の1人、

無線長久保山愛吉さん(当時40歳)が

国立第一病院で

「身体の下に高圧線が通っている……」

「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と絶叫しつつ死にました。

久保山さんの死因は、

(被曝問題研究者の医師、聞間元氏によると)

放射線を大量に浴びたことによる肝不全をはじめとする多臓器不全でした。

当時、米国側は

「血清肝炎が死因」で、

放射線の被曝は、

決定的なものではないと発表したそうです。

上記サイトが分析するように、

事態の矮小化を図った政治的結論だったと言えるでしょう

発表された、

こういう米国の見方を、

今風に

表現を変えれば、

――被ばくの影響とは考えにくい。

それは一種の風評であり、

何やら障害があるようだが、‟輸血後の肝炎”の症状だと考えるのが妥当――

といったところでしょうか。

原子力村の人たちって、

未だに汲々と

そういう事実関係を根本的に無視する

説にこだわっているのですな。

この立場は、

米国の利益にためにでっち上げられた米国軍人の

見方です。

だのに、この説こそが

科学的に正当な立場という物語を紡ぎ、押しつける、

原子力村の住人の厚かましさに、

正直、驚き呆れてしまいます。

学者といえど、科学者ではないですな。


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