「宇宙の膨張」について
ウィキペディアに次のような説明があった
(「宇宙」の項目参照/リンク)。
―ー現在、宇宙は膨張をしている、と見なされている。だが、20世紀初頭、人々は宇宙は静的で定常であると見なしていた。
1915年にアルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を発表し、そこにはエネルギーと時空の曲率の間の関係を記述する重力場方程式(アインシュタイン方程式)があった。これを受けて、「宇宙は一様・等方である」とする宇宙原理を満たすようなアインシュタイン方程式の解が、アインシュタイン自身やウィレム・ド・ジッター、アレクサンドル・フリードマン、ジョルジュ・ルメートルらによって導かれたが、これらの解はいずれも、時間とともに宇宙が膨張または収縮することを示していた。
当初、アインシュタインは宇宙は定常であると考えていたため、自分が見つけた解に定数(宇宙定数)を加えることで宇宙が定常になるように式に手直しを加えた。だが後にこの考え方を撤回した。
1929年にエドウィン・ハッブルが遠方の銀河の後退速度を観測し、距離が遠い銀河ほど大きな速度で地球から遠ざかっていることを発見した(ハッブルの法則)。つまり、ハッブルによって実際に宇宙の膨張が観測され、それにより《膨張する宇宙》という概念が定着したのである。ーー
さて、膨張する
宇宙の始まりは、針に先ほどの点空間の爆発によるという
「ビッグバン」が受容されたのは、
案外に最近なようだ。
ウィキペディアによると、
――ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも、「宇宙に始まりがあった」などという考えはまるっきり馬鹿げていていると思っていた[2]。科学者たちは膨張宇宙論は科学では理解しがたく、宗教上の立場だと見なしていたーー(「ビッグバン」の項目参照/リンク)
とあった。
すなわち、ビッグバン理論は、
観測と理論の両面が揃ってようやく、
徐々に認められるようになってきた歴史があるとのことだった。
具体的には、
――1927年にベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが一般相対論のフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に従う方程式を独自に導き出し、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基づいて、「宇宙は原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱したー―
とのことだが、
――「ビッグバン (Big Bang)」という名をつけることになったのは、皮肉にも、「宇宙に始まりがあった」という考えを非常に嫌悪していたフレッド・ホイルであり、あるラジオ番組において、ジョルジュ・ルメートルのモデルを 「this 'big bang' idea(この大ボラ)」 と愚弄するように呼んだのが始まりである――
というぐらいであり、
科学的見方のひとつと認められるまでには
かなりの紆余曲折を経た。
ウィキペディアには、
――20世紀前半でも、天文学者も含めて人々は宇宙は不変で定常的だと考えていた。ハッブルの観測によって得られたデータが登場しても科学者たちも真剣にそれを扱おうともせず、ごくわずかな人数のアウトサイダー的な天文学者・科学者がビッグバン仮説を発展させたものの、無視されたり軽視されたりしてなかなか受け入れられなかった。 ビッグバン理論から導かれる帰結の1つとして、今日の宇宙の状態は過去あるいは未来の宇宙とは異なる、というものがある。このモデルに基づいて、1948年にジョージ・ガモフは宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) が存在することを主張、その温度を5Kと推定した。CMB は1960年代になって発見され、この事実が、当時最も重要な対立仮説(対立理論)であった定常宇宙論ではなくビッグバン理論を支持する証拠と受け止められ、支持する人が増え多数派になり、「標準理論」を構成するようになった。この説が生まれてから数十年の時を経て、ようやくそうなったのである――(上掲)
とある。
日本では、
ローレンス・クラウス著「宇宙が始まる前には何があったのか?」
という科学入門書が文芸春秋から刊行されている。
ビッグバンが
科学的仮説として
日本で認知されている証拠と見ていいだろう。
「宇宙膨張」説と「ビッグバン」説は、
双子の子どものようだ。
どんどん膨張して行ってる
宇宙の
時間軸を逆にたどっていけば、
凝縮する。
そして凝縮の果てに
宇宙は、
「針の先の一点」になる。
しかし、
「膨張」ほどには
「凝縮」が
受け入れられず、
ましてビッグバンなどは、
文字通り
大きな(ビッグ)法螺(バン)だった期間が
長い期間が続いた
というのは興味深い。
ここで僕が思い出したのは、
コロンブスの卵。
誰かが
言い出した後、
「何だそんなこと!」
と唾棄したくなるほどことなのだが、
誰も口に出せなかった…
ことの悔しさ。
何とかしたい焦り。
しかし、何かすればするほど
ド壷にはまっていく
人間のどうしようもなさに思いを
馳せる。
この間あったSTAP現象につき、
笹井氏の会見で
感じたのは、
その種の悔しさ、焦りだった。
「膨張」があるなら
「凝縮」はありそうだ。
しかし、そんなものを認めれば、
科学はまた
「始めに言葉ありき」という
宗教に飲み込まれた形になるのではないか…
様々な困惑した
気持ちの中、言い出せなかった。
勇気をもって
言い出した人間に
激しく
「根拠」の提出を迫る。
何か小保方さんに纏わる会見での質疑応答を
彷彿とさせないか?
2014年4月17日に掲載された
日刊ゲンダイの記事に
小保方さんも14日に公表した説明文で
「2013年3月までは、私は、神戸理研の若山研究室に所属」
「STAP幹細胞は、STAP細胞を長期培養した後に得られるもの。長期培養を行ったのも保存を行ったのも若山先生」
と、若山教授の名前を挙げていたとある
(同紙記事タイトル「小保方さんを号泣させた理研・笹井氏の『若山教授』連発会見」参照/リンク)。
長期培養されたSTAP幹細胞は、
若山教授の手元を離れ、
今は、
理研が保管する
というのが僕の推測なのである。
もし、この推測通りなら、
コロンブスみたく
卵を割って見せ、床に立てる業績は、
彼、笹井氏のものとなる。
ウィキペディアに次のような説明があった
(「宇宙」の項目参照/リンク)。
―ー現在、宇宙は膨張をしている、と見なされている。だが、20世紀初頭、人々は宇宙は静的で定常であると見なしていた。
1915年にアルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を発表し、そこにはエネルギーと時空の曲率の間の関係を記述する重力場方程式(アインシュタイン方程式)があった。これを受けて、「宇宙は一様・等方である」とする宇宙原理を満たすようなアインシュタイン方程式の解が、アインシュタイン自身やウィレム・ド・ジッター、アレクサンドル・フリードマン、ジョルジュ・ルメートルらによって導かれたが、これらの解はいずれも、時間とともに宇宙が膨張または収縮することを示していた。
当初、アインシュタインは宇宙は定常であると考えていたため、自分が見つけた解に定数(宇宙定数)を加えることで宇宙が定常になるように式に手直しを加えた。だが後にこの考え方を撤回した。
1929年にエドウィン・ハッブルが遠方の銀河の後退速度を観測し、距離が遠い銀河ほど大きな速度で地球から遠ざかっていることを発見した(ハッブルの法則)。つまり、ハッブルによって実際に宇宙の膨張が観測され、それにより《膨張する宇宙》という概念が定着したのである。ーー
さて、膨張する
宇宙の始まりは、針に先ほどの点空間の爆発によるという
「ビッグバン」が受容されたのは、
案外に最近なようだ。
ウィキペディアによると、
――ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも、「宇宙に始まりがあった」などという考えはまるっきり馬鹿げていていると思っていた[2]。科学者たちは膨張宇宙論は科学では理解しがたく、宗教上の立場だと見なしていたーー(「ビッグバン」の項目参照/リンク)
とあった。
すなわち、ビッグバン理論は、
観測と理論の両面が揃ってようやく、
徐々に認められるようになってきた歴史があるとのことだった。
具体的には、
――1927年にベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが一般相対論のフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に従う方程式を独自に導き出し、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基づいて、「宇宙は原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱したー―
とのことだが、
――「ビッグバン (Big Bang)」という名をつけることになったのは、皮肉にも、「宇宙に始まりがあった」という考えを非常に嫌悪していたフレッド・ホイルであり、あるラジオ番組において、ジョルジュ・ルメートルのモデルを 「this 'big bang' idea(この大ボラ)」 と愚弄するように呼んだのが始まりである――
というぐらいであり、
科学的見方のひとつと認められるまでには
かなりの紆余曲折を経た。
ウィキペディアには、
――20世紀前半でも、天文学者も含めて人々は宇宙は不変で定常的だと考えていた。ハッブルの観測によって得られたデータが登場しても科学者たちも真剣にそれを扱おうともせず、ごくわずかな人数のアウトサイダー的な天文学者・科学者がビッグバン仮説を発展させたものの、無視されたり軽視されたりしてなかなか受け入れられなかった。 ビッグバン理論から導かれる帰結の1つとして、今日の宇宙の状態は過去あるいは未来の宇宙とは異なる、というものがある。このモデルに基づいて、1948年にジョージ・ガモフは宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) が存在することを主張、その温度を5Kと推定した。CMB は1960年代になって発見され、この事実が、当時最も重要な対立仮説(対立理論)であった定常宇宙論ではなくビッグバン理論を支持する証拠と受け止められ、支持する人が増え多数派になり、「標準理論」を構成するようになった。この説が生まれてから数十年の時を経て、ようやくそうなったのである――(上掲)
とある。
日本では、
ローレンス・クラウス著「宇宙が始まる前には何があったのか?」
という科学入門書が文芸春秋から刊行されている。
ビッグバンが
科学的仮説として
日本で認知されている証拠と見ていいだろう。
「宇宙膨張」説と「ビッグバン」説は、
双子の子どものようだ。
どんどん膨張して行ってる
宇宙の
時間軸を逆にたどっていけば、
凝縮する。
そして凝縮の果てに
宇宙は、
「針の先の一点」になる。
しかし、
「膨張」ほどには
「凝縮」が
受け入れられず、
ましてビッグバンなどは、
文字通り
大きな(ビッグ)法螺(バン)だった期間が
長い期間が続いた
というのは興味深い。
ここで僕が思い出したのは、
コロンブスの卵。
誰かが
言い出した後、
「何だそんなこと!」
と唾棄したくなるほどことなのだが、
誰も口に出せなかった…
ことの悔しさ。
何とかしたい焦り。
しかし、何かすればするほど
ド壷にはまっていく
人間のどうしようもなさに思いを
馳せる。
この間あったSTAP現象につき、
笹井氏の会見で
感じたのは、
その種の悔しさ、焦りだった。
「膨張」があるなら
「凝縮」はありそうだ。
しかし、そんなものを認めれば、
科学はまた
「始めに言葉ありき」という
宗教に飲み込まれた形になるのではないか…
様々な困惑した
気持ちの中、言い出せなかった。
勇気をもって
言い出した人間に
激しく
「根拠」の提出を迫る。
何か小保方さんに纏わる会見での質疑応答を
彷彿とさせないか?
2014年4月17日に掲載された
日刊ゲンダイの記事に
小保方さんも14日に公表した説明文で
「2013年3月までは、私は、神戸理研の若山研究室に所属」
「STAP幹細胞は、STAP細胞を長期培養した後に得られるもの。長期培養を行ったのも保存を行ったのも若山先生」
と、若山教授の名前を挙げていたとある
(同紙記事タイトル「小保方さんを号泣させた理研・笹井氏の『若山教授』連発会見」参照/リンク)。
長期培養されたSTAP幹細胞は、
若山教授の手元を離れ、
今は、
理研が保管する
というのが僕の推測なのである。
もし、この推測通りなら、
コロンブスみたく
卵を割って見せ、床に立てる業績は、
彼、笹井氏のものとなる。
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