株式会社 希望(のぞみ)のブログです。

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「 八尾市の歴史!近代以降編 」

2012-08-17 21:22:41 | 日記

 

【本日のNews】
◆8.17 【東大阪(八尾)情報】→ →9/2(日)八尾河内音頭まつり リサイクルフェア AM 10:00~PM 4:00 久宝寺緑地公園
◆8.17 【NEWS】→ →国内携帯メーカー、世界シェアわずか1・9%
◆8.17 【物件ニュース】→ →八尾市新築一戸建て 完成イメージパースアップします!! 《恩智南町2丁目》
◆WEB 【当社HP】→ →みつかるいいホーム



明治以降は大阪だけでなく八尾も綿糸生産で繁栄したが、次第に外国産の安い綿花の輸入を求める声が紡績業界に強まり、ついに輸入綿花の関税が廃止され、八尾の綿花栽培は大正末期までに急速に衰えていった。その後は綿を生産していた農家や工場がブラシ生産に活路を見出し、いわゆる地場産業へと移り変わっていった。ちなみに歯ブラシの生産高の7割以上を占めているのが八尾市なのである!
1889年には大阪鉄道(現JR大和路線)、1924年には大阪電気軌道(現近鉄大阪線)が開通。交通・物流の便が良くなったため、大阪近郊の手頃な住宅地、また工場地帯として開発されていった。戦後は道路網の整備も行なわれ、奈良街道に沿って国道25号が整備され、また、大阪万博開催に間に合わせるように大阪中央環状線や大阪外環状線が供用開始された。 かつては竜華地区に竜華操車場が設置され、物流の中継点となっていたが、その後の情勢の変化により廃止された。跡地は長らく放置されていたが、1997年以降にようやく再開発(大阪竜華都市拠点土地区画整理事業)が開始され、市立病院の移転をはじめ、多くの施設が建設されている。

JR沿線は今ひとつ開発が遅れていましたが、再開発の恩恵で今では近鉄八尾駅に迫る勢いで街が活性化されています!駅前には分譲マンションが何棟も建設され、中でもメガシティタワーマンションは西日本最大級の高さと規模を誇るマンションに!高速を走らせていると八尾市で唯一遠方からでも見える建物に!

まだまだ今は駅前だけの開発で、少し離れると工場街が広がる地域ですが、住居施設も段々と増えつつあり、交通の便が非常にいいこともあり、日を追うごとに成熟度が増して行くような気が致します!

北の近鉄八尾!南のJR久宝寺とこの街の将来に大いに期待して行きたいですね!

住まう人々ならびに商売人の気概一つで住みやすい街になること間違いなし!そのためにも非力ですが情報発信を継続して行こうと!気持ちを新たに(^_^) 但しマイペースで、、(^ー^)ノ

また、お逢いしましょう!


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