自凝島神社(南あわじ市)を掲載しました。
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)
【鎮座地】〒656-0423 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地 旧淡路国 三原郡
【御祭神】伊弉諾命 伊弉冉命
(合祀) 菊理媛命
【例祭】
【旧社格等】無格社
【御由緒】
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)略記
御祭神 伊弉諾命(イザナギのミコト)
伊弉冉命(イザナミのミコト)
合 祀 菊理媛命(キクリヒメのミコト.別名ククリヒメのミコト)
当神社は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島と親しまれ、崇敬されてきた。
古事記・日本書紀によれば、神代の昔,国土創世の時に二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲(おおやしま)を拓かれたとなっている。
また、古書に誉田大王(応神天皇) 淳仁(帝)天皇の参幸されたことが伝えられている。
御神徳 健康長寿・良縁堅固・夫婦和合・安産の塩砂
例祭日 春大祭 五月三日
夏祭 七月八日
摂 社 八百萬神社祭 九月一日
(神社由緒書より)
淡路島の南部に位置する南あわじ市のほぼ中央、榎列下幡多にあります。神戸淡路鳴門道「西淡三原IC」から東に3km榎列小学校のそばの小丘に鎮座しています。
境内
大鳥居をくぐると右に社務所、正面階段の参道上に社殿、この社叢の森全体が「おのころ島」とされています。
おのころ島とされている伝承地は紀伊水道の沼島(ぬしま) 、紀淡海峡の友ヶ島の中の沖ノ島 、淡路島本島そのもの 、播磨灘の西島等々多数あるようですが、ここもその一つです。ただ内陸部の平野の真ん中で不思議に思いますが、ここの地形が小島に見えることからおのころ島とされたようです。
社号標
階段の参道入口左にあります。「磤馭盧島神社」と日本書紀の表記であります。
服部嵐雪の句碑昭和31年(1956)嵐雪250年祭記念の建立です。
服部嵐雪は蕉門十哲の一人で承応三年(1654)当地榎列のお生まれです。
「梅一輪 いちりんほどの あたたかさ」とあります。
拝殿
階段を上るとわりと狭い境内、社殿もこじんまりとしています。
本殿本殿は樹木に覆われ全容は見られません。
御祭神伊弉諾・伊弉冉命はこの地で国生み、神生みをされたとされています。
社殿全景社殿はが生垣と板垣に囲まれています。
境内社、八百萬神社
本殿裏にあります、二神が生まれた御子神が祭られています。
鶺鴒石
二神が交合しようとしたがその方法を知らなかった、その時、つがいの鶺鴒(せきれい)がこの石にとまり頭と尻尾を振って、二神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされています。(日本書紀、国生み 一書(第五)
当社の周囲にはこのほかにも、天の浮橋遺跡、葦原国遺跡など国生みにまつわる場所があります。
御神木社殿右柵の中に厳重に保管されています、詳細は不明です。
参道階段の参道は樹木に覆われて薄暗く独特の雰囲気があります。
参道から大鳥居
昭和57年3月、日本発祥の地を顕彰して建立されました。高さ21.7m、柱間
口12.6m、鉄筋鉄骨造りです。
京都の平安神宮、安芸の宮島と合わせて日本3大鳥居といわれています。
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)
【鎮座地】〒656-0423 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地 旧淡路国 三原郡
【御祭神】伊弉諾命 伊弉冉命
(合祀) 菊理媛命
【例祭】
【旧社格等】無格社
【御由緒】
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)略記
御祭神 伊弉諾命(イザナギのミコト)
伊弉冉命(イザナミのミコト)
合 祀 菊理媛命(キクリヒメのミコト.別名ククリヒメのミコト)
当神社は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島と親しまれ、崇敬されてきた。
古事記・日本書紀によれば、神代の昔,国土創世の時に二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲(おおやしま)を拓かれたとなっている。
また、古書に誉田大王(応神天皇) 淳仁(帝)天皇の参幸されたことが伝えられている。
御神徳 健康長寿・良縁堅固・夫婦和合・安産の塩砂
例祭日 春大祭 五月三日
夏祭 七月八日
摂 社 八百萬神社祭 九月一日
(神社由緒書より)
淡路島の南部に位置する南あわじ市のほぼ中央、榎列下幡多にあります。神戸淡路鳴門道「西淡三原IC」から東に3km榎列小学校のそばの小丘に鎮座しています。
境内
大鳥居をくぐると右に社務所、正面階段の参道上に社殿、この社叢の森全体が「おのころ島」とされています。
おのころ島とされている伝承地は紀伊水道の沼島(ぬしま) 、紀淡海峡の友ヶ島の中の沖ノ島 、淡路島本島そのもの 、播磨灘の西島等々多数あるようですが、ここもその一つです。ただ内陸部の平野の真ん中で不思議に思いますが、ここの地形が小島に見えることからおのころ島とされたようです。
社号標
階段の参道入口左にあります。「磤馭盧島神社」と日本書紀の表記であります。
服部嵐雪の句碑昭和31年(1956)嵐雪250年祭記念の建立です。
服部嵐雪は蕉門十哲の一人で承応三年(1654)当地榎列のお生まれです。
「梅一輪 いちりんほどの あたたかさ」とあります。
拝殿
階段を上るとわりと狭い境内、社殿もこじんまりとしています。
本殿本殿は樹木に覆われ全容は見られません。
御祭神伊弉諾・伊弉冉命はこの地で国生み、神生みをされたとされています。
社殿全景社殿はが生垣と板垣に囲まれています。
境内社、八百萬神社
本殿裏にあります、二神が生まれた御子神が祭られています。
鶺鴒石
二神が交合しようとしたがその方法を知らなかった、その時、つがいの鶺鴒(せきれい)がこの石にとまり頭と尻尾を振って、二神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされています。(日本書紀、国生み 一書(第五)
当社の周囲にはこのほかにも、天の浮橋遺跡、葦原国遺跡など国生みにまつわる場所があります。
御神木社殿右柵の中に厳重に保管されています、詳細は不明です。
参道階段の参道は樹木に覆われて薄暗く独特の雰囲気があります。
参道から大鳥居
昭和57年3月、日本発祥の地を顕彰して建立されました。高さ21.7m、柱間
口12.6m、鉄筋鉄骨造りです。
京都の平安神宮、安芸の宮島と合わせて日本3大鳥居といわれています。
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