太鼓谷稲成神社(島根県津和野町)を掲載しました。
太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)
【鎮座地】〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田409 旧石見国 鹿足郡
【御祭神】宇迦之御魂神 伊弉冉尊
【例祭】 5月15日 春季大祭 11月15日 秋季大祭 11月16日 秋季大祭
【旧社格等】郷社(現別表神社)
【御由緒】
太鼓谷稲成神社御由緒
御祭神 宇迦之御魂神
伊弉冉尊 二神共女神
本社は霊峰青野山を東に仰ぎ頭を巡らせば三本松城址の石塁を指呼の間に見る太鼓谷の霊地を神域と定め、安永二年五月十五日、石州津和野八代の城主亀井矩貞公が三本松城の安穏鎮護と住民の福祉多幸を祈願するため城山の聖地此の峰に勧請せられ爾来幾星霜の間歴代城主の崇敬厚く、衣食住の大神、開運厄除、産業発展、福徳円満の守護神として崇敬せられ就中、願望成就、商売繁盛、盗難、紛失物の手戻り等の霊験は衆人の普く知る処であって愈々顕著である。
廃藩後一般衆庶の崇敬に移されてより参拝者は四季を問わず絡繹として跡を絶たず社頭は常に殷賑を極めて居る。
近時参拝者の激増に鑑み社殿の改築のため一億七千万円の巨費を投じ七星霜の月日を費やし茲に丹塗にして宏壮華麗な社殿の建立を見たのである(昭和四十四年竣功)。
参道に林立する一、二〇〇本の朱鳥居は八割が願望成就の奉納であって、二割が将来への立願のしるしである。
現在、賽客は年間百五十万人を凌駕し西中国の一大霊場であり、日本五大稲荷の一社であることも宏大無辺なる御神徳の賜ものである。
因に大正十三年北白川大妃殿下御参拝になり後に御神宝の御寄進あり、境内に宝物殿を設置し次いで養老文庫、茶席半峰亭、儀式殿、結婚式場、披露宴会場(二百人収容)参集殿等設けられる。
現在、別表神社(旧官国幣社並)に列せられている。
猶、全国稲荷神社に於いて伏見稲荷系統と豊川稲荷系統とに大別され稲荷、稲生、稲成に分つ、稲荷は三万有余、稲生は二十二社、稲成は当社一社のみである。
(参道入口由緒掲示板より)
当社は、島根県の南西部に位置し、山陰の小京都と称される津和野町にあります。国道9号線沿いの津和野盆地を見下ろす津和野町への入口に大鳥居です。
社域遠景大鳥居をくぐってすぐに絶景が見渡せます。
正面に津和野市街地から、右手に社殿のある境内への千本鳥居から中央に社殿、左は駐車場から車でのの参道です。
社殿遠景
右は千本鳥居からの入口にある神門、その奥に元宮、左は参集殿から社務所、さらに拝殿、本殿とつづき、一段下は駐車場になっています。
千本鳥居津和野川のそばから山麓の境内までつづく朱の鮮やかな千本鳥居です。
表参道入口の鳥居千本鳥居の入口の鳥居です。
道路沿いには大鳥居がありこれは二の鳥居にあたるものかと思われます。
千本鳥居
約千本つづく鳥居は祈願2割、御礼8割の比率で奉納されているとこと、石段は263段あります。入口に駐車場はありませんので車の場合は車の参道に向かいます。
参道からの景観
眼下に津和野川から津和野市街地から大鳥居まで見渡せます。民家の屋根はこの地方特有の石州瓦が目立ちます。
駐車場側の鳥居社殿のある境内への階段下に手水舎に続いてあります。
社殿全景現在の社殿は平成5年に参集殿、社務所などとともに建立されています。
拝殿
当社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社とともに「日本五大稲荷」と称しています。
旧社格は郷社ですが現在は別表神社に列せられ、ふさわしい風格を備えた拝殿です。
拝殿の扁額扁額には「太敦谷稲成神社」とあります。
「いなり」を「稲成」と表記するのは全国でも当社のみです。願望成就の「成」をとって「稲成」と書かれています。
拝殿から境内右から神門、元宮、参集殿、社務所、授与所です。
本殿
安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建されました。
御祭神は神宮外宮の御祭神豊受大神と同一神とされている宇迦之御魂神(稲荷神)、と伊弉冉尊の二柱、いずれも女神です。
元宮
現在の元宮(旧社殿)は、大正12年に建立されたもので、御分霊が奉斎してあります。
命婦社 元宮の奥にあります。
命婦とは稲荷の神使いといわれるお狐様の別名です。大小の多くのお狐様が奉納されていて、ある種壮観です。
神門
千本鳥居の表参道を上りきると朱の鮮やかな壮麗な神門です。昭和47年12月竣工とありますが新しく感じます。中央の扉は新年や祭事以外には通常閉じていて、左右の門から出入りします。
太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)
【鎮座地】〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田409 旧石見国 鹿足郡
【御祭神】宇迦之御魂神 伊弉冉尊
【例祭】 5月15日 春季大祭 11月15日 秋季大祭 11月16日 秋季大祭
【旧社格等】郷社(現別表神社)
【御由緒】
太鼓谷稲成神社御由緒
御祭神 宇迦之御魂神
伊弉冉尊 二神共女神
本社は霊峰青野山を東に仰ぎ頭を巡らせば三本松城址の石塁を指呼の間に見る太鼓谷の霊地を神域と定め、安永二年五月十五日、石州津和野八代の城主亀井矩貞公が三本松城の安穏鎮護と住民の福祉多幸を祈願するため城山の聖地此の峰に勧請せられ爾来幾星霜の間歴代城主の崇敬厚く、衣食住の大神、開運厄除、産業発展、福徳円満の守護神として崇敬せられ就中、願望成就、商売繁盛、盗難、紛失物の手戻り等の霊験は衆人の普く知る処であって愈々顕著である。
廃藩後一般衆庶の崇敬に移されてより参拝者は四季を問わず絡繹として跡を絶たず社頭は常に殷賑を極めて居る。
近時参拝者の激増に鑑み社殿の改築のため一億七千万円の巨費を投じ七星霜の月日を費やし茲に丹塗にして宏壮華麗な社殿の建立を見たのである(昭和四十四年竣功)。
参道に林立する一、二〇〇本の朱鳥居は八割が願望成就の奉納であって、二割が将来への立願のしるしである。
現在、賽客は年間百五十万人を凌駕し西中国の一大霊場であり、日本五大稲荷の一社であることも宏大無辺なる御神徳の賜ものである。
因に大正十三年北白川大妃殿下御参拝になり後に御神宝の御寄進あり、境内に宝物殿を設置し次いで養老文庫、茶席半峰亭、儀式殿、結婚式場、披露宴会場(二百人収容)参集殿等設けられる。
現在、別表神社(旧官国幣社並)に列せられている。
猶、全国稲荷神社に於いて伏見稲荷系統と豊川稲荷系統とに大別され稲荷、稲生、稲成に分つ、稲荷は三万有余、稲生は二十二社、稲成は当社一社のみである。
(参道入口由緒掲示板より)
当社は、島根県の南西部に位置し、山陰の小京都と称される津和野町にあります。国道9号線沿いの津和野盆地を見下ろす津和野町への入口に大鳥居です。
社域遠景大鳥居をくぐってすぐに絶景が見渡せます。
正面に津和野市街地から、右手に社殿のある境内への千本鳥居から中央に社殿、左は駐車場から車でのの参道です。
社殿遠景
右は千本鳥居からの入口にある神門、その奥に元宮、左は参集殿から社務所、さらに拝殿、本殿とつづき、一段下は駐車場になっています。
千本鳥居津和野川のそばから山麓の境内までつづく朱の鮮やかな千本鳥居です。
表参道入口の鳥居千本鳥居の入口の鳥居です。
道路沿いには大鳥居がありこれは二の鳥居にあたるものかと思われます。
千本鳥居
約千本つづく鳥居は祈願2割、御礼8割の比率で奉納されているとこと、石段は263段あります。入口に駐車場はありませんので車の場合は車の参道に向かいます。
参道からの景観
眼下に津和野川から津和野市街地から大鳥居まで見渡せます。民家の屋根はこの地方特有の石州瓦が目立ちます。
駐車場側の鳥居社殿のある境内への階段下に手水舎に続いてあります。
社殿全景現在の社殿は平成5年に参集殿、社務所などとともに建立されています。
拝殿
当社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社とともに「日本五大稲荷」と称しています。
旧社格は郷社ですが現在は別表神社に列せられ、ふさわしい風格を備えた拝殿です。
拝殿の扁額扁額には「太敦谷稲成神社」とあります。
「いなり」を「稲成」と表記するのは全国でも当社のみです。願望成就の「成」をとって「稲成」と書かれています。
拝殿から境内右から神門、元宮、参集殿、社務所、授与所です。
本殿
安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建されました。
御祭神は神宮外宮の御祭神豊受大神と同一神とされている宇迦之御魂神(稲荷神)、と伊弉冉尊の二柱、いずれも女神です。
元宮
現在の元宮(旧社殿)は、大正12年に建立されたもので、御分霊が奉斎してあります。
命婦社 元宮の奥にあります。
命婦とは稲荷の神使いといわれるお狐様の別名です。大小の多くのお狐様が奉納されていて、ある種壮観です。
神門
千本鳥居の表参道を上りきると朱の鮮やかな壮麗な神門です。昭和47年12月竣工とありますが新しく感じます。中央の扉は新年や祭事以外には通常閉じていて、左右の門から出入りします。
2/5 今日は、春のポカポカ陽気でとても気持ちいいです。ずーっと寒かったので、ベランンダの植木の手入れをしてあげられませんでした。見てみると葉っぱが白く汚れていたので、布で葉っぱを1枚1枚拭いてあげました。すると、葉っぱが喜んでいるように見えました。私も幸せな気分になりましたよ。
ベランダにいると、色んな鳥さんの声が聞こえてきました。残念ながら名前は分かりません。noyamaさんは、鳴き声で大体わかるのだろうな~と思いながら聞いていました。
今日は本当に良い天気、このまま春になればいいのにな…
昨年2月、新聞に2匹の魚を咥えて飛んでいるカワセミが掲載され、撮影場所が板櫃川となっていて、こんな近くのしかも市街地で見られるなら、やってみようと思ったのがきっかけです。以来、丁度2年経過しましたが泣き声で判別なんてカラスぐらいで全くできません。
野鳥のやってくる素晴らしい環境のようです。ベランダにみかんを半分に切って割り箸などにはさんで置いておくとメジロがやってくるかと思います、お試しください。
我が家の環境は、東側に大きな池があります。池の半分は釣り堀に、あとの半分は、魚や亀さん、カモなど野鳥が来ているようです。(誰か餌をあげている人がいるみたいです)
ある日の事です。散歩した時に、ふと、餌やり場らしき所に立つと、遠くからカモの親子やカップル。池の底からブクブクと大きな魚や亀さんが、口をパクパクさせて私を見ています。しばらくして、餌をもらえないと分かると、みんな私に背を向けて帰っていきました。なんだか…とても悪い事をしたなと思い、手ぶらの時は、その場所には二度と立たないようにしています。この池には小さな森があるので、ここに来ている鳥さんか、南側に手入れされた広い庭のある家があるので、そこに遊びに来ている鳥さんの声だと思います。(西側は道路なので騒がしいです)
noyamaさんも素敵な環境です。カワセミが訪れるような川の近くで暮せて・・・noyamaさんがとりこになったきっかけは、カワセミの写真だったのですね。人生はちょっとした事で変わってしまうものなのですね。noyamaさんの幸せの鳥ですね。