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九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

雄山神社前立社壇(富山県立山町)

2010-07-01 14:15:06 | 神社参拝ー中部
 雄山神社前立社壇(富山県立山町)を掲載しました。

 雄山神社前立社壇(おやまじんじゃまえたてしゃだん)
【鎮座地】〒930-1368 富山県中新川郡立山町岩峅寺1 旧越中国 新川郡
【御祭神】伊弉諾尊 天手力男尊
【例祭】 4月8日 春季例大祭 11月3日 秋季例大祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
      越中國一宮
      式内社 越中國新川郡 雄山神社
【御由緒】
雄山神社御由緒
 社伝によれば、文武天皇の大宝元年(七〇一年)景行天皇の後裔越中国司佐伯宿禰有若公の嫡男有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り、「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」という雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山である。
 古来、富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されて来た。山頂の峯本社は屹立した巌上にあり、冬期間は雪深く登山することが至難であったので、山麓岩峅(前立社壇)に社殿を建て、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したと伝えられている。尚、芦峅には祈願殿がある。欝蒼たる境内に開山有頼公の御墳墓及び有若を祀る大宮、有頼を祀る若宮等がある。
 当社は、皇室の御崇敬篤く、文武天皇及び後醍醐天皇の勅願所であり、延喜式内の名社でもあり清和天皇貞観五年正五位上に宇多天皇寛平元年に従四位下に昇叙せられたことが、三代実録及び日本紀略に見えている。また、越中一宮と称せられたことがあり、一般国民の信仰も大変篤かったと同時に、旧幕府時代には藩主武門武将の信仰も篤く、建久年間に源頼朝が本殿を再建し、明応元年に足利義直、天正十一年には佐々成政がそれぞれ本殿の改修をしている。明治六年には県社となり、昭和十五年に皇紀二千六百年記念事業として県民あげての奉賛により拝殿以下の建造物が整備され、国幣小社に列せられた。
 (平成祭データ)

 富山県の南東部、立山連峰、立山黒部アルペンルートなどを有する中新川郡立山町にあります。富山地方鉄道不二越上滝線、大川寺駅と岩峅寺駅のほぼ中間、常願寺川沿いの鬱蒼とした森に鎮座しています。

  社号標から参道
 鳥居をくぐり、階段を上がると左に由緒掲示板、右に「國幣小社雄山神社」の社号標、「皇紀二千六百年 陸軍大将 林銑十郎敬書」とあります。氏は第33代内閣総理大臣です。

 両側に巨木が聳え清々しい雰囲気の綺麗に整備された参道を進むと荘厳な造りの神門です。右手前に手水舎があります。

  表神門から境内
 社殿のある境内は神門から玉垣に囲まれています。神門を入ると広い境内、左直ぐに社務所、中央参道右にも数本の巨木が聳え、突き当りに東神門です。

  社殿全景
 参道左、社務所に続いて、境内社、拝殿と並んでいます。昭和15年、皇紀二千六百年記念事業として本殿を除く拝殿以下の建造物が整備され、国幣小社に列せられています。

  拝殿 
 雄山神社は、前立社壇(当社)、祈願殿(芦峅寺)、峰本社(立山山頂)の三社あり、三社合わせての総称です。当社は山裾に位置し、三社の中で一番平野部に近く一番手前に建立していることから前立社壇と呼ばれています。
 峰本社の里宮として創建され、古くは大宮立山寺と呼ばれ、江戸時代には岩倉寺、そして明治時代には岩峅寺雄山神社遥拝所と呼ばれてきました。岩峅の地名は、磐座に通じるとされています。

 石の狛犬拝殿内にあります。
2代目加賀藩主前田利長の正室永姫(玉泉院)の寄進されたものと伝えられています。江戸初期のもので立山町指定文化財です。 

  拝殿から本殿
 本殿は拝殿の奥、瑞垣の中にあります。周囲を樹木に覆われ全容は見られません。

 本殿 
 社伝に文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔越中国司佐伯宿禰有若公の嫡男有頼少年が雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山であると伝えられています。
 古来、立山は、冨士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されてきました。

 現在の本殿は建久2年(1191)源頼朝が再建し、明応元年(1492)足利義稙によって修復されたと伝えられています。大正12年に国費の補助を得て解体修理され、直近では平成12年に檜皮葺屋根が葺替えされています。檜皮葺き五間社流造り、一間向拝付きで北陸最大の御本殿とされています。明治39年4月14日国指定重要文化財。

 湯立の釜境内社の対面奥に(境内南側)にあります。 

   探湯の釜
 この釜は弘化二年(一八四五)三月加賀の御殿様・前田斉泰公から寄進された湯立の釜です。
昔はお湯をわかし、お詣りした人々が身にふりかけて、身に罪のない事を神さまに誓ったものです。
 江戸時代には四月八日の春祭にこの釜で甘釜をわかしました。
釜中の文字は阿彌陀如来・不動明王をあらわす梵字です。高岡の金森彦兵衛の作ったものであります。
 (現地案内板より)

  境内社拝殿の左に三社並んであります。
 左から、八幡宮(御祭神:応神天皇・神功皇后)、刀尾社(御祭神:伊佐布魂命)本殿修理の際、御神体遷座の假殿として創建、通称御假殿と云われています。稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)です。
 
  東参道入口の鳥居
 表参道と対照的に境内東側(岩峅寺駅側)にも鳥居から参道があります。こちらにも駐車場があります。

 東神門鳥居をくぐり参道を進むと表参道と同様の神門です。
左手前に手水舎があります。

  境内から表神門
 表神門の左には斎館、右の建物は社務所です。御朱印もここで頂きます。

 富山地方鉄道の鉄橋
境内南側には常願寺川が流れていて、参道脇に「とやまの名水 常願寺川の清流」の標柱があります。すぐ前には富山地方鉄道の鉄橋があります。
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