九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

須賀神社(福岡県直方市下境)

2006-06-11 15:32:06 | 神社参拝ー福岡
 須賀神社(福岡県直方市下境)フォトギャラリー(福岡)に掲載しました。

当社はかつて筑豊炭田の中心として栄えた直方市のJR直方駅から東に3KMほどの「下境」に
鎮座されています。
この下境は遠賀川中流右岸、彦山川合流地点付近にあり、地名の由来は筑前、豊前、両国の境界に
位置していたことによるとも伝えられています。

一の鳥居の桜の木の下をくぐり石段を上ると、右手に手水舎、正面の太鼓橋を渡り
神門を抜けて境内に出ます。


参道の鳥居にはかつての社号「祇園社」の神額

向かって左に御由緒の碑、右に「直方隕石の碑」世界最古 があります。


隕石の碑文より抜粋
『平安時代の初め、貞観3年(861)の4月7日夜、境郷一帯が突然真昼の
明るさ以上に光り輝いたと思うと、本社境内で激しい爆発音がしました。
 翌朝、深くえぐられた土中から黒く焦げた石をほりだしました。
それは天から飛来した石として、丁寧に桐箱に納めて保存されています。
 昭和56年、国立科学博物館の理化学研究部長、村山定男氏などの鑑定に
より、それまでの世界記録を630年もさかのぼる「目撃を伴う世界最古
の隕石」として確認されました。』
                
この隕石は直径約6センチと手で握れる程度の大きさで、重さは約480 グラム 、
時々イベント等で公開される(た)こともあるそうです。


【御祭神】
  ・素盞嗚尊(スサノオノミコト)
  (配祀)
  ・保食神(ウケモチノカミ)
  ・吾勝尊(アカツノミコト)

【御由緒】
  1.当社は今からおよそ一三五〇年前の舒明天皇の御代(七世紀前半)岩熊麻呂が神憑を蒙り
    この地に素戔嗚尊をお祀りし武徳神社と号したのがその始まりであります。
  2.貞観十五年(八七三年)には社号を祇園神社と改めましたが、境郷の総鎮守として人々の
    尊敬最も篤く神仏習合の社として人々の信仰の中心として永く尊崇を集めてきました。
  3.その間貞観三年(八六一年)には当神域に隕石の落下を見たり、
  4.建武三年(一三三六年)には建武の板碑の建立があるなど数々の歴史を閲してきたので
    あります。
  5.明治以降は社名も須賀神社と改まり神苑も拡張され桜の名所としても賑わいを見せてきました。



また境内には直方出身の力士「魁皇関」が少年時代に闘った土俵も健在です。

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4 コメント

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Fusakoさんを探して! (BEN TANAKA)
2006-09-06 04:40:41
同じ直方市なので、お願いします:

福岡県直方市知古1丁目4-3のMs Fusako Kakikiさん(13歳の頃からのペンパルだった)を探しています。

今、ドイツに住んでいるMarcela Hradilさん

(当時Czech Republik Brno(チョコスロバキア)にいた)が探しています。Fusako Kakikiの妹さんは、さちこさんといい、 01.03.1966に結婚、さちこさんのご主人は、Mr Manabu 安藤という名前です。

Ms Fusako Kakikiさんは、1950年生まれ 現在55位 お心当たりはありませんか?

返信する
申し訳ありません、お役に立てません。 (noyama)
2006-09-07 16:03:17
BEN TANAKA様

ご来訪いただきありがとうございます。



当方、北九州市在住です、あいにく直方市には友人、知人もいませんので、お力になれません。



返信する
はじめまして (GAS)
2013-02-22 18:58:45
巷では、ちょっと話題になってます(^_^;)
返信する
ご来訪ありがとうございます。 (noyama)
2013-02-24 14:32:31
GAS 様

ロシアへの隕石墜落以来、当社の隕石も世界最古の隕石として話題になってテレビでも放映されました。

 当社では秋の神幸祭で5年に一度公開されるようで次回は平成28年のようです。
 一度見てみたいと思っています。

 今後とも宜しくお願いいたします。
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