九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

住吉大社(大阪市住吉区)

2023-12-09 15:33:30 | 神社参拝ー近畿

 おことわり:掲載の写真は、参拝当日(08/18/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。

住吉大社を掲載しました。

 「式内社」 住吉大社(すみよしたいしゃ)
<別称>住吉さん(すみよしさん)
【鎮座地】 〒558-0045 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89 旧摂津国 住吉郡
【電話】  06-6672-0753
【旧社格等】 官幣大社 (現別表神社)
      二十二社
      摂津國一の宮
      式内社 攝津國住吉郡 住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗     
【御祭神】  底筒男命 中筒男命 表筒男命 息長足姫命     
【例祭】 3月21日 招魂社春季例祭 7月30日 住吉祭 7月31日 住吉祭 7月31日 住吉祭 7月第3土曜日 住吉祭 8月1日 住吉祭 8月1日 住吉祭
【御由緒】
 住吉大社御由緒
御祭神
 第一本宮 底筒男命
 第二本宮 中筒男命
 第三本宮 表筒男命
 第四本宮 息長足姫命 (神功皇后)
御由緒
 底筒男命 中筒男命 表筒男命の三神を総称して住吉大神と申し上げます 住吉大神の「吾が和魂をば宜しく大津淳中倉長峡に居くべし 便ち因りて往來ふ船を看む」との御神託により、 神功皇后がこの地に御鎮祭になりましたのが皇后の摂政十一年辛卯の歳(西曆二一一年)と伝えられています
御神德
 住吉大神は伊弉諾尊の禊祓に際して海の中でお生れになった神様でありますから 禊祓 海上守護の御神徳を中心とし 古来産業 文化 外交 貿易の祖神と仰がれ 常に諸願成就の名 社として広く普く崇敬されています
御社殿
 第一本宮より第三本宮までは縦に 第四本宮は第三本宮の横に配列奉祀され 各本宮ともに本殿は住吉造として神社建築 史上最も古い様式の一つで 妻入式の力強い直線形をなし 四本殿とも国宝に指定されています
 (社頭 由緒掲示盤より)

【参拝月日】 08/18/2008
 
参道入り口
 大阪市の南西部、住吉区住吉にあります。南海本線住吉大社駅、阪堺線住吉鳥居前駅のすぐ前が表参道入口です。右に大きな社号標 大正8年8月の日付があります。

参道の鳥居(西大鳥居)
 左右の松林に囲まれた石畳の参道を進むと、石造りの大鳥居です。手前左右に年代を感じさせる大きな一対の狛犬が迎えてくれます。

参道から反橋
 鳥居をくぐると左右に絵馬殿です。右、南絵馬殿、左は北絵馬殿です。

絵馬
 絵馬殿には、軍艦など多数の絵馬が奉納されています。これは、昭和10年4月14日、神楽殿で奉納された、歌舞伎の番組・役者が描かれています。

反橋
 神池に架かる、太鼓橋とも呼ばれる、美しい曲線が見事な反橋です。左右の狛犬は元文元年(1736)銘があり、大阪で最も古いとされています。

反橋の側面から
 橋は、長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5m。石の橋脚は慶長年間(1596~1615)に豊臣秀頼の成長を祈願して、母の淀君が奉納したものです。

反橋から住吉鳥居
 反橋の上から境内を見下ろした景観です。橋を渡ると左に手水舎です。神功皇后ゆかりのうさぎの像が置かれています。

住吉鳥居から境内
 柱が円柱でなく、四角柱の角鳥居で、住吉鳥居と呼ばれます。「住吉神社」とある扁額は幕末の皇族、有栖川宮幟仁親王の書で陶製。社殿のある境内へは鳥居の奥に神門(幸寿門)が続きます。奥に見える社殿は第三本宮です。
左に昭和天皇・皇后両陛下御参拝記念標があります。(昭和45年7月15日御参拝と御即位50年の奉祝)昭和50年念4月29日天長節)

社殿全景
 いずれも西向きに、奥から第一本宮、第二本宮、第三本宮と縦に続き、第四本宮は第三本宮の右に並んでいます。鍵型に並ぶ4棟の本殿は大海原を行く船団を模したものと云われています。平成23年(2011)の御鎮座1800年大祭(第49回式年遷宮)に向けて本殿その他修理、境内整備が行われていました。

第三本宮と第四本宮
 左、表筒男命を祀る、第三本宮、右は、息長足姫命 (神功皇后)を祀る第四本宮です。
当社の創祀は、 神功皇后新羅遠征の帰途、皇后の摂政11年辛卯の歳(211) に、箇男三神の神誨により、神功皇后が、三神の和魂を大津淳中倉長峡に鎮祭されたに始まると伝えられています。

第二本宮
 中筒男命を祀る、第二本宮・拝殿です。

第二本宮内部
 拝殿の奥に朱の角柱の住吉鳥居があり、本殿への黄金に輝く煌びやかな扉が見られます。第一本宮も同様です。

第二本宮
 四つの本宮は、いずれも文化7年(1810)の造営ですが、奈良時代以前の様式に則って建築されています。神社の本殿は、通常後ろに隠れて、拝殿だけが参拝者に見られるようになっていますが、当社では国宝の本殿を目の前で見られます。

第二本宮本殿
 本殿はいずれも、「住吉造」で伊勢神宮の「神明造」、出雲大社の「大社造」と並び、神社建築史上、最古の様式として、国宝建築物となっています。

第二本宮後ろ姿
 屋根は切り妻造に檜皮葺、四角の鰹木を並べ、両端の鬼瓦に密着させる形で千木が組まれ、一切の装飾を排して天にそそり立つように千木が見られます。

第一本宮 底筒男命を祀る、第一本宮です。
 四つの本宮は、いずれも同じ大きさの住吉造ですが他の三本宮の拝殿は、正面三間ですが第一本宮だけは、正面五間と一回り大きくなっています。

第一本宮 内部第二本宮と同様です。
 第二本宮と同様です。6月の御田植神事では、植女に早苗が手渡される場所でもあります。

第一本宮 本殿
 当社は、全国に2002余社ある住吉神社の総本宮です。神功皇后が合祀されたのは、雄略天皇の御世とされています。

神楽殿 第二本宮の左(北側)にあります。神楽女が住吉大神に社伝の神楽舞を奉納する場所。一般では、お宮参りなどの祈祷を申し込むと入れます。

御文庫 第一本宮の左(北側)にあります。
 二階建て・土蔵造りの御文庫で、享保8年(1723)に大阪、京都、江戸の書林が奉納、大阪最古の図書館として有名です。

伊勢神宮遙拝所
 第一本宮北側の門の正面にあります。伊勢神宮の遙拝所です。

境内社境内北側の東端に西向きに並んでいます。
(右手前から)新宮社「伊邪那美命」「事解主命」「速玉男命」・八所社「素盞嗚尊」・今主社「国助霊命」・斯主社「国盛霊命」・薄墨社「国基霊命」です。

招魂社(諸霊神)境内東奥、5社並んだ境内社の薄墨社の左(北側)にあります。
 境内に唯一残る仏教建築で、元は元和五年(1619年)に建立された旧神宮寺新羅寺の護摩堂でした。

五社招魂社の左側(北側)に隣接してあります。
 当社の初代神官である田裳見宿禰の七人の子(大領・板屋・狛・津・高木・大宅・神奴祖神の七神)を祖神として祀っています。

后土社 五社の左側(北側)から奥(東側)にあります。
 御祭神は「土御祖神」。案内に「御神域全体を守護し給う土地の神なり」とあります。 


楠珺(なんくん)社 第一本宮の裏(境内東端)にあります。
 樹齢約千年の楠をご神木として、お稲荷さん・宇迦魂命を祀り、「初辰さん」と称えられて毎月初の辰の日には、大阪商人はじめ商売繁盛を願う人々で賑わいます。

貴船社 楠珺社の右(南側)に北向きに鎮座。
 御祭神は「高龗神」案内に、京都府貴船に本社あり、祈雨の神なり、とあります。社殿は本瓦葺の妻入切妻造で朱塗りの施されたもの。

立聞社楠珺社の南側、貴船社の右側(西側)に北向きに鎮座。
 御祭神は「天児屋根命」案内に、禁断の神酒断ち煙草だち等神徳を顕し給ふ、とあります。「長岡社」とも呼ばれ、かつては「春日社」とも呼ばれていたようです。

五所御前第一本宮と若宮八幡宮との間にあります。
 敷き詰められた玉石の中から「五・大・力」と書かれた小石を探し、三つ揃うと、体力、智、福、財、寿が与えられると云われています。神功皇后が住吉三神を祀る土地を求めたとき、この地の杉の木に鷺が3羽止まったのを見て、この地に奉祀した伝わっています。

高倉第一本宮のすぐ裏側に二棟の「高庫」が並んでいます。
 慶長12年(1607年)に建立された板校倉造の蔵で国指定重要文化財。多くの神宝が収められていましたが、今は住吉文華館に移され、高庫は祭具収蔵庫となっているようです。

摂社 若宮八幡宮  第一本宮本殿の南側に西向きに鎮座。
 社前に角柱の住吉鳥居が立っています。案内に、「御祭神、應神天皇・武内宿祢 神功皇后の御子應神天皇の輔弼の臣武内宿祢を祀る」とあります。
 毎年1月12日に行われる湯立神事が有名。笛や太鼓の音に合わせて巫女が天岩戸の神楽を舞い、神前に供えられた四つの釜の熱湯を笹で撒き上げる姿は圧巻です。

南門境内右(南)にあります。
 中央は石舞台に通じる中門です。左右は、石舞台で舞楽が催される際、楽人が入り演奏する、右、東楽所、左は西楽所です。

石舞台南門を入ったところに設置されています。
 四天王寺の石舞台、厳島神社の板舞台と並んで日本三大舞台の一つとされており、神事の際にはここで舞楽が奉納されます。
南門と同じく慶長12年(1607年)のもので、豊臣秀頼の寄進と伝えられています。国指定重要文化財です

住吉鳥居から反橋
 外交、航海を護る神として、遣隋使、遣唐使派遣の際には必ず当社に奉幣(天皇の命を受けて神社などに幣帛を奉ること)がなされ、船はこの先にある、住吉の浜から大陸へと船出していきました。

反橋
 反橋は神様がお渡りになる橋とされ、庶民が渡れるようになったのは、明治以降のことだそうです。

反橋上から参道
 川端康成が、小説「反橋」で「上るよりもおりるほうがこわいものです」と書いた橋です。下りるときは足元に注意が肝心です。

参道から西大鳥居
 参道はじめ、境内各所には、海運関係者等により奉納された、大小さまざまの650基を超える石灯篭があります。中には高さ10mのものもあるそうです。



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