![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/9b/6945a84f59c1174a5652a57fc9fb22b9.jpg)
7/7(土)、今日は新暦の七夕です。
織姫と、彦星が年に一度、天の川を渡ってデートすることを許された特別な日とされています。
ということで、媛社神社<通称>七夕神社(福岡県小郡市)を掲載しました。
媛社神社(ひめこそじんじゃ)
<通称>七夕神社(たなばたじんじゃ)
【鎮座地】〒838-0127 福岡県小郡市大崎1
【御祭神】・媛社(ひめこそ)神、別名饒速日命(にぎはやひのみこと)
・織女神
【例祭】10月16日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
七夕神社
七夕神社は、正式には媛社(ひめこそ)神社といい、肥前風土記(730年頃)に記述があり、当時すでに大崎のこの地に神社がまつられていたことがわかります。祭神は、神社縁起に媛社神と織姫神と記されています。
また、今から千年以上前の延喜式という書物には各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は米と織物になっており、この地方は織物がたいへん盛んであったことがうかがえます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女(たなはたつめ)」という機織りの女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の物語が混然同化して、織物の神をまつる棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われます。
古老の話によれば、「この神社は『七夕さん』として親しまれ、8月6日の早朝から翌7日の朝にかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は参詣者が列をなした。」と語っています。
また、宝満川を挟んでこの織姫をまつる七夕神社と相対して老松神社があり、ここに、大正12年の圃場整備(ほじょうせいび)の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配した様になっており、そこには昔の人々の信仰とロマンが感じられます。
平成5年12月
七夕の里振興協会
(社前案内板より)
境内入口の鳥居![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a5/181e84c56f30c4bb5267b1587d5b0c82.jpg)
福岡県南西部、筑後川を挟んで久留米市の北に位置する小郡市、西鉄大牟田線小郡駅の東南、大崎地区にあります。
注連縄から拝殿![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/65/6729b6229ff5902fe4d22c9c2de0940e.jpg)
注連縄の奥に二の鳥居があります。この鳥居には嘉永七年(1854)と刻まれています。
二の鳥居の扁額![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/2e/b718b9fe10a69c114223b601a6a5c8ca.jpg)
「磐船神社、棚機神社」と併記されています、磐船神社は媛社神(饒速日命)、棚機神社は織姫神を祀っています。
手水舎から拝殿![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/75/24055baea6cdba0ebcb4f4767205b51f.jpg)
手水舎には「寛政」(1789~)の文字が見られます。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/87/3f748103e6954c2245e9c810e2cb0cc8.jpg)
鈴には七夕飾りを思いおこす紅白の紐がつけられて風にゆれています。
また、木鼻をはじめ随所にみごとな彫刻が施され、往時が偲ばれます。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d7/c28592cb783c2bc8d95b455c7c45d99e.jpg)
社殿全景![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/e5/9c247b34c37922e6ac6226aee4bf138a.jpg)
織姫と、彦星が年に一度、天の川を渡ってデートすることを許された特別な日とされています。
ということで、媛社神社<通称>七夕神社(福岡県小郡市)を掲載しました。
媛社神社(ひめこそじんじゃ)
<通称>七夕神社(たなばたじんじゃ)
【鎮座地】〒838-0127 福岡県小郡市大崎1
【御祭神】・媛社(ひめこそ)神、別名饒速日命(にぎはやひのみこと)
・織女神
【例祭】10月16日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
七夕神社
七夕神社は、正式には媛社(ひめこそ)神社といい、肥前風土記(730年頃)に記述があり、当時すでに大崎のこの地に神社がまつられていたことがわかります。祭神は、神社縁起に媛社神と織姫神と記されています。
また、今から千年以上前の延喜式という書物には各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は米と織物になっており、この地方は織物がたいへん盛んであったことがうかがえます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女(たなはたつめ)」という機織りの女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の物語が混然同化して、織物の神をまつる棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われます。
古老の話によれば、「この神社は『七夕さん』として親しまれ、8月6日の早朝から翌7日の朝にかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は参詣者が列をなした。」と語っています。
また、宝満川を挟んでこの織姫をまつる七夕神社と相対して老松神社があり、ここに、大正12年の圃場整備(ほじょうせいび)の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配した様になっており、そこには昔の人々の信仰とロマンが感じられます。
平成5年12月
七夕の里振興協会
(社前案内板より)
境内入口の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a5/181e84c56f30c4bb5267b1587d5b0c82.jpg)
福岡県南西部、筑後川を挟んで久留米市の北に位置する小郡市、西鉄大牟田線小郡駅の東南、大崎地区にあります。
注連縄から拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/65/6729b6229ff5902fe4d22c9c2de0940e.jpg)
注連縄の奥に二の鳥居があります。この鳥居には嘉永七年(1854)と刻まれています。
二の鳥居の扁額
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/2e/b718b9fe10a69c114223b601a6a5c8ca.jpg)
「磐船神社、棚機神社」と併記されています、磐船神社は媛社神(饒速日命)、棚機神社は織姫神を祀っています。
手水舎から拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/75/24055baea6cdba0ebcb4f4767205b51f.jpg)
手水舎には「寛政」(1789~)の文字が見られます。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/6a/38d98094be093b58193a9ef116266b91.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/87/3f748103e6954c2245e9c810e2cb0cc8.jpg)
鈴には七夕飾りを思いおこす紅白の紐がつけられて風にゆれています。
また、木鼻をはじめ随所にみごとな彫刻が施され、往時が偲ばれます。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/1e/3bfa20a4a0ce1cc8b2abe14274acbde4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d7/c28592cb783c2bc8d95b455c7c45d99e.jpg)
社殿全景
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