杜屋(もりや)神社(山口県下関市豊浦町)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。
当社は下関から国道191号線を響灘を左手に北上、豊浦町に入っておよそ2~3Kmで、191号線と並行にはしるJR山陰線の線路の向こうの田んぼ?の中に鳥居と案内板が見えてきます。
参道入口の鳥居をくぐり厚母川に架かる「御神橋」をわたると右手に手水舎があり、立派な神門から境内につづきます。
境内の案内板にはつぎの記述があります。
千古の名社
長門国三の宮(延喜式内社)
杜屋神社由来
鎮座 山口県豊浦豊浦町大字黒井一五四一番地(現在は合併して下関市豊浦町)
主神 三穂津姫神
配祀 厚母八幡宮、萩尾八幡宮、両社を合祀
一、主神三穂津姫神については「日本書紀」神代下に次のように記載されています。
「時に高皇産霊尊、大物主神に勅したまはく、汝若し国神を以て妻とせば、吾猶ほ汝を疏き心有りと謂はむ。故れ今吾が女三穂津姫を以て汝に配せて妻と為む。宜しく八十萬神を領ゐて、永き皇孫の為に護り奉れと。乃ち還り降らしむ。」
一、延喜式(醍醐天皇延長五年(九二七年)に撰進せられた法典)に次の通り載録されています。
長門国 五座(大三座、小二座)
豊浦郡 五座(大三座、小二座)
住吉坐荒魂神社 三座(並名神大)
忌宮神社 村屋神社
註 この「村屋神社」が当社であることは神祇史料等で明らかである。
一、御祭神及び神社に関する諸伝説を伝う。
一、宝物
大内義隆、毛利元就(豊浦町文化財指定)等の古文書
能面(神楽面、土俗面)十余点
棟札 多数
一、御祭礼
春祭 四月十四、十五日
例祭(秋祭) 十月十四、十五日
お忌祭 一月十八日夜~二十五日朝
本殿(神明造)
本殿後方の磐境(いわさか)
社殿全景
当社は下関から国道191号線を響灘を左手に北上、豊浦町に入っておよそ2~3Kmで、191号線と並行にはしるJR山陰線の線路の向こうの田んぼ?の中に鳥居と案内板が見えてきます。
参道入口の鳥居をくぐり厚母川に架かる「御神橋」をわたると右手に手水舎があり、立派な神門から境内につづきます。
境内の案内板にはつぎの記述があります。
千古の名社
長門国三の宮(延喜式内社)
杜屋神社由来
鎮座 山口県豊浦豊浦町大字黒井一五四一番地(現在は合併して下関市豊浦町)
主神 三穂津姫神
配祀 厚母八幡宮、萩尾八幡宮、両社を合祀
一、主神三穂津姫神については「日本書紀」神代下に次のように記載されています。
「時に高皇産霊尊、大物主神に勅したまはく、汝若し国神を以て妻とせば、吾猶ほ汝を疏き心有りと謂はむ。故れ今吾が女三穂津姫を以て汝に配せて妻と為む。宜しく八十萬神を領ゐて、永き皇孫の為に護り奉れと。乃ち還り降らしむ。」
一、延喜式(醍醐天皇延長五年(九二七年)に撰進せられた法典)に次の通り載録されています。
長門国 五座(大三座、小二座)
豊浦郡 五座(大三座、小二座)
住吉坐荒魂神社 三座(並名神大)
忌宮神社 村屋神社
註 この「村屋神社」が当社であることは神祇史料等で明らかである。
一、御祭神及び神社に関する諸伝説を伝う。
一、宝物
大内義隆、毛利元就(豊浦町文化財指定)等の古文書
能面(神楽面、土俗面)十余点
棟札 多数
一、御祭礼
春祭 四月十四、十五日
例祭(秋祭) 十月十四、十五日
お忌祭 一月十八日夜~二十五日朝
本殿(神明造)
本殿後方の磐境(いわさか)
社殿全景
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