goo blog サービス終了のお知らせ 

林業女子会フリーペーパー「fg」京都で創刊!で広告出稿

2011年02月02日 | わくわく!
半年ほど前からツイッターで気になっていた
林業女子会@京都

この程フリーペーパー「fg」を発行されたということで
おめでとうございます!

思えば私の学生時代、芦生ゼミという自主ゼミ活動で
芦生通信」という有料の雑誌?を作っていました
2日も寝ずに数万字の原稿を書いたり 画像処理したり 編集したり
リソグラフで印刷して折り込みして発送して…。
記事自体は非常に面白いものの、誰もが手に取れるかというと かなり難があったでしょう

あれから約10年
時代は変わったような 変わってないような
林業や森林の状況は 見事に悪化するばかり
それでも楽しもう いいものを使おう なんとか模索しようという
動きが 少しずつ陽の目をみているような気もします

当時からして私は かなり動きが鈍かったのですが
それにしても、今の人たちの動きの鮮やかなこと!
人の輪を広げ 社会の動きにしていく力強さを感じます

京都のあちこちで手に取れるそう
水鳥センターでも少し置かせてもらいます

裏表紙にツリーカフェで広告出させて頂きました
4月まであまり身動き取れないもので
春になったら ぜひ森へ 木の中へ行きましょう

光の春がはじまる

2011年02月01日 | わくわく!
まだ 少し早いけど
もう2月 永遠に続きそうな冬が あと一巡りくらい

暑さの夏はぐったり倒れ
寒さの冬はぐったり疲れ
冷え切って 頭も体も動かない

雪の影 月の影として 水辺を照らす
うまくいきますように

無意識に 本能のまま 自我を消して
--
みえないあなたへ
話すことのできない私へ

誰にも話ができなくなって
おまけに 書くことも ままならない今
また 虚構の世界に入ってしまって
演じて世界を生きています

いつか また 会えますように

よるの歌

2011年01月03日 | わくわく!
フィドルほしい
合唱したい
飛びたい
星になりたい
いつか 地上に降りれるやろか
力尽きると 降りるのか?
いや飛び続けると 空の地面を歩けるの?

木々は雪の重みで いっぱい折れたけど
天を目指し続ける ただそれだけで
いっぱい 地上に かえしてくれる
愛するものはなに? どこにいるの?
夢みたものは  すべてここにあると
そう うたう あなたは だあれ?

新年明けましておめでとうございます

2011年01月02日 | わくわく!
本年もどうぞよろしくお願いいたします

さて今年の元日は大雪でした
ものすごくきれいでした
雪がたっぷり木々について 雪化粧を盛り上げて
鳥たちも雪の白に映えて とってもきれい
小鳥たちは、地面が雪で覆われると わずかな土を求めて水際に集まってきます

雪かきばっかりで出歩けなかったですが写真をいくつか
さらにノスリという鷹の食事風景まで見れました(動画)

家の川向かいのヤナギが、雪の重みか 根元から倒れてしまいました
夜に見ると 星空が がばっと広がっていて 悲しかったです

いつの時代も希望は ほのかに輝くばかり
冷え切った世界に この小さな灯を ともし継いで と
薪ストーブをつける度に おもいます

あったかい ように ぬくい ように

2010年12月30日 | わくわく!
冷え込む滋賀高島 みなさまいかがお過ごしでしょうか

2010年も たくさんの方々にお会いしてお世話になりました
水辺に集うみなさま、森にお迎えしたみなさま、
遠く とおく 気を向けてくださったみなさま、
どうもありがとうございます

隣に暮らすいきものたち、遠い宇宙の星々
気付かなかったこの世界の美しさや面白さ、不思議さに
一瞬ふれる一助となれば とおもいます

寒い夜も あったかく 包まれますように
いのちの炎を 感じられますように

料理をしなくなった理由

2010年12月28日 | わくわく!
今日冬瓜を煮て 久しぶりに料理をしたのですが
だいたい料理をしなくなって もう何年になるのか思い出せません

今日の冬瓜は 水鳥センターで勝手に生えてきて大きくなって
なんだろう?なんだろう?と大きくなって
持ったら チクチクしてびっくりしたもの

もったいないし どうにかしなきゃと思いつつ 長い間ほったらかし
年末だし休みだし 仕方ないから皮むいた というくらいでした
あぁ 料理するのは楽しいのだな、楽しかったな と 少し思い出しました


今年の夏は暑くて しかもうちの台所 というか家の中は
アリさんが活躍していて 特に梅雨の時期は大活躍で

台所や流しで ほんのちょっと皮むいたり味噌汁作ったりしたら
ものの30分くらいでアリさんが大忙しになってしまって
ふと気づいたら食卓の上まで大忙しで 作る気も食べる気もなくし

しかもお昼にご飯を詰めていったら 昼にはにおいが気になって食欲もわかず
梅干も役に立たず 塩をかけ ビスケットやら魚肉ソーセージを食べて
なんとか乗り切った夏でした


そう、ずっと前からスーパーマーケットのひんやりした感じが苦手で
体中の熱や気持ちが奪われていって
鮮魚コーナーのいろんな魚や 果物なんかを眺めて落ち着いても
野菜を買ったら腐らせて お肉を買ったらダメにして
そういえば うちにあれがそのままだ、とか思い出して
やっぱりどんどん悲しくなって 材料を買えなくなってしまいました

玄米ご飯と納豆ばかり食べて、このままではまずい、と
止む無くお惣菜のようなものを買うも
油ものやお肉が だんだん受け付けなくなって 愕然とするのでした 

料理は誰かに作るものなのでしょう たとえ自分ひとりのためでも

そういえば 少しは料理していた時も 味見は全くしなかったのです
誰かが食べることを想像して作っていた訳ではなかったのかと思うのです

結局 自分の燃料補給のためでしかなかったから 料理はしなくなったのかな、と

おいしいものを食べた記憶は 常に誰かがいて その味だけの記憶じゃないな、と