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晴れの地球 信頼をつなげたい

2012年05月19日 | あお
信頼をつなげたい
みんな いろんな思いを持って生きていて
いいことも あんまり良くないこともあるけど
信頼して 信頼されたら責任をもっていこう
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と思って がれき問題勉強会in高島に行って来ました
最近加わった、というところです

頭と口を使いすぎて うた歌って しばらく休む…

私に出来ること したいこと しなきゃいけないこと

2007年12月05日 | あお
どんな季節でもここは至福の風景が広がっていますが
ふゆの水鳥センターは また一つ 光が加わります
それは虹

冬の風が大陸から吹き込むとき
雨と晴れが順々にやってきて
日差しが琵琶湖を照らします

奇跡やね と ここを来てくれた方はおっしゃいます
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私はいったい何が出来るんだろう と考えます
この景色の幸福感 意味
穏やかな気持ち/張り詰めた気持ち
大事なことがここにあって気づいているはず
なのに何をしたらいいんだろう と

人が何をして生きるかを考えるとき
3つのことを考えようと かつてKEEPの川嶋直さんから伺いました
(間違ってたらごめんなさい)

それは、今することを選ぶとき
出来ること・したいこと・すべき(したらいい)こと
を3つとも考えようと

したいけど自分に出来ないことを選んでも 結局遠回りだし
やるべきことでも意欲が全くなければ続かないし

なんとか生きている私
出来ないことが多すぎて
やりたいことしか出来なくて

身の回りから
無理のない生活と
幸せを感じる社会を
遠く近く目指して

記憶

2007年11月27日 | あお
つながっていて
幸せだなって感じる
そんな思いはどこからやってくるのだろう

一人 立ち
世界に支えられているんだって感じる
そんな思いはどこからやってくるんだろう

お米や穀物とつながり
自分をつくり そして世界の風景を作り出し

鳥や獣や魚たちとつながり
自分と 世界をより豊かにしてくれ

木々とつながり
暖かさと共に 新たな世界の構造を見開いてくれ

同じ 人と人とがつながり
愛し 愛され それがどこまでもつながっていく


どこまでが一つか わからないくらい広がっていく
なのに 一つ一つが 崇高に 一人 立っている


記憶のどこかに
たしかにそれはある


世界は不安定で
人の記憶のどこかにある
一つの豊かな 安定した世界は
もはや この世界にはありえないのに
日々それを思い起こし 暮らす

新しい世界の かたち と
新しい世界の豊かさ
それは きっと 今の自分からつながっているはず
絶望も希望も そこにある

そこにこそ 今を生きる
全ての幸せがあるはず

愛し愛される記憶と共に

いき

2007年11月05日 | あお
息を吸う度に
溢れる世界の煌めき
一つひとつが愛おしくて
愛おしくて
一つひとつを抱きしめる

そして
息を
ゆっくりと世界に戻していく

小さな光が
白い闇に灯り
透明な香りが身を包む

その灯りを消さぬよう
またそっと息を吸う

破壊と創造

2007年11月05日 | あお
心の奥底へ
何かを探しておりていく
人がヒトでないところ
ただ生きたいと叫ぶ肉体から離れて

透明のガラスの塔
その破片に描かれた文字を
一つひとつ探り出す
そこに何があるのか
ただひとつの
何かを求めて


うた

2007年10月21日 | あお
私は高校3年生のとき合唱部に入りました
引退まで短い時間でしたが全国大会まで連れて行って頂き
貴重なハーモニーをたくさん耳にしました
そしてそれから
うたと表現、人の声がうんと大好きになりました

歌詞を読み 心に感じて
息に乗せて 息が震えて
生きている そのこと自体の圧倒的な存在感をあらわす

その音を耳にして
その音の発する 喉と胸とお腹と
震える息を包み込む全身を感じる

真似して歌って
その人と一緒の息を感じる
包み込む身体を感じる

だから歌が好きです

自分で言葉を紡ぎ
歌を歌えたら どんなにか素晴らしいでしょう

この心の中にある無限の感情
必死で言葉にして

なんじゃこりゃ?と落ち込んで

いつか和歌にしていたこともあったような

いつか歌いたい
せめて願い続ける
変わらぬ思いで

表現するということ

2007年10月17日 | あお
このブログだけをパソコンで見ている方の中には
一番上にある
「学びと表現のためのデザイン研究所 IDEAL」
が、なんだろな?と気づく方がいるかもしれません
 私の心の中では、このブログは
「IDEAL」http://treecafe.net
の中の一つの表現という位置づけです

 それについて興味を持って頂いたら
言葉足らずながらそのページを読んで頂くとして
今日は「表現」について
思うことを言葉にしてみたいと思います

ひとが言葉や音楽や行動や
その他ありとあらゆるものを通じて
何かを伝えたい、自分の中にあるものをかたちにして伝えたいと
そう願って行う全てのこと

表現
それはかたちになり
不特定多数かもしれないし たった一人のこともあるけど
ひとたび誰かに受け取られれば
何かを感じたり 感じなかったり
ひとによって感じることも違えば
表現者の思いもよらない 大きなな感情を抱き
その人を動かすこともある


たとえば私のいる水鳥センターから
琵琶湖と水辺の風景を見て感じること
きれいだな とか 落ち着くな とか
すごくとっておきのことを感じる とか
たくさんの人が 一つの表現から
いろんな感覚をもって受け止められています

え?琵琶湖の風景が表現なの?と
不思議に感じることもあるでしょう
私はこれも表現だと思っています

小さな意味で言えば
この場所に建物と窓があり
小さな造形を整え 見せたこと
これは人の手が作り出した 一つの表現です
借景とかいうようなものでしょうか

もっと大きな意味で言えば
この前にある琵琶湖も空も大地も
人を含めた全ての生きものと宇宙という
とてつもなくたくさんの主体が
それぞれの思いや目的や生き方をもって作り出した
ひとつのかたちで

そのとてつもなく たくさんの主体を 一つずつ感じて
ひとが自分の感情を抱く
自分の中にいろんな主体を感じて
混沌と純粋と 驚きと畏敬と
筆舌尽くしがたい大きな 気持ちのいい感覚を持つ

それこそ表現だな と私は感じます
ちょっと意味は小さく感じるけど
アートって言っても分かりやすいかもしれません

その表現を 深く深く そして広く受け取り 感じる
私はそれをここでは「学び」という言葉を使っています

学びと表現をより深めたい
それをかたちにして生きていたい
それを私はおもっています

これまでずっとそれを高めたいと
生きてきました

表現すること について あまり書いていません
私は 他のたくさんの人と同じく 一人の感覚を持ち
それを表現していきたいと思っているわけですが
学びの部分が 他の人と 何かが大きく違っていて
ひとにとってみれば それは面白いんじゃないかと感じています

ところがどうにも表現は難しい
膨大な時間が過ぎてゆき
それでも不十分で できているのかわからない
その人が集中でき 感覚を高めて 自分の心の動きに気づけるように
まわりのかたちを作る
簡単なことじゃないことはわかっているけど
今必要で
またその場でもないところで 言葉にしないと伝わらない 広がらない

私のような仕事 人の世界を含めた自然の中で
表面上は見えにくい深いところを伝えることを
インタープリテーション(通訳・自然解説)
という言葉で業界では表現されています

考え方の整理は進んでいるし
すごく広まってきてはいるのですが
まだまだ自分の心に触れてこないのです

木の上に登ると それは別世界
心も揺れ動かされて 学びの力も高まるのですが
それを普段の暮らしの中でも使えるように出来ないか

長い模索がこれからも続きます