2月だぞ、こんなにあったかくていいのかぁ?っていうようないいお天気の1日でした。
久々に今日は「思い出のにゃん」です。
2003年2月7日にあんちゃんが旅立った。
そして、レオまま家から初めて猫がいなくなった。
今までは、悲しみに沈み、泣き暮らすことなく常に猫たちが私を慰め、奮い立たせてくれた。
だけど、今度は誰もいない。
洗面所に置いてあった猫トイレも片付けなきゃ・・・
キッチンにポツンと置いてある猫用のお皿とお水の器・・・ これも、もういらないなぁ。
猫玄関も、旦那に蓋をしてもらった。
残ってる、カリカリと猫缶、これも誰かにあげようかなぁ。。。
でも、野良ちゃんが遊びにきたらあげてもいいなぁ。
そんなことを考えながら、悲しみの淵から抜け出そうとしていた。
淋しいけれどあえて、ペットショップへ行ったり、里親募集に応募する気にはなれなかった。
今までの猫たちは、どちらかといえば、すべて転がり込んできた猫ばかり。
今度レオまま家を訪ねてきた猫を飼ってあげよう。そう思って猫のいない生活を始めて4ヶ月を過ぎたころ。。。
2003年6月 とうとう、猫がやってきた。
家の周りで時々猫の声がする。2日ほど団地の中をうろうろしていたようだが、うちの玄関先で
一声大きな声で、「にゃぁあぁぁあ~ん」まるで「ここの子にしてください」と言わんばかりに啼いた。
どんな猫なんだろう?旦那とそっと窓から覗いてみると、なんと!”ア・モーレ・ミーヤン”にそっくりな子猫。
旦那も、私も「うちの子にしよう」と、すぐさま外へ出て行きました。
逃げるかな?と思ったけど、スリスリ、ゴロゴロ。。。すごく人懐っこい。
スリスリの仕方も、ゴチン、ゴチンと頭突きみたい・・・ ん?・・・誰かに似てる?
そう、よく見れば、体の模様も”ゴンタくん”に似てる。
もしかして、ゴンタくんの娘?「あそこに行ったら助けてくれるはず、父ちゃんも世話になったんだよ」
とかなんとか言われて、うちにきたのかなぁ・・と旦那と笑い合あいました。
↑↑うちに来たときは、まだ4,5ヶ月くらいの子猫だった。これはもう1歳過ぎてるかな?
ア・モーレ・ミーヤンの2代目、通称みーちゃんと名づけ、晴れてレオまま家の娘になりました。
いそいそと、トイレを出し、食器を並べて、新しいごはんも買いに行ったり。。。
やっと、いつもどおりの生活に戻ったような気がした。
みーちゃんは、人懐っこいけどあまりベタベタ甘えることがなかったなぁ。
あまり、困らせられた記憶もない。手のかからない子だった。
みーちゃんが一人っ子を満喫したのも、4ヶ月ほど。その年の10月には今のレオくんが
レオまま家にやってきたのだから。。。
それからのみーちゃんは、未婚の生娘にもかかわらず、レオくんの乳母となってレオままを助けてくれました。
(前記事に、ちょこっとみーちゃんが登場してます)
そして、トイレからパトロールから狩りの仕方をレオくんに教え、やっと一人前になったかな?という頃
みーちゃんがレオまま家に現れてから、ちょうど1年後の2004年6月23日
その日を最後に姿を消しました。(偶然にも、6/23は、初代クロの命日です)
もちろん、事故にあってないか?探しましたが手がかりはなし。
でも、みーちゃんのことだから「私、子育てなんてやってる場合じゃないのよ~、レオも
大きくなったし、私の役目は終わったわ」って自分から出て行ったような気がするんです。
なんたって野良のボス、 ゴンタくんの娘だから、「やっぱり、私は父ちゃんのように生きるわ」
そんな強さを感じさせる女の子でした。
自分の意思で元気で出て行ったような気がしてならない。(せめて、書置きでも残してほしかったけどね 笑)
だから、旦那も私もみーちゃんに関しては不思議と悲しくならなかったのです。
う~ん、偶然なんだかどうだか。。。いろんな縁があるのかなぁ
あんちゃんとみーちゃんやレオくんは接点はないけど、まるであんちゃんがしつけてくれたかのようないい子に育ってました。
あんちゃん、やっぱり見守ってくれてるんだね。ありがとう
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久々に今日は「思い出のにゃん」です。
2003年2月7日にあんちゃんが旅立った。
そして、レオまま家から初めて猫がいなくなった。
今までは、悲しみに沈み、泣き暮らすことなく常に猫たちが私を慰め、奮い立たせてくれた。
だけど、今度は誰もいない。
洗面所に置いてあった猫トイレも片付けなきゃ・・・
キッチンにポツンと置いてある猫用のお皿とお水の器・・・ これも、もういらないなぁ。
猫玄関も、旦那に蓋をしてもらった。
残ってる、カリカリと猫缶、これも誰かにあげようかなぁ。。。
でも、野良ちゃんが遊びにきたらあげてもいいなぁ。
そんなことを考えながら、悲しみの淵から抜け出そうとしていた。
淋しいけれどあえて、ペットショップへ行ったり、里親募集に応募する気にはなれなかった。
今までの猫たちは、どちらかといえば、すべて転がり込んできた猫ばかり。
今度レオまま家を訪ねてきた猫を飼ってあげよう。そう思って猫のいない生活を始めて4ヶ月を過ぎたころ。。。
2003年6月 とうとう、猫がやってきた。
家の周りで時々猫の声がする。2日ほど団地の中をうろうろしていたようだが、うちの玄関先で
一声大きな声で、「にゃぁあぁぁあ~ん」まるで「ここの子にしてください」と言わんばかりに啼いた。
どんな猫なんだろう?旦那とそっと窓から覗いてみると、なんと!”ア・モーレ・ミーヤン”にそっくりな子猫。
旦那も、私も「うちの子にしよう」と、すぐさま外へ出て行きました。
逃げるかな?と思ったけど、スリスリ、ゴロゴロ。。。すごく人懐っこい。
スリスリの仕方も、ゴチン、ゴチンと頭突きみたい・・・ ん?・・・誰かに似てる?
そう、よく見れば、体の模様も”ゴンタくん”に似てる。
もしかして、ゴンタくんの娘?「あそこに行ったら助けてくれるはず、父ちゃんも世話になったんだよ」
とかなんとか言われて、うちにきたのかなぁ・・と旦那と笑い合あいました。
↑↑うちに来たときは、まだ4,5ヶ月くらいの子猫だった。これはもう1歳過ぎてるかな?
ア・モーレ・ミーヤンの2代目、通称みーちゃんと名づけ、晴れてレオまま家の娘になりました。
いそいそと、トイレを出し、食器を並べて、新しいごはんも買いに行ったり。。。
やっと、いつもどおりの生活に戻ったような気がした。
みーちゃんは、人懐っこいけどあまりベタベタ甘えることがなかったなぁ。
あまり、困らせられた記憶もない。手のかからない子だった。
みーちゃんが一人っ子を満喫したのも、4ヶ月ほど。その年の10月には今のレオくんが
レオまま家にやってきたのだから。。。
それからのみーちゃんは、未婚の生娘にもかかわらず、レオくんの乳母となってレオままを助けてくれました。
(前記事に、ちょこっとみーちゃんが登場してます)
そして、トイレからパトロールから狩りの仕方をレオくんに教え、やっと一人前になったかな?という頃
みーちゃんがレオまま家に現れてから、ちょうど1年後の2004年6月23日
その日を最後に姿を消しました。(偶然にも、6/23は、初代クロの命日です)
もちろん、事故にあってないか?探しましたが手がかりはなし。
でも、みーちゃんのことだから「私、子育てなんてやってる場合じゃないのよ~、レオも
大きくなったし、私の役目は終わったわ」って自分から出て行ったような気がするんです。
なんたって野良のボス、 ゴンタくんの娘だから、「やっぱり、私は父ちゃんのように生きるわ」
そんな強さを感じさせる女の子でした。
自分の意思で元気で出て行ったような気がしてならない。(せめて、書置きでも残してほしかったけどね 笑)
だから、旦那も私もみーちゃんに関しては不思議と悲しくならなかったのです。
う~ん、偶然なんだかどうだか。。。いろんな縁があるのかなぁ
あんちゃんとみーちゃんやレオくんは接点はないけど、まるであんちゃんがしつけてくれたかのようないい子に育ってました。
あんちゃん、やっぱり見守ってくれてるんだね。ありがとう
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色んなお家を放浪してるのかもざますね。
レオままさんは、強くて優しいねぇ。私はまだまだ弱い人間ざます。
ここへ来るとつくづくそう思う。
レオくんはみーちゃんに育てられたんだねぇ。
私も、パティーが旅立ったあの日、なぜだか気丈に涙も流さずトイレやフードの残り何か片づけたざます。そして、10日後にジジを迎えた日には、同じく・・・
いそいそとトイレやフードを買いに行ったざます。
そのかわり、引き換えに写真を飾ったっけ。。。
私も強くないよ。弱さと強さのバランスをなんとか保ってるとこ。。。かな?
ジジ君が来たのは10日後だったの?
悲しみに沈んでる時期だったでしょうけど、ジジ君の
お世話をすることで、確実に元気付けられたと思います。
そして、今 ジジくんはがっちりにゃんたまさんの
心を掴んでるわ。
パティーと同じように、僕を愛してねと祈りながら。。。
片付ける時が一番悲しいような気がする
レオ君が育ったからというよりも
ママが困らないように育てたし
もうママも大丈夫でしょ
独りじゃないわよ
って感じかなぁ
不思議ですねぇ
皆レオママさんの周りに
今でもいますよ きっと
なんか、意を決して「よし、ここに決めた」みたいな
意気込みを感じるのは私だけ?
まぁ、みーちゃんも、後はレオままだけで大丈夫と思ったのかしらね~
そう、思うことにしましょう。