奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

死んだ。と思った、自我の終焉・自我の死

2018年07月25日 22時06分05秒 | 宇宙・幻想の終わり
昨夜、久しぶりの発作・自我にとっての非常事態がきた。

最初は、胃痙攣かと思ったのだけどそうではなかった。

いずれにしても肉体的症状ではないのだが

それは「心臓の細動」という表現が一番適した表現だと思う。

なにもしていないのに異常な心拍数の上昇状態でもあり

心臓のあたりと胸周辺が不規則にとても細かく激しく振動している

血液を正常に全身に送り込むことができるような動き方を心臓はしていない。

吐き気もするけど、実際に吐くまではなかった。

床にひれ伏す。声も出ないし携帯も持てない。

おそらく、2時間くらいそれは続いたらしい

途中で「これ、死んだんじゃないか?(肉体の活動が終了したの意味)」

そう思った



「生きるも、死ぬも、全託するしかないです」

「私は、神の接待主として全てを私の源に迎え入れます」

その祈り以外になにもない


たったひとつの懸念は、娘たちへの想いだった。

私は全託しても、もしもこういう感じで肉体が終わったら、、

けど、それも諦めて聖霊にお任せするしかないな。この執着も終わりだな

痙攣の中、そう思っていた。



「自我の終焉、自我の死、自我の消滅」がじわじわ近づいてきている

その兆候のようなものが、2〜3ヶ月間に1回くらいのペースで現れる。

その現れ方の強さはだんだんと増している感じがする。


こういう体験をしている人は意外に多く、アジャシャンティも書籍で語っているし

ラマナ・マハルシの自我の死の体験の箇所も、今日は思い出したので

読んでみた。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=37&v=fNWKNbX-bTA

彼は究極的なその体験が16歳に1回、その後(数年後?)にもう一回あったという。



私は まだそこまでの究極的なものではないけど

誰にでもあり得ることだと知っているだけで、諦めがつきやすいし、

この件に関しては病院に行かなくていい感じがしている。


自我はもともと誕生していなかったので、自我の死というものはほとんど最後の幻想なんだろうな。


まだ、昨夜からの痙攣は完全にはおさまってはいない。

それも受け入れるしかないなと思う。



楽しくはないけど、嫌うべきものでもない感じ

実在以外の全てが終わってゆく感じ

これでいい感じ。







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