先日の7月24日の体験以降、
ますます
内なる真我、ハートの響き以外の一切に
興味がわかなくなってしまっている。
同時に、
ラマナ・マハルシ師匠や
ニサルガダッタ・マハラジ師匠のメッセージを
ハートの奥底側から聞き取れるようになってきた。
彼らのような、直接的な導き方以外に興味がなくなってしまった。
なにをしても、どこに行っても、
実相以外に興味がない。
実相からわき起こるかに見える「私」を発見し続けるのみ。
そこに焦点を向けていれば
そこに真我がある。
ひたすら
真我に没頭していたい。
ただそれだけ。
これでいいんだなあ。と思う
「死んだ」
と思うような体験は、まったく ネガティヴなことではない。
外側の何かにかまけていられないくらい
内側に向かざるを得ないことは
むしろ「私」に必要なことなのだろう。
兄弟や世界がどのように演技しているかどうかなど
気にかけていることができないくらい
内側に向かうとき、本当に終わってゆく。
夢見の維持装置が、だんだんパワーダウンしてゆく。
書籍「I Am That ニサルガダッタ・マハラジ」より
あなたを、あるがままに知るには
すべての観念を捨て去らなければならない。
純粋な水の味を想像することはできない。
すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。
現在の生き方に興味を持っている限り、
あなたはそれを放棄しないだろう。
馴染みのあることにしがみ付いている限り
発見は訪れないだろう。
人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し
それに対して抵抗するときにのみ、
出口は見出されるのだ。
4分19秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=KQPWlx1cVc0
ますます
内なる真我、ハートの響き以外の一切に
興味がわかなくなってしまっている。
同時に、
ラマナ・マハルシ師匠や
ニサルガダッタ・マハラジ師匠のメッセージを
ハートの奥底側から聞き取れるようになってきた。
彼らのような、直接的な導き方以外に興味がなくなってしまった。
なにをしても、どこに行っても、
実相以外に興味がない。
実相からわき起こるかに見える「私」を発見し続けるのみ。
そこに焦点を向けていれば
そこに真我がある。
ひたすら
真我に没頭していたい。
ただそれだけ。
これでいいんだなあ。と思う
「死んだ」
と思うような体験は、まったく ネガティヴなことではない。
外側の何かにかまけていられないくらい
内側に向かざるを得ないことは
むしろ「私」に必要なことなのだろう。
兄弟や世界がどのように演技しているかどうかなど
気にかけていることができないくらい
内側に向かうとき、本当に終わってゆく。
夢見の維持装置が、だんだんパワーダウンしてゆく。
書籍「I Am That ニサルガダッタ・マハラジ」より
あなたを、あるがままに知るには
すべての観念を捨て去らなければならない。
純粋な水の味を想像することはできない。
すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。
現在の生き方に興味を持っている限り、
あなたはそれを放棄しないだろう。
馴染みのあることにしがみ付いている限り
発見は訪れないだろう。
人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し
それに対して抵抗するときにのみ、
出口は見出されるのだ。
4分19秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=KQPWlx1cVc0