奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

エクスプレッションセッション

2020年05月12日 19時03分28秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
今日の午後の経験。


今回の3ヶ月も、ほぼ毎日のように兄弟とエクスプレッションセッションをしている。
自分に対する批判・非難にしか聞こえないような表現を相手から聞いているとき
もしも自分が人間として反応すれば泥仕合にしかならないような主張を相手から聞いている時に

自分が心の奥からの決断をもって
自分が退いてイエスに自分の代わりに自分の心を占有してもらうかどうか?が
とても重要であることを理解させられる経験を今日させてもらった。

これはほんの小さな経験のように見えるけども

本当に十字架刑という状況が目の前にやってくるかどうか?と
今日の経験には差がないんだな、と思った。


奇跡に難しさの序列はない。
というけども、本当にそうで


自分を非難するように見える兄弟が目の前にいるように見えるとき
自分が相手からの攻撃を知覚しているときは、すでに
「自分(の心)が先に攻撃を仕掛けている印である」という言葉が心の中にやってきた。

そのような誤作動を心の中でおかすのはもう嫌だと思った。
でも、自分が自分で状況に対処したり知覚しようとすると
全部間違えてしまうことは相当理解してきているので

自分の心の場所を
聖霊・イエスに占有していただく決断をする以外に何もできない。

そして、自分で相手の話を理解したり共感する必要がないし
そもそもこの世界のレベルでは本当の共感はできない。

肉眼や肉体レベルの知覚の中では
それぞれが見たいように見るようにしかできていないから。
そのレベルの「見る」ではないところ、すなわち
聖霊のビジョン「心眼」で、私の代わりに聖霊によって見てもらわないと
何もみることができない。

実際、今まで自分では何も見れてこなかった。

そういう意味で、
「私は何もわからない。私には何もできない」というサレンダーをした。


そのシナリオの中では、兄弟という外側に見えるところからのお誘いがくる。
「これについてどう思う?どう感じる?」と
まるで自我に反応しなさいと私の心の中で反応を促す古い古いシステムも見える。

「私は知ってる」
という古いシステムから自分の心を動かそうとすれば、もう一度心は戦争状態を作り出す。

「私は何も知らない、知り得ない」
という新しいシステムから自分の心を動かしていただけば
心の中の平安と愛は確約される。




今日のレッスン、マインドトレーニングを通じて
「ああ、そういうことなのかあ」と、どんどん心の中が温まっていった

私の日常や人生に、どんな形態の苦しみのような大道具・小道具・役者が現れるかどうか?
は、問題じゃない。

日常のどのような瞬間にも、聖霊を自分の心に招き入れて占有していただくか?
自我を招き入れて自分の心を占有させるか?

ここにだけ問題がある。




兄弟のエクスプレッションが終わり
私はその間なにもせず、ずっとイエスに私の心を引き渡していただけだった。


やっぱり、すべては自分の欲望の問題なんだと思った。
自分が何を欲しいと思っているのか?どれほどまでにそれを望み祈っているのか?
の問題だと思った。


肉体のレベルでの共感なんかいらないと思った。
そんなことよりも、イエスによって私の代わりに私の今この瞬間を生きてもらいたいと思った。

そしてその熱望ゆえに、私の心がすでにイエスによって、聖霊によって、神によって癒されていて救われていることを実感した。

私が何かをなす必要がない。
なぜなら、それはすでに起きているから。


私が前に出て世界や兄弟をどうにかする必要がない。
なぜなら、すべてはすでに癒されて救われて元どおりになっているから。

私が唯一する必要のあることは、聖霊の邪魔をしないこと。



すると、そのまま自然に自分の心と聖霊の心と神の心が同じところにある事実を知らされ感じることとなる。
それはとても自然なことだった。

もうここから逃げ出したくない。



イエスに心を占有してもらい続けている間、JACIM質問99のことも思い出していた。
本当に、たくさんのことを思い出させて教えてくれる。
自分さえ望めば、それは与えられるんだな。
JACIM質問99関連のブログ記事2018年6月1日








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