誰がこんな言葉を使い始めたのか知らんが、優しさのカケラも感じられない音と思う。やろうとしている行為と、言葉の響きが決定的に乖離してるような気がする。
だいたいなんで「聞かせ」なんだ?優しげな顔してなんで聞くことを強要しなくちゃいけない?相手は子供なんだから、聞きたきゃ聞くし、聞いてくれなきゃ、お話に興味がないか、話し手がヘタか、もっと言やぁ、聞かせてやろうって態度そのものが嫌ってことだってあるだろうにって思う。
「聞かせ」てる最中に子供がムズったら、ブチ切れて虐待でもしそうな響きがある(キッパリ)。
「Infoseekのマルチ辞書」で引いてみたって「聞かせる」って動詞でしかヒットしないものを、わざわざ「る」とって名詞にするなんざ、あんたらホントに日本語の本読んでるのか?って思いたくなるよ、まったく。
「読み聞かせで、子育ち、親育ち」なんてやられた日にゃぁ、もう大方日本語オワタって気もしてくる。
「育ち」ってのは「南国育ち」とか「お嬢様育ち」って使うもんでしょうが。「お嬢様育ち」が「お嬢様として育った」とかって意味から類推すると、「子供として育った」とか「親として育った」となるよね。しかも過去形。こんなことに少しも違和感を感じない人らが、何を偉そうに「聞かせ」るんでしょうかね。
「○○に優しい」なんて言葉がはやって以来、こういった、対象に対する無意識の優位性を感じさせる、妙な言葉遣いがはびこってきてる気がする。
こんな世の中になってしまったんだからしゃぁないなってのも、確かにあるんだが、ここはひとつ、国語審議会の皆様やら、大学で国語や国文を修めておられる皆様に、大所高所からのご努力をお願いいたしたいところではある。
だいたいなんで「聞かせ」なんだ?優しげな顔してなんで聞くことを強要しなくちゃいけない?相手は子供なんだから、聞きたきゃ聞くし、聞いてくれなきゃ、お話に興味がないか、話し手がヘタか、もっと言やぁ、聞かせてやろうって態度そのものが嫌ってことだってあるだろうにって思う。
「聞かせ」てる最中に子供がムズったら、ブチ切れて虐待でもしそうな響きがある(キッパリ)。
「Infoseekのマルチ辞書」で引いてみたって「聞かせる」って動詞でしかヒットしないものを、わざわざ「る」とって名詞にするなんざ、あんたらホントに日本語の本読んでるのか?って思いたくなるよ、まったく。
「読み聞かせで、子育ち、親育ち」なんてやられた日にゃぁ、もう大方日本語オワタって気もしてくる。
「育ち」ってのは「南国育ち」とか「お嬢様育ち」って使うもんでしょうが。「お嬢様育ち」が「お嬢様として育った」とかって意味から類推すると、「子供として育った」とか「親として育った」となるよね。しかも過去形。こんなことに少しも違和感を感じない人らが、何を偉そうに「聞かせ」るんでしょうかね。
「○○に優しい」なんて言葉がはやって以来、こういった、対象に対する無意識の優位性を感じさせる、妙な言葉遣いがはびこってきてる気がする。
こんな世の中になってしまったんだからしゃぁないなってのも、確かにあるんだが、ここはひとつ、国語審議会の皆様やら、大学で国語や国文を修めておられる皆様に、大所高所からのご努力をお願いいたしたいところではある。