ただメモ

まぁなんだなぁってことで

1Q84

2009-10-22 | 感想とか
村上春樹を読む時はいつも、先を読み急ぎたい気持ちと読み終えてしまいたくない気持ちの葛藤を感じる。
1Q84もそうだ。
村上らしくなさそうな表現がちりばめられているように思えるが、そこにはいつもの夜の闇の匂いがする。
漆黒の闇ではない。あくまでも人工的な明かりとともにある夜の闇の匂いだ。
そんな闇に身を委ねると、心が透き通っていく感覚をおぼえる。

道ねぇ

2008-11-21 | 感想とか

首相の特定財源「交付税化」発言 自民道路族が猛反発 (産経新聞)

自民党の道路調査会で「地方交付税にすれば(地方の)借金返済に充てられ道路行政に支障が生じてしまう」とかの発言が飛び交い、道路族の怒り心頭ですとか。

地方自治体が店じまいしなきゃいけないかもねって考えてる時に、こんなんですからね。。。自民党も劣化したわね。

病院はつぶれ、市は財政再建団体。土建業界は自主廃業やらで活気が出ず。GMですらつぶれてしまいそうになるくらい若者は車を買わず。バス路線は相次いで廃止になりで、なにが道路行政かよ。


本田美奈子

2008-03-25 | 感想とか
「本田美奈子 最後のボイスレター」(NHK)には泣かされました。
彼女をデビュー当時から知ってる、マリッリーィンなんて、今でもカラオケで唄ったりもするヲヂさんにとっては(そういやこの歌で彼女は「いけないヲトなァ」って唄ってたっけねぇ)、彼女の突然の訃報はショック以外の何者でもなかったけど、その後にいろいろ伝わってきた、歌が好きで、「歌と結婚したから今生ではそれでいいの」みたいなこと言ってたってほどに歌が好きで、好きなことに一生を捧げられた、そのけなげな生き方にうらやましさも覚えたものでした。


自然描写に音声をかぶせるだけという、十分に抑制の効いた演出で、必要最小限のインタビューをはさみつつ、ICレコーダー音源の彼女のアカペラを聞かせてくれた。

骨折で入院した岩谷時子一人に向けた歌なんだけれども、たった一人のために、その人のためだけにと本田が唄った歌は、曲ごとに涙が流れて仕方なかった。

「切々と」って言葉の感覚が、今日分かった気がした。

本田美奈子と岩谷時子 日本の音楽シーンに足跡を残した二人の女性が、大げさに言えば、生きてきた記録を、誠実に切り取った番組だったと思う。

普段、今のTV番組にはほとんど何も期待していないのだが、こんな番組に出会うと、TVもまだ捨てたものではないなと思う。こんな良識が確かに存在いているのを思い知らされて、うれしかった。

こんな番組を見せてくれるなら、たまにはまじめにTVを見てもいいかな。

こんな番組に出会えた今日という日に感謝します。

嫌いな言葉 「読み聞かせ」

2008-01-31 | 感想とか
誰がこんな言葉を使い始めたのか知らんが、優しさのカケラも感じられない音と思う。やろうとしている行為と、言葉の響きが決定的に乖離してるような気がする。

だいたいなんで「聞かせ」なんだ?優しげな顔してなんで聞くことを強要しなくちゃいけない?相手は子供なんだから、聞きたきゃ聞くし、聞いてくれなきゃ、お話に興味がないか、話し手がヘタか、もっと言やぁ、聞かせてやろうって態度そのものが嫌ってことだってあるだろうにって思う。

「聞かせ」てる最中に子供がムズったら、ブチ切れて虐待でもしそうな響きがある(キッパリ)。

Infoseekのマルチ辞書」で引いてみたって「聞かせる」って動詞でしかヒットしないものを、わざわざ「る」とって名詞にするなんざ、あんたらホントに日本語の本読んでるのか?って思いたくなるよ、まったく。

「読み聞かせで、子育ち、親育ち」なんてやられた日にゃぁ、もう大方日本語オワタって気もしてくる。
「育ち」ってのは「南国育ち」とか「お嬢様育ち」って使うもんでしょうが。「お嬢様育ち」が「お嬢様として育った」とかって意味から類推すると、「子供として育った」とか「親として育った」となるよね。しかも過去形。こんなことに少しも違和感を感じない人らが、何を偉そうに「聞かせ」るんでしょうかね。

「○○に優しい」なんて言葉がはやって以来、こういった、対象に対する無意識の優位性を感じさせる、妙な言葉遣いがはびこってきてる気がする。

こんな世の中になってしまったんだからしゃぁないなってのも、確かにあるんだが、ここはひとつ、国語審議会の皆様やら、大学で国語や国文を修めておられる皆様に、大所高所からのご努力をお願いいたしたいところではある。

映画「earth」を観て思ったこと

2008-01-27 | 感想とか
別にこれといった大きな感動を覚えるような映画ではなかったですが、スクリーンに映し出される大自然の風景には、ゆったりとした気持ちにさせてもらいました。
風景というとちと違うかな?主に動物の姿が中心だったので、普通に活動してる動物がいる大自然の風景っていうのが正しいかな?まぁいい。

要は、大きなスクリーンに映し出された「生き物地球紀行」だなと思った。

だなと思って、本来ならばこの映画の感想は、地球のこの絶妙なバランスの上に成り立っている全ての生命のに思いをいたすとかにならなけりゃいけないんだろうけど、そこは、ヒネたおっさんのことなので、いきなり、なんでこれを作ったのがBBCでなけりゃいかんのだ?って考えた。

なんでNHKではないんだろう?NHKであっても少しもおかしくはないと思うんだけどな。
「生き物地球紀行」や「ダーウィンが来た」で貴重な映像を放送してたのに、なぜそれらのデータを再編集してこんなふうに提供してくれないんだろう?

別に映画でなくても別の番組でも、オリジナルビデオでもいい。ことさら声高に環境保護や温暖化対策批判なんかを言い立てなくても、苦労して撮り貯めた映像を再利用、再々利用して、記録された映像自体に語らせるって番組作ってもいいのでは?って思った。

記憶にある限りでは、この映画にでてきたシチュエーションと同様の絵をNHKの番組でも見た気がするんだが、そちらの方がどれだけか美しい絵だったような気がする。

そのためにNHKは独自の技研を持ってて、高精細な絵が撮れるよう頑張ってきた訳ですよね。それで、多額の取材費と関係者のご尽力で多くの絵を撮って、番組の尺に合わずにお蔵入りした絵も相当にあるのだろうことは容易に想像されます。

それらをまた違うディレクターに委ねるとかはしないんだろうか?

もし本当に「earth」の言うように、この美しい自然が大規模に損なわれようとしているのなら、それらは貴重などという言葉では表現しきれないくらい大切な記録であるはずだ。

ぜひともNHKさんには、そのような貴重な記録の全てをアーカイブ化して利用可能にしていただきたい。番組だけでなく、未放送、未公開の映像も含めて資料化していただきたいと思う。