たかむらのかぜ

 詩集「定本」竹の思想 より


   竹十章

   なにもない  

   風がただ竹に鳴っている
   耳の奥の新しい暦のなかで 

   ――でも非常に豊かだ

         *
 
   水に濯いつくされた孤独だけがここにある
   己を一株の竹の下に佇ませよう
   静かにかなしむがよい 

   恋わざるごとく なおなにものかを恋うごとくに
 
         *
                            
   四十余年為すこともなく枯れたり

   遠く遊びて竹を聴かんことを願う

   己のうちに誕まれんとして
   まさに歌こみあぐるならば生くるべし
 
         *
                                 
   孤独 
   それもよい
   俗塵を嫌う訳ではないが 
   なにやらん 
   さやさやと
   しきりに鳴るもののありしゆえに
 
         *
                     
   友もまた疲れたればこの世ののぞみにときて多くを語ることなし
   いささか足れば誘いて一杯のコーヒーをすすむるなり
   匙の重みのなかにながれゆくものをかんず
   都に住みてつねに竹を恋うなりといえば友は言わず笑いき

         *
                         
   竹薮のなかにて友はわれをもてなすべき鶏をむしれり
   竹の葉を洩るるまだら陽のなかに友はかなしむごとく佇ちたり
   茜に陽は沈み落ちんとし
   鶏の白き羽ちらばりいたり、互いに言葉交さざりしが――

         *

   ひとに与うるものなければあたたかきまことをつくすべし

   「ふるさとの山は竹が多く竹のなかでぼくは育ってきた
   だからといってぼくの品性がゆたかであるというわけ
   でもないのだが……」

         *

   少しもかなしんでいない
   いつもなにかに聴き入っている
   なにが聴こえるのか
   ひとにいうほどのことでもないが

         *

   誰かを待っている
   もう諦めてもいる
   とうとう逢えなかったのだと

   せっかくこの古雅な淡緑の思想を孤寥のなかに湛えて生きて
   きたのだが……

         *

   竹のなかに一管の笛あり
   斫りてわがかなしみを絶つべし
   汝、なにを恋うて生きたるや
   遙かにあるとしもなき諷騒のたぐいにすぎざりしに
                           



大地にしっかりと根を張り 天に向かい 風に光に身を任せる。
伊藤桂一の文学はそのような竹の姿と重なって見えます。

氏は、若い時分から<修業>という言葉にふさわしい姿で文学
に向かわれ、44歳でこの私家版の詩集『竹の思想』を出され、
その直後に、短編小説「蛍の河」で直木賞を受賞されました。
そして、温和で誠実な人柄を映す作品を数多く記されています。




この詩集を思い出したのは、Y師同門会の名前をお聞きしたからです。
ちょっと連想したのです。
藪克徳師 篁風会

しかし、さて、困ったな。
私は何であれ、所属することが好きではない。
今のままではいけないのかな。
それは、無責任ということになるのかな。

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