兎も角も

ともかくもいちにちぐらしとぞんずべくそうろう ・・・ 芭蕉

「しずかにわたすこがねのゆびわ」

2013年08月31日 | 本と映画の話
秋の気配を感じると懐かしく読み返す本です。
以前、他のページに記しておいたものを写します。



干刈あがたの作品は、みな静かに心にしみてくる。実生活の中から生まれた物語は生き生きと清冽、そして優しい。   全て大切に読み継がれていって欲しい作品です。
1992年9月6日に49歳で亡くなる。


                            
   「樹下の家族」「ウホッホ探検隊」「黄色の髪」「窓の下の天の川」
   「プラネタリウム」「雲とブラウス」「しずかにわたすこがねのゆびわ」
   「アンモナイトをさがしに行こう」「野菊とバイエル」「ホーム・パーテイ」
   「40代はややこ思惟いそが恣意」「ゆっくり東京女子マラソン」
   「ビックフッドの大きな靴」「どこかヘンな三角関係」「名残りのコスモス」
    既読
 
    「ウホッホ探険隊」が特に好き…
                                   
                       
しずかにわたすこがねのゆびわ

 干刈あがた 著 
 1986,1,10 福竹書店 発行

サラバータ
サラバータ
しずかにわたすこがねのゆびわ
鬼のしらぬまに
ちょっとかくせ

若かった頃の自分に今の自分が教えてあげられるといいのにね。
そんなことしちゃだめよ、とか、そんなに我慢することないのよ、とか。
でも、私はやはり、ああするより仕方なかった。
その時その時、自分なりに考えて生きてきたんですもの。

                   (冒頭モノローグの一部より)
                                     

                                     
60年代に青春時代を過ごした女性たちが結婚や離婚を経て生きる15年間を描いています。


「プラネタリウム」
 
「なんだよ、ジロジロ見るなよな」

突然少年は低い声で言うと、黒眼を右に寄せ、蒼白く光るナイフ眼で母親を睨んだ。このごろ彼はしばしば、そうした急な変化で彼女を驚かせる。 と、また急に黒眼を解散して言った。

「なーんてね、劇団ひまわり」

「むずかしい年頃の少年め」

少年の髪に手をつっこんでもじゃもじゃにかき乱してやろうと、彼女が腕を伸ばすと、彼は素早く身をひき、ハッシと彼女の手首を両掌で受けとめた。

「真剣白刃取り」

母親と少年は軽くジャブの応酬をした。
     
                                  
   シミジミ少年とホトホト少年兄弟と母親との対話が、やさしく切ない



 ↓ 2003年10月9日 「本の話掲示板」に投稿したものです  

                        
若かった日を振り返って・・干刈さんに話したくなったこと・・

友人たちと会って、決まって「反省会」になった時期がありました。
皆、子育ても終わろうとしていました。それぞれがあの一生懸命
だった頃の自分を懐かしく、しかし少し悲しく思い出したのでした。
                                         
  Tさんが涙とともに語ったことはこうでした。

  「私は、スポック博士の本(当時信頼された育児本でした)
  のとおりに育てようと思ったの。そして、独立心を早くから
   育てたいと、長男を一人の部屋に寝かせたのよ。
   あの子は泣いたわ。寂しかったのでしょうね。
                                 
  でも、私もがまんしたのよ。

   翌朝、あの子は枕をかかえて、ドアに頭をぴったりくっつけて
   寝ていたの。泣きつかれてそのまま眠ってしまったのね。
   可愛い小さな顔に涙の跡が残っていたのよ」

                               
私たちは一緒に泣いた。そして、それぞれの胸の内の痛みを
話して、また一緒に泣いた。

  

 

  しずかにわたすこがねのゆびわ 


  
       コスモスや個々揺蕩うて群れとなる
        こすもすやここたゆとうてむれとなる



稽古

2013年08月30日 | 謡と仕舞
自主練。これが大切なのです~

過日、師がおっしゃったことを思い出しております。



「運び」も「型」も同じです。 漠然と進んだり動作をするのではなく、目を合わせて向かっていくと相手は引く、という「気」のやり取りがあるつもりでなさるとよいと思います。

力を押し出していくような気持ちがあると、序破急がつきますし、運びも安定いたします。

  1,2,3,4…とならぬよう
  優雅に舞うというのでもなく     ね。



う~む ただ立っているだけ、歩くだけ(はこび)でも、うっかりするとユラユラヨタヨタしますし、慌てると右と左がわからなくなってしまう、「気」の弱い私なのであります。

が、そろそろ一年がかり!の一曲を、自分なりに舞えるようにしなければなりません。

直さねばならないところは山とある筈ですが、「直すのは無理」と師が思われているところはそのままに、「ここはぜひ」と思われているところだけを少しずつ直していただいているわけなのです。

今の私に合うレベルまでを、繰り返して身に着けたいです。

そのうえで、「気迫」です。

「あと千回の晩飯」

2013年08月27日 | 本と映画の話

「あと千回の晩飯」 山田風太郎著 朝日文庫

  だいぶ前に読んだ本をふと思い出して捜しましたが、見当たりません。
  と、2005年のブログ に残してありました。ブログって便利!すっかり
  忘れていたことも、ちゃんと覚えていてくれる~  
  それで、そのままコピーしました。


・・ある時ある編集者と問答した。
「とにかく国民の平均寿命が80歳、国民の四分の一が
六十五歳以上なんて世の中が、まちがいなく到来する。
どこを見わたしてもボケ老人ばかりになる。これは昔々、
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、な
どという童話の世界ではなく、老醜無惨の不死人間が住
む『ガリバー旅行記』の世界だ。これが現実のものとなる
恐ろしさを、みんな腹をすえ見通しているのかね」

「それじゃ、どうすればいいんです」

「いろいろ考えたが、やはり老人の数をへらすよりほかに
法はない」

「というと?」

「漱石がね、『吾輩は猫である』のなかで、こんなことを言
っている。文明が発達すると人類はみな神経衰弱になり、
生きているのがいやになる。そこでそんな世の中になると、
巡査が棍棒を以って天下の公民を撲殺して歩く。それで
殺されたい人間は、殺されたい男ありとか女ありとか、門
口に貼札をしておく。すると巡査が都合のいいときにまわ
ってきて、すぐに志望通りにとりはからってくれる。死骸は
やっぱり巡査が車をひいて拾って歩く、と。・・・この天下の
公民をボケ老人にあてはめればいい」

「しかし、そんなに老人の数が多いとなると、一人ひとり撲
殺したり、死骸を運搬したりたいへんじゃありませんか」

「ゴミの収集より手間がかかるかも知れんね、なに、これは
漱石大先生のブラックユーモアで、僕のアイデアは別にあ
るんだ」

~というわけで。風太郎先生のアイデアというのは~

集団でトワの眠りについてもらうということです。志願者は、
あらかじめ登録しておき、「ウイスキーガスにて大往生」案
などのあるユニークな「国家的葬送の儀」に参加できるよう
にするのです。


この話しをして、友人たちと大いに盛り上がったことがあり
ます。

音楽はどれ、花はなに、最後だからと我侭放題をして・・・。
すっかり気分よくなって元気に。 「まてよ、もう少し生きて
みるか」「わたしもー」と途中でキャンセルして帰ってしまう
人続出かもねぇ と。

… いろいろ思うこと多い今日この頃 …
でも、こんなふうにカラッと死について考えるのって、
悪くないなと~



稽古

2013年08月23日 | 謡と仕舞
8月20日 (火曜日)   


 謡曲   加茂 
    
 脇能  (所)山城国 賀茂  (季)夏

 稽古 4回目

地「誰も知れ老いらくの 暮るゝも同じ程なさ。今日の日も夢の現ぞと。うつろふ影は有りながら。濁なくぞ水むすぶの神の心汲まうよ。神の御心くまうよ。

ワキ詞「げに有難き御事かな。さてさてかやうに委しく語り給ふ。御身は如何なる人やらん。

シテ詞「誰とはなどや愚なり。汝知らずや神慮におもむき。迎へ給ハば君を守りの。 此
神徳を 告げ知らしめんと。顕れ出でて。

地「恥かしや我が姿。恥かしや我が姿の。真を現さばあさましやな あさまにやなりなん。よし名ばかりはしら真弓の。やごとなき神ぞかしと。木綿四手に立ち紛れて神がくれになりにけりや 神隠れになりにけり (中入来序)

「日の暮れるのと同様、老いはたちまち来ると誰もが知っているのに、一日を夢のように暮してしまうのだ。はや夕日影を映しているこの、濁らず清い流れを湛えている川の水を汲もう。そして、ありがたい神の御心に応えよう」

    (という女たちに神職は身元を尋ねる)

「さて、このように詳しく話して下さるあなた様は、 一体、どのようなお方なのですか」

「誰かとは愚かな事を。神のおぼしめしに沿って待ち迎え給えば帝をお守りするという、神のご意向を告げるために現れ出たのだ。

「この世に姿を現すとは、 何と恥ずかしい事であろうか。 真の姿を現わせば、さぞ、浅ましくなろう。たとえ名は分らなくとも尊い神である。と、女たちは 白い四手に紛れ隠れしてしまった。


  誰も知れ老いらくの 暮るゝも同じ程なさ
  今日の日も夢の現ぞと ~ か

な~んか沁みますねえ … 気持ちが横道にそれますねえ …


 「惜しめども春のかぎりの今日の日の
          夕暮にさへなりにけるかな」

  と、月日の速さを嘆こうか
  いやいや  

Work! for the night is coming ~♪
ここは、聖歌321番で通り抜けるとしよう

  せいだしいそしめ ながつとめに
  あさはまもなく すぎゆきて
  ひざしたださす まひるとなり
  はやくもゆうべと なりぬべし !

と、行進曲のような聖歌で気を取り直し、たるまぬように、
さっ、お稽古お稽古 … 

だって、またまた難しいのです。
それに、全く覚えられないのは、どういうことか。
何度も繰り返せば少しくらい覚えていように…さっぱり。
頑張れば覚えられるのかなあ




夏休みの孫たちとお絵かき

2013年08月18日 | 身近なこと
いーちゃんとばあばの お絵描き も、今回で5回目になりました。いーちゃんは、「ばあば、今度の絵の題は『昆虫』にしようね」と、決めていました。

私は今回、いーちゃんあーちゃんのパパが幼稚園のお絵かき教室で描いた作品を少しだけ飾っておきました。





  

 子どもの絵は楽しくて力強くて大好き

 
さて、いーちゃんがクワガタを、ばあばが木の葉を描いていると、お昼寝から覚めたあーちゃんがご機嫌でやってきました。

「ぼくも描くね!」と あーちゃんは、大好きな黒のクレヨンを握り ~♪ … う~ん…「おっと あーちゃん、そこはお空よ」 「あー、にいにが描いているところ…」と、二人に言われて、「そっかー」と、あーちゃんは下の方にヘビを描きました。が、微妙に邪魔にされていると感じたのか、クシュ~ンと下を向くと泣き出してしまいました。

悪かったな…。 あーちゃんはパパと絵を描いて、少し元気が戻りました。

 

いーちゃん9歳、あーちゃん3歳、ばあば…歳の夏の作品、完成です。
(太陽と雲とヘビとヘビのお家をあーちゃんが描きました。一部、ばあば加筆)
   

夏休みの孫たちと家で

2013年08月18日 | 身近なこと
なんて元気~! 夏の日差しをものともせずに、朝から「ねえ、じーじ、公園に行こうよ~」。そして汗びっしょりになって帰ってくるのです。  
    
前回までは「アプチ!」と言っていたあーちゃんは、もう「アイスクリーム」と言えます。バニラ味が好きです。

 
いーちゃんは、宿題をしています。


いーちゃんは プールに行った翌日、お熱が出てしまいました。風邪気味のようでした。それで、バアバと寝転びながら遊びました。

「わたしがイメージしているのは何でしょう遊び」をしました。「それは、大きい物ですか?小さいですか? 食べられるものですか?」などと質問して、相手がイメージしているものを当てるゲームです。

それから、お話を交互に作っていく遊びも楽しかったです。「お化けたちが小学校の教室で夜中にパーティを開く」という始まりから、お化けちゃんがうっかり予定を黒板に書いたまま消し忘れたので、学校の先生や子どもたちに見つかってしまうという展開になり~面白い結末にまで行ったのに…
「うん、素敵なお話が出来たねえ。絵本作れるかも」と笑っているうちになんだかあやふやになって、忘れてしまいました。


…その日の夜、今度はバアバが体調をくずしてしまいました。夕食の前に皆がお風呂に入っている時、立ち上がって歩こうとしたら体が斜めなってしまったので、そのまま寝室に直行し寝てしまいました。心配かけましたが、夕食抜いたら次の日は治りました~食べ過ぎだったのかな… ママからお手紙もらいました。ありがと

兎も角も、お出かけもお家の中でも、楽しく活気あふれる日々でありました。


    

夏休みの孫たちとお出かけ

2013年08月17日 | 身近なこと

来ました~ いーちゃんとあーちゃん~

元気の素をきらきらさせて

心地よい風のように通り抜けていきました~


先ずは近場のプールです。海に隣接している施設で、9つのプールがあります。


 
い-ちゃん!どこに行ったの!?と慌てたら、飛び込み台の上に!(赤いマークのところです。これから前に進むところでした。)ドキドキしたババは、せっかくの雄姿を取り損ねてしまいました。高さ3メートルから飛び降りるなんて!勇気あるねえ。

  
いーちゃんは大きな水鉄砲や滑り台で楽しそう。上手に滑ったけれど、ママのところに走っていく途中でスッテン!
ママに撫でてもらえば大丈夫~ 


「生命の星・地球博物館」

      恐竜が大好きな二人に好評でした。

    
       地球を考える・生命を考える
エントランスホールから見る壁画
地球が美しく輝いています。


大きな地球儀がゆっくり回っています。火山はピカピカ赤く光っています。日本列島は真っ赤。
地球儀の横にビデオがあり、地球の内部の構造とその変動による地表への影響がわかりやすくが解説されていました。

重さ2.5tの隕石とか、巨大な水晶、恐竜の標本、化石、はく製などなど…広い建物にたくさん展示されていました。
 アンモナイトの壁の前で





タカアシガニの前で。
「タラバガニは、カニではなく、ヤドカリの仲間なのですって。それで足が4本ずつ!」と、松江育ちのママ、納得してました。

いーちゃん・あーちゃんは、お小遣いでそれぞれお気に入りの恐竜のフィギュアを買いました。難しい名前で私は覚えられませんでしたが、とてもリアルにできていて驚きました。


箱根芦ノ湖 海賊船








  

 

厳しい日差しでしたが、 たくさんのトンボが、ス~イス~イ。
  風の中にほんの少し、秋の気配がしました。
          




楽しい本

2013年08月11日 | 本と映画の話
犬との散歩は犬次第。散歩仲間に遇うも遇わぬも、立ち話するもしないも犬のご機嫌次第です。 時々は、「よかったら読んで~~」と渡された本を受け取りながら「ありがとう~~」とすれ違ったりもして、犬のお蔭です。そんなふうにお借りした中から、楽しい本2冊。


「人生はワンチャンス! 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法」

  水野 敬也 ・ 長沼 直樹 著  文響社 出版 

新聞の広告欄で見て、気になっていた本です。65枚のユーモラスな犬の写真と「大切な言葉」が記されています。ワンコたちはみな、けなげ、そして実にキュート!

「犬から聞いた素敵な話 涙あふれる14の物語」というジーンとくる本も借りました。


私からは、 「 神様の、くれた犬 」   並木 豊著 健友社 1000円をお貸ししました。この本は、2002年の暮れに友人が書いた本です。 愛犬が死んで供養のためにと 一気に書き上げました。 !!今 Amazonで調べましたら、現在、中古品の出品:4¥ 3,809より  ほぼ4倍のお値段になっています。オーイ トヨさん、知ってるか~い?! また読み返したけど、つくづくよい本だと思います。



さて、散歩仲間のシオさんから借りた楽しい本の2冊目は

「和菓子のアン」
 
   坂木司 著   光文社文庫出版


たまらなく和菓子をいただきたくなりました。そして、主人公のアンちゃんこと梅本杏子ちゃんが、北村薫さんの 『円紫さんと私シリーズ 』;「空飛ぶ馬」「夜の蝉」「秋の花」「六の宮の姫君」 「朝霧」の主人公にちょっと似ていて、実に爽やかなのです。

だって「源氏物語」の登場人物と同じお菓子を今でも食べられるなんて、すごいことだよね。ずっとずっと昔から、時間は途切れなくつづいていて、その時間の別名を、歴史という。だとすると、いつか私だって自動的に歴史の一部となる。本には残らない名もなき人生だとは思うけど、食べることでお菓子を次の世代へ残していけたらいい。


この国の気候や湿度に合わせ、この国で採れる物を使い、この国の人びとの冠婚葬祭を彩る。それが和菓子の役目。

この国の風土に根差しているからこそ、和菓子は上生菓子でさえ常温保存が基本なんですよ。

丁寧な生き方をする心地よさを思い起こさせてくれます。穏やかな日常の中から現れる小さな謎は、人の内面に寄り添いながら解かれ、優しさが残ります。
      
私は子どものころから「黄味時雨」が大好き~



北村薫さんの本を読みたくなって探しましたがありません。捨てたかな… 

「時と人」シリーズ の「スキップ」 「ターン」「リセット」特に好きだったな~ 

「リセット」 新潮文庫 

第一部は、戦前・戦中を背景に神戸の女学生が主人公。
第二部は、昭和30年代の自分が小学生だった頃の思い出を病院のベッドに横たわり語る男性が主人公。
第三部で、そのふたつのストーリーが繋がります。

    時は流れめぐりめぐって・・・

 「そうなのです。彼のうちにわたしも生きているのです」
  
  かの時に言ひそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど (啄木)
    

と、北村ワールドにまで空想旅行。
外は猛烈な暑さなれど、本はいいですねえ


今夜、息子一家が到着します。
さて現実。お婆さんに戻ります~




    

稽古2

2013年08月09日 | 謡と仕舞
7月31日 (水曜日)   


 謡曲   加茂 
    
 脇能  (所)山城国 賀茂  (季)夏


 稽古 3回目

ツレ「其母み子も神となりて。加茂三所の神所とかや。

シテ「かやうに申せば憚りの。真の神祇は愚なる。

シテツレ「身にわきまへはいかにとも。いさしら真弓やたけの人の。治めし御代を告げしら羽の。八百萬代の末までも。弓筆に残す。心なり。

ワキ「よくよく聞けば有難や。さてさて其矢は上る代の。今末の世にあたらぬ矢までも。御神体なる謂は如何に。

シテ「げによく不審し給へども。隔はあらじ何事も。

ワキ「心からにて澄むも濁るも。

シテ「同じ流れの様々に。

ワキ「加茂の川瀬も変わる名の。

シテ「下は白川。

ワキ「上は賀茂川。

シテ「又其うちにも。

ワキ「かはる名の。

地歌「石川や。瀬見の小川の清ければ。瀬見の小川の清ければ。月も流を尋ねてぞ。澄むも濁るも同じ江の。浅からぬ心もて。何疑のあるべき。 年の矢の早くも過ぐる光陰惜みてもかへらぬはもとの水。流れはよも尽きじ絶えせぬぞ手向なりける。 下歌「いざいざ水を汲まうよ。いざいざ水を汲まうよ。 

地ロンギ「汲むや心もいさぎよき。加茂の川瀬の水上は如何なる所なるらん。

シテツレ「いづくとか。岩根松が根しのぎくる。瀧津流は白玉の 音ある水や貴船川。

地「水もなく見えし大井川。それは紅葉の雨と降る。

シテ「嵐の底の。戸難瀬なる波も名にや流るらん。

地「清瀧川の水汲まは。高根の深雪とけぬべき。

シテツレ「朝日待ち居て汲まうよ。

地「汲まぬ音羽の瀧波は。

シテツレ「うけてかしの雪とのみ。

地「戴く桶も

シテツレ「身の上と。


とても清々しい謡であります。


こちら、桜川の鴨さんたち
そろって逆立ち。梅花藻をつついて、餌を探していました。
 

この日、師をお誘いして皆で暑気払いに。師は公私ともにお忙しいご様子なのですが、ご参加くださいました。 楽しいひと時でした。


 能楽師大黒さんに医師もゐて宵ひとときの暑気払い


ヤギさんは、この世に生まれ出る助け手の産科医師、セツ子さんは、あの世へ送り出す準備を整えるお寺の奥さま、そして、あの世とこの世を行ったり来たりの能楽師。 面白い御縁です 


稽古

2013年08月08日 | 謡と仕舞
… お稽古記録をさぼっていますな~ そろそろ記しておかねば…
と、前を繰ってみましたら、なんと前回の「2日分まとめ記録」が、≪下書き≫のままになっておりました。


 6月18日 (火曜日) 曇り  


 謡曲   加茂      稽古 1回目

 脇能  (所)山城国 賀茂  (季)夏



 [梗概] 
播州室明神の神職、水無月の頃加賀の社に参詣せり。河原を見れば、壇を築きて木綿四手に白羽の矢を立てあり、不審に思ふ折り柄水汲みに来れる女に仔細を問へば、此矢は賀茂の神體となり言ふ其謂を問へば、

女答へて、昔秦氏の一女、朝な夕な此川邊に出でて水を汲み、神に手向けけるに、或時河上白羽のより矢一つ流れ来たりて水桶に留まりければ、取りて帰り、庵の軒に挿し置きしに、主思わず懐胎して男子を生めり。

此子三歳の時、人々集ひて父はと問ひしに、此矢に向ひてゆび指しぬ。 此矢即ち鳴る雷となりて天に昇れり。即ち別雷の神なり。其母御子も亦神となりて賀茂三所の神所と申す也とて水を汲み来たりて神に手向けしが、眞は我は尊き神なりとて木綿四手の陰に姿を隠せり。 

やゝありて御祖の神顕れ、別雷の神亦現れ、種々神徳を示して立去り給ひけり。

… … むむむ?上記は、昭和7年発行の謡本「賀茂」についている文です。

私は、物語を楽しむ能力に欠けています。それで、この粗筋を見ても魅力が全く分らないのです。大概の謡本を私は面白くは読めません。

ところが、師の謡われるのを聴き、それをなぞっていきますと、どういうわけか楽しくなるのですから不思議です。


5月の日のお稽古

ワキ次第、ツヨク引き立てサラリ 「清き水上尋ねてや。清き水上尋ねてや。加茂の宮居に参らん。

ワキ詞「抑是は播州室の明神に仕へ申す神職の者なり。さても都の加茂と。當社室の明神とは。御一體の御事にて御座候へども。未だ参詣申さず候ふ程に。此度思ひ立ち都の加茂へと急ぎ候。

道行「播磨潟 室のとぼその曙に。室のとぼその曙に。立つ旅衣色そむる飾磨のかち路行く舟も。上る雲居や久方の。月の都の山陰の。加茂の宮居に着きにけり加茂の宮居に着きにけり。

シテ ツレ真ノ一声「御手洗や。清き心にすむ水の。加茂の河原に。出づるなり。

ツレ「すぐに頼まば人の世も。

シテ ツレ「神ぞただすの。道ならん。

シテサシ「なかばゆく空水無月の影更けて。秋程もなき御秡川。

シテ ツレ「風も涼しき夕波に。心も澄める水桶の。もち顔ならぬ身にしあれど。命の程は千早振る。神に歩を運ぶ身の。宮居曇らぬ。心かな。

下歌「頼む誓ひは此神によるべの水を汲まうよ。

上歌「御手洗の。声も涼しき夏陰や。

ツレ「聲も涼しき夏陰や。

シテ ツレ「糺の森の梢より。初音ふりゆく時鳥猶過ぎがてにゆきやらで。今一通り村雨の。雲もかげろふ夕づく日。夏なき水の河ぐま汲まずとも影はうとからじ汲まずとも影はうとからじ。

6月の日のお稽古

ワキ詞「如何にこれなる水汲む女性に尋ね申すべき事の候。

シテ詞「此方の事にて候か 何事にて候ぞ。先づ此のあたりにては見馴れ申さぬ御事なり。いづくよりの御参詣にて候ふぞ。

ワキ「げによく御覧じ候ふものかな。これは播州室の明神の神職の者にて候ふが。始めて當社に参りて候。なづまづこれなる河辺を見れば。新しく壇を築き。白木綿に白羽の矢を立て。剰へ渇仰の気色見えたり。こはそも何と申したる事にて候ふぞ。

シテ「さては室の明神の人にてましますかや。室の明神と當社とは。御一體の御由緒をば知ろし召され候はずや。御一體とも御神物とも。唯此神の御事なり。あからさまなる御事なりとも。渇仰申させ給ひ候へ。

ワキ「げにげに和光の神秘において。さまざまあるべき其のうちに。 詞「分きてこの矢の御謂。委しく語り給ふべし。

シテ詞「総じて神の御事を。あざあざしくは申さねども。暫く一義を顕すべし。昔此加茂の里に。秦の氏女と申しし人。朝な夕な此河辺に出でて水を汲み神に手向けけるに。 ある時河上より白羽の矢一つ流れ来り。此水桶にとまりしを。取りて帰り庵の軒にさす。主思はず懐胎し男子を生めり。此子三歳と申しし時。人々まとゐして父はと問へば。此矢に向かひ指をさす。此矢即ち鳴る雷となり。天に上り神となる。別雷の神これなり。


師の声が付きますと、清々しい六月の雅な世界が現れます。ま、私の声でぶちこわしますけれども。それでも、謡うと気持ちが良いです。 




 仕舞  経政 キリ  
独りお稽古が足りていないことは確か。同じご注意を受けることが度々あります。視線とか、つま先の向きとか… …他にもたくさん。

そのような状態ですのに、お稽古を重ねるごとに楽しくなります。ゆっくりと時間をかけて進むと、教えていただく動作・形がとても理にかなって美しいことに気が付きます。なんというか…居合のような、そのような作法に似ているように思います。


私は自信がないので、目がウロウロ動く。 見ているつもりなのに、漠然と顔を向けているだけ。 ~~あ~ぁ 普段の生活態度そのものじゃないか! 





  先月の稽古記録  

  謡「猩々」、強吟が強吟になりません。もどきです。ですが一応終了。
  ひとり秋の夜、これを謡いながら仕舞を楽しむのが望みです。