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ヒロシマ

2011年08月06日 | 活動

8月4日~6日、原水爆禁止枚方地区実行委員会で、被爆66周年原水爆禁止世界大会及び平和祈念式に参加してきました。3.11東日本大震災・福島原発事故以降初めての大会となります。私は4年ぶりの団長としての参加となります。
朝9:30~枚方市駅で、結団式及び出発式を行いました。竹内市長も参加し、激励のあいさつをいただきました。
昼すぎに広島駅に到着し、恒例の広島お好み焼きを食べ、ホテルに荷物を置いて、平和公園資料館前に集合し、折鶴平和行進に参加しました。枚方市原爆被害者の会から預かった千羽鶴は、平和公園内原爆の子の像に献納してまいりました。
核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会に参加。海外来賓のあいさつや、被爆者からの訴え、平和コンサート、そして広島実行委員会から長崎実行委員会へとピースリレーが行われ、平和アピールを採択し、全員で「原爆を許すまじ」を合唱して終わりました。

 

5日は、9:30~分科会に参加。私は、第1分科会に参加しました。
「福島原発事故と脱原発社会の選択」と題して、原子力資料情報室共同代表・原水禁副議長の西尾漠さんからの講演があり、福島県・福井県・島根県・山口県・青森県からそれぞれ報告が行われました。「脱原子力」「核と人類は共存できない」という立場を、原水禁大会は発足当時から取っています。そのことをあらためて参加したみんなで共通認識とし、行動することを確認し合った次第です。
ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアフクシマ・ノーモアヒバクシャ
今までは、原爆の被害者としての日本でしたが、福島の原発事故で、加害者となってしまったことに、本当に複雑な思いです。
平和ヒロシマ大会は、連合と核禁会議と原水禁との3団体共催の大会となるのですが、脱原発のスローガンに至らないことについて、5日の分科会「脱原子力」では、追及されていました。

午後からは、「フラッシュ・オブ・ホープ」という映画を観ました。ピースボートで世界を航海するヒバクシャの証言を中心としたドキュメンタリーです。「ヒバクシャ」が英語でもその言葉が使われていたことに「そうなんだ・・・」と妙に納得していました。
予定より早く終わったので、広島市役所旧庁舎資料展示室を見学しました。1945年8月6日被爆直後からの広島市の復興や被爆者救護運動に心血を注がれた人々の労苦の跡をはじめとして、戦前・戦後の庁舎の姿を写真や模型等で展示し、旧庁舎の被爆したい石段や敷石などを使って原爆による悲惨な体験を後世に伝えるとともに、広く平和の尊さを訴えるための記念施設です。
袋町小学校平和資料館も見学しました。被爆により、焼けてしまった小学校でしたが、当時鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原形をとどめ、被害者の救護所として利用されました。壁面には、被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く記され、現在も残っています。被爆建物として西校舎の一部を保存し、「伝言」をはじめ被爆資料が展示されています。

 

原爆と戦争展が、袋町小学校隣の市民交流プラザで開催されていたので、そこも見学しました。内容が多岐にわたっていて、インパクトの強いものでした。思わずパネル展の全容が載っている冊子を買ってしまいました。

 

枚方地区実行委員会参加者で懇親会をし、大いに盛り上がってハードな2日間を終えました。

 

6日今日は、広島原爆死没者慰霊式及び平和祈念式に参加しました。
座れたのですが、全然前が見えませんでした。
広島新市長の平和宣言は、今までよりは、身近な言葉で書かれた平和宣言であったように感じました。公募で選んだ被爆者二人の体験談が盛り込まれていたということもあったからかもしれません。
核兵器保有国に廃絶への取り組みを要請し、政府にエネルギー政策の見直しを求めました。
管直人首相もあいさつで、エネルギー政策について「白紙からの見直し」を強調し、「原発に依存しない社会をめざしていく」ことも述べられました。

 

広島平和の歌を合唱し、祈念式は終わり、枚方に帰ってきました。

 

 


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