きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

わかっているふり

2009-12-20 05:05:03 | 好ましくない
自分のために頑張る、というのは、すごくシンプルだし、嘘のつきようがないところがすごくすき、何より、自分のことは自分がよく知っているから、いちばん信用できる、とおもう。

それに比べて、人のために頑張るというのは、ちょっと胡散臭い。ほんとうなの?ってなる。不特定多数のためというのは嘘っぽいし、特定の人のため、というのは響きが恩着せがましい。
あと、不安。

だけれど、自分のためにだけ生活する、というのはどうしても限界があると思うのだよなあ。
突き詰めると、だったら死んでもいいんじゃないか、と思うことすらある。それは極論だけど、自分のためだけならば、求めるクオリティっていろんな意味でどこまでも下げられるんですよね。あれしなくても生きていけるし、特にこれしなくても生きていける、じゃあ何のために生きてる?ってなると、急に空っぽなことに気づいたりする。
外部に理由を求められることは、いい、ということ以上に、楽なのだと思う。○○のため、というそれだけで思考が停止する。それは楽。
だから、ちょっと楽したい気持ちもあるのかな。
だけれど楽した分だけのリスクというのも、当然しょっているのだけれど。
それを背負う覚悟もなしに人を信用してよいものか、と思うので、人に対する目線がぎらぎらしたものになったりするけれど、でもあんまりそれが行き過ぎると子供っぽい、とも思う。

とにかく、だからこそ自分の人嫌いがこわい。完全に嫌いなわけじゃないからこそ、人に嫌悪感を持つ自分を割りきれない。誰かといる未来を想像したいのに、この嫌悪感が、それをぜんぶぶち壊してしまうんじゃないかという恐怖に駆られてしまう。


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