苛々を溜めているつもりはないので、きっとこれは衝動なのだろう、と思った。
縋られると蹴り飛ばしたいと思うときがある。
自分の足で立てないからって寄りかかるなうっとうしい、そういうのが剥き出しになってる時って、何考えてもだめで、自分酷い奴だ、誰だって頼りにしたいときがあるだろうって思うのに、思えば思うほどもっともっと突き放してやりたくなる。それでようやく嫌われかねないラインになった時に我に返ったりして、ああごめんね、と思うのだけど、同じことをされたらきっとまた繰り返すのだろう、というのもなんとなくわかる。
中学校の時、一回だけそれがあまりにも露骨な時があった。
甘やかして、それは好かれるだろう、って自分でも思うくらいの優しさ。
相手が自分の方を向いたらいい、と思ってやっていたのに、いざこっちを向いて、ずっとそばにいられるとなんでだか怖くてしょうがなくて突き放してしまった。
そういうのは後々自分が後悔するのが、わかってからはやらないようにしたのに、いまだにその傾向があることに自分でびっくりした。
いろんなものを隠すのがうまくなっただけで、根本的にはあまり変わってないんじゃないかなあと思った。
縋られると蹴り飛ばしたいと思うときがある。
自分の足で立てないからって寄りかかるなうっとうしい、そういうのが剥き出しになってる時って、何考えてもだめで、自分酷い奴だ、誰だって頼りにしたいときがあるだろうって思うのに、思えば思うほどもっともっと突き放してやりたくなる。それでようやく嫌われかねないラインになった時に我に返ったりして、ああごめんね、と思うのだけど、同じことをされたらきっとまた繰り返すのだろう、というのもなんとなくわかる。
中学校の時、一回だけそれがあまりにも露骨な時があった。
甘やかして、それは好かれるだろう、って自分でも思うくらいの優しさ。
相手が自分の方を向いたらいい、と思ってやっていたのに、いざこっちを向いて、ずっとそばにいられるとなんでだか怖くてしょうがなくて突き放してしまった。
そういうのは後々自分が後悔するのが、わかってからはやらないようにしたのに、いまだにその傾向があることに自分でびっくりした。
いろんなものを隠すのがうまくなっただけで、根本的にはあまり変わってないんじゃないかなあと思った。
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