きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

飴玉の唄

2008-09-29 22:56:59 | おもった
本当この曲がすきで、深夜とかにこれをよく聞いて家に帰ると、すごいぐるぐると考えてしまいます。

こういうのに解説みたいのつけるの、ほんとセンスないなあ、って思うし、決まった何かがあるわけじゃないから、ずっと黙っていたかったけれど、でも私がこの曲を聴くたびに、どうしたらいいのか、がすごく変わっていく気がするので、書き留めておきます。











信じるって割と身勝手なことなのかなあ、と思いました。一方的に思い込むわけだから。それに、信じるって頼ることで、全権を預けるみたいな、預けるものは権利ではないけど、心のどこかをあげてしまってる状態だなあ、と思うのです。
あげられちゃう相手がいるのは幸せで、でも失うリスクを伴っていて、どうしたらいいのかな、って。
だから、信じるのが善だから信じるんじゃない、きっと信じるときは私が信じたいときだから信じるんだろうな、と思う。

祈る、って行為より、すべきことがあるだろう、もっと、ってことなんだろなって。でもずーっと聞いてたら、強がってるように聞こえて、だって、勝てない、負けない、祈らない、なんてわざわざ言ってるってことは、そうじゃない不安があるのかな、と思いました。
でもそこに、笑ってくれる君がいて、頭の中で考えてるぐちゃぐちゃがすべてほどける、でもそこで、同時にずっとどうしよう?って思ってたのがぼやけちゃうんです。
ぐちゃぐちゃがほどける瞬間がなまものにある、ってところが、すごいすきだけど、だからひとりごととかもすごくすきなのだけど、でも同時に、そんなになまの人間同士でそんな感覚になったことがないから、私が本気でそんな風に覚悟を決めてないから、それが決定打になるなんてことがまるで私には想像ついてないんだと思う。

私が泣いていたのは、そんな相手がいたらいいのに、って思っているだけで、全然スタート地点に立ててないなあ、と思う。出会ってるのに私が覚悟を決めてないのかもしれないって思う私は、こんな風に人を思う人がいるんだ、ってだけで涙が出た。
でも、最近は、自分どうする?ってことをずっと考えていて、ここで出た答えがすべてでないにしても、ひとりの人が出した答えに触れることで、どうしたらいいのかわかるんでないかと思って、何度も何度も聞いてしまう。
結局、君が笑う、とわからなくなってしまうのだけど…


やっぱり言葉にするもんじゃないな…

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