よく読むブログに、身内が亡くなったことが、書かれていた。
詳細な最期だった。
常々、思っているのだけど、たまに人は、自分から抜ける、ということが必要なんじゃないかなと思う。
抜ける、というと何だか幽体離脱でもするみたいだけど、
自分を外から眺めると言えばいいだろうか。
例えば、笑うこともそうだと思っている。
そういうふうに、自分から抜けるということが、逆説的に、自分に正気を保たせてくれているというか。
自分という、狭い視野を、背負い続けることは実は自分を追い詰めることだと思う。
きっと、何かを書き起こすというのも、そういう抜ける行為何だろうなと思う。
私は、全くの他人でしかないのだけど、その人の気持ちが癒えるといいなと思っている。
詳細な最期だった。
常々、思っているのだけど、たまに人は、自分から抜ける、ということが必要なんじゃないかなと思う。
抜ける、というと何だか幽体離脱でもするみたいだけど、
自分を外から眺めると言えばいいだろうか。
例えば、笑うこともそうだと思っている。
そういうふうに、自分から抜けるということが、逆説的に、自分に正気を保たせてくれているというか。
自分という、狭い視野を、背負い続けることは実は自分を追い詰めることだと思う。
きっと、何かを書き起こすというのも、そういう抜ける行為何だろうなと思う。
私は、全くの他人でしかないのだけど、その人の気持ちが癒えるといいなと思っている。
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