きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

押しつけがましさ

2009-02-06 04:36:35 | おもった
さっきの記事を書いてて思ったのですが、もう昔みたいな日記は書けないのだろうかな、となんとなく思いました。
持っているもので、変わりたくないなあ、と思っているところはいっぱいあったのにな。昔は、押しつけられたくないと思う一心で、おしつけないよう文章を書くことに必死だったけれど、多少押しつけられても平気になると、逆に他人に押し付けても平気になっていって、文章がどんどん粗雑になっている気がしました。
なんだか途中で句読点…というか句点を打たなくなったことすらありました。句点うつと断定的な感じがして、押しつけがましいなあ、ってそれすら心配してたくらい、ばかみたいな臆病ものだった。
でも、なんだろ、変な話たぶん最近押しつけの大切さがわかってきたのだと思います。
押しつけって言うと違うけれど、インパラみたいにおどおどしていてもしょうがないな、という。
自分の言ったことが当てはまらない可能性を考えておどおどするのって、すごく会話にじゃまなんだな、って。
間違ってたらどうしよう、ってずっと思って、正しいことを言わなきゃ、とも思っていたけれど、でもそうすると、話してる相手をどんどん見れなくなる。
相手の人に、わかられてしまう。自分が話してるのは、その相手じゃないこと。
相手じゃない、何がしかに私はひたすら話しかけていたけれど、そこに返事があるわけもなかったのだな、と思う。怖がることは靄で、靄にずっと話しかけていた私。
自分の恐怖を拭い去るために話すのは、ちょっと違うな、って。
誰だって、自分と話したい、と思って話してほしいよなあ、って思うのです。

でも、最初から話したい!が露骨だと怖がられることもしばしばで、どうしてかっていうとその話したい!がうまく形作れなかったか、それ自身が嘘だからなのだろうな、と思う。
とりあえず友達ほしい、みたいな邪心で近づいてられると怖い、みたいな。
それは相手への興味というより、自分への興味に近いものなんだろな、と。

ここまで書いといて思ったけれど、それに必要なものがあるのに、その存在を抜かして書いてたなあ、と思った。
それはまた今度考える。今書くと、ただの酔っ払いの文みたいになりそうで怖いです。ただ眠いのだけど。

どんどんいろんなことに無頓着になって、最終的にはちょっと横柄な感じのおばちゃんにでもなって年をとっていくのかな。人ってわからんな。

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