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いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

帰省して

2017-09-24 | 日記

 9月、とあるイベントでピアノを弾き、その後、帰省していた。イベント自体は、数年前から知っていたのだけど、出演に踏み切ったきっかけは、出演を考えたというピアノ仲間のおかげ。それまでは、イベントに対する、敷居の高さを感じがちだった私なのだけれども、そういう敷居を決めるのは、いったい誰なのだろう。確かにその作曲家は、譜読み以降が大変だと言われている、作曲家だけれども、今回のおかげで、ほんの少しだけど触れることが出来たような気がした。そのような経験、踏まなければ、弾けるときは、永遠に、やってこなかったかもしれなかったのだ。

 帰省中、デュオの素晴らしい演奏会を聴いたり、友人と、話をしたりした。とても主体的に、建設的に、音楽とかかわっている友人の話に刺激を受け勇気ももらった。そしてふと感じた。私は、ピアノと、どのように向き合っていきたいのだろう、と。今までは、ただただ、うまくなりたい、美しい音色で弾けるようになりたい、憧れの曲が弾けるようになりたい、ということしか、考えたことがなかったのだけど。

 母が大原美術館に行きたいと言っていたので鈍行電車で行ってきた。二十年前に見た、エル・グレコとセガンティーニの絵と、倉敷の美しい風景を、どうしてももう一度、見たかったのだそうだ。そして、どちらにも再会することができて感無量だった。実は母とは二十年ばかり前にも倉敷に一緒に行っていた。再び行くことになるとは、当時、母も私も、想像すらしていなかっただろう。しかも今の私は、遠方に住んでいるのに、だ。行けて本当に良かった。ちなみに倉敷にはポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルシェフスキがやってきて、10月3日に演奏会があるとのこと、すごく羨ましい。思わずチケットぴあで、うっかりチケットを買いそうになっていた、危険、危険。


半月経過 そして、読んでいる本

2017-08-18 | 日記

 8月1日久しぶりに更新してから、あっという間にお盆も過ぎ、半月がたっていた。その間、帰省はしなかったものの、バロックダンスの実践、友人のコンサート、面白いレトロ記念館の訪問、関東在住で富山出身の友人との久しぶりの再会、そして部屋の片づけなど、いろいろあった。部屋の片づけは、ずっとなんとかせねばと思っていた懸念事項、よくこんなものまで持っていたと思えるものばかり、こんなものを溜めこんでいるから片付かないのだと思い容赦なく燃えるごみ行きへ。部屋の片づけをすると、片付け以上に、今まで歩んできた軌跡をしみじみと思い出したりして、心の整理になるものだと思った。そしてこのお盆休みの間にうんと進めておこうと思っていたはずの色鉛筆の絵は、結局2枚下絵だけ描いた。これから色付けだ。

 図書館で借り、今読んでいる本は二冊。仰木日向著まつだひかりイラスト『作曲少女 平凡な私が14日間で曲を作れるようになった話』と、池辺晋一郎著『モーツァルトの音符たち』。なんとか読み終えた『作曲少女』は、自分の軸を見つけたいと思ったごく普通の少女が同級生の作曲家のプロの少女から作曲法を教わる話。理論よりもまず作る、という考え方とともに、「自分の好きなもので周りを囲み、何で感動したか自分の気持ちをはっきりとさせるのが大切という考え方と、「耳コピ」と「作曲家の作った曲をまねること」の大切さを説いているところが、目から鱗が落ちる内容で、それだけでこの本に出逢ってよかったと思った。

 『モーツァルトの音符たち』は読み始めたところ、ドミソだけであれだけ多彩な音楽を数多く作っているということへの驚きと、交響曲41番ジュピターのからくりの所まで読んだのだが、楽譜による実例を挙げながら解説していて、非常に面白い好著だと思った。本を開いてその楽譜のところを指で触れたら音楽が流れたらもっと読みやすいだろうな、と、どうしようもなくわがままな発想も浮かんでしまったのだけど。。。。


8月1日

2017-08-02 | 日記

 今日から8月になったが、その2017年8月1日がもうすぐで終わろうとしている。PCの調子が思わしくなかった今日、バッテリー交換を行うということで決着。いつかPCのデータ、バックアップをとっておいた方がよいかもしれない。突然動かなくなる日がやってきてパニックに陥ったら元も子もないから。

 8月1日、私の住んでいる富山では花火大会が行われる。朝の時点では心配だった天気、だんだん良くなってきて、今日も無事に開催された。自宅から見ることが出来る有難味に甘えて、昨年までは、途中まで見ては中断して他のことをしたりしたくせに、写真だけは撮ろうと意気込んだりしていた。どちらにしても、落ち着きのない鑑賞状態だった。しかし、今年は、なぜか、最初から最後まで、きちんと見たいと思ったので、最初から最後まで、中座もせず写真も撮らずに、部屋を暗くして見た。炎の筋が、下から、すうっと上がっていき、一瞬消え、その数秒後に、溜まりに溜まった、炎のエネルギーが爆発し、夜空に一瞬のうちに開花する、その瞬間の美しさに、毎回、心奪われる。炎の筋、一本でスタートすることもあれば、同時に数本でスタートすることもある。数本でスタートした筋が入り混じり重なり合った状態で花火が広がる瞬間、ほんの数秒なのにもかかわらず、目に深く焼き付けられる。見る側の私たちは、その美しさに浸り、それに伴う心のゆらぎに身を委ねるだけなのだけれど、打ち上げる作業をしている花火師たちはその瞬間体を張って必死なのだろう、と思うと、さらに心揺さぶれれる。限られた時間での極限の美。今、聴く方も弾く方も最もはまっている、モーツァルトのピアノソナタが、頭の中で浮かんだ。夜空や花火から、モーツァルトの音楽が頭に浮かんだのは、今回が初めてだったのだけど、花火とモーツァルトのピアノソナタって、実は合うのではないか、と思えてきた。

 その花火を見ながらもう一つのことも思い浮かべた。3年前の今日、私たちは、この地に足を踏み入れた。その時は、これからどのような生活が待ち構えているか、想像すらできていなかった。そしてその日から、3年が経った。早いものだなあ。。。その間、色々あったけれど、今こうやって元気で過ごせていてよかった。


のんびりじっくりのはずが・・・

2017-03-03 | 日記

 某本番が終わってひと段落、ちょっとのんびりしようと思っていたのだが、別方面から何かがやってきた。なんだか落ち着かない。

そういうときほど、心を落ち着かせるべきなのだが。でも忙しいぐらいが、ちょうど良いのかもしれない。

ただ今月末完成目標の絵が描けるだろうか。不安になってきた。でも早く描けばよいというものではないというのも分かっている。じっくり時間をかけて、素晴らしい絵を描かれている方もいるのを知り、少し考えが変わりつつある。どちらにしても、必ず完成させるつもりだけど。


明日から三月

2017-02-28 | 日記

 早いもので明日から三月、春の息吹だ。昨日、今日と天気が良く、青空が気持ちよかった。長くなり過ぎていた髪も少し切ってリセットした。それと一緒に気持ちも前へ向けようと思っている。

 今月はかなりはまっていた某SNSを休止。このSNS、実は楽しかった。特にやりとりのあった人には情が湧いていた。そしてこのSNSから私は本当に多くのことを学んだ。しかし私自身がキャパオーバーになっていた。体力面でも精神面でも、限界になっていた。その割には私の場合文章作成が下手なのか一旦書き出したら字数制限をだらだらと超えてしまうのだった。どちらにしても今そこで限界になっていてはまずいと思った。影響を与えたり受けたりというのは、素晴らしいことだと思うのだけど、それでもやっぱり、自分があって、生活あってのSNSだと今は思う、自分を失ってしまっては、元も子もない。言葉を、取り戻したいと思った。すべての人からの好感度を良くするというのは、無理なのだということも知った。色々落ち着いて、いつか復活する日が訪れたとしても、ブログは絶対に続けようと今は思う。