いろはにぴあの(Ver.4)

大人になって再開したピアノ(中級レベル)を楽しんでいます。よろしくお願いします。自然大好き!

なばなとホタルイカ

2017-02-28 | グルメ

 先日買っていたなばな、何に合うだろうかと思いながらクックパッドを見ていたらホタルイカと炒めるメニューを発見。店頭にホタルイカが出ていたのを思い出した。春を感じさせるメニュー、早速作ろうと思った。

 オリーブオイルでなばな、ホタルイカを炒め、塩、胡椒をまぶし、最後にちょっと水で溶かした片栗粉を入れて炒めてみた。

 

 

 滑川のホタルイカミュージアムのレストランにも、菜の花とホタルイカのスパゲッティがあったのを思い出した。

 

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明日から三月

2017-02-28 | 日記

 早いもので明日から三月、春の息吹だ。昨日、今日と天気が良く、青空が気持ちよかった。長くなり過ぎていた髪も少し切ってリセットした。それと一緒に気持ちも前へ向けようと思っている。

 今月はかなりはまっていた某SNSを休止。このSNS、実は楽しかった。特にやりとりのあった人には情が湧いていた。そしてこのSNSから私は本当に多くのことを学んだ。しかし私自身がキャパオーバーになっていた。体力面でも精神面でも、限界になっていた。その割には私の場合文章作成が下手なのか一旦書き出したら字数制限をだらだらと超えてしまうのだった。どちらにしても今そこで限界になっていてはまずいと思った。影響を与えたり受けたりというのは、素晴らしいことだと思うのだけど、それでもやっぱり、自分があって、生活あってのSNSだと今は思う、自分を失ってしまっては、元も子もない。言葉を、取り戻したいと思った。すべての人からの好感度を良くするというのは、無理なのだということも知った。色々落ち着いて、いつか復活する日が訪れたとしても、ブログは絶対に続けようと今は思う。

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先日のステージ

2017-02-28 | ピアノ、音楽

 先日はステージ、ブラームスのラプソディ第2番を弾いてきた。
 曲の流れを途切れさせないように、曲に込められた激しく狂おしい情念を演奏を通じて伝えたいという思いで臨んだ。 

 出場者は順番が近づくと移動する。勢い込んで早めに出演者のコーナーに出向いてしまった。前のめりだ、これがよい方向に向かえばよいのだが。練習時と同じく暗譜、真っ白にならないよね、ならないでねと念じながら。

 弾き始めた。途中から何かが違う感じがした。弱音が美しいところ、想いを込めたいところにかぎってうまくいかない、極度の緊張と、曲自身の高揚感にひっぱられたのか。自分の手が自分の手ではないように思え、ミス、弾き直しも。今までと同じ教訓、なんとなくうまく練習時に流れていた、というところほど、危ない。練習時の隙が演奏時にとことん洗い出されたような気がしたひとときだった。まさにステージ上デトックス。。。弾いた後の脱力感がすごかった。直前まで感じていた肩こりや腹痛が、一気に吹っ飛んでしまった。

 聴いてくださった先生方からの評価、良くないだろうと思っていた。しかし、良いところに目を向けていただき涙が出そうになった。その言葉から少し自信、そして大きな勇気を頂いた。この部分、もっと大切にし、伸ばしていきたいと思える、希望を持てそうな言葉。落ち込んでいる私の心を読まれてしまったかもしれない。しかし、今回の私にはそれが救いに感じた、本当は、もっとタフになりたいけど。

 大人の方たち、色々な方が演奏されていた。親子で出演されていた方や、50歳をきっかけにピアノを始められたという男性の方もいた。ピアノや音楽は一生もの、これからも末永く続けられるもの、だからずっと大切にしてほしいとの言葉、心の中にしまいこんで、今後の糧にしようと思った。

 この曲、一か月強後に再び本番予定。新曲の譜読みをしているような気分でリセットしようと思う。早速弱点発見、右手も左手も指をくぐらせるところが硬いのでそこだけ取り出し滑らかに動くようになるまで練習。自分の中で、曖昧なままなんとなく弾いているところを無くす。確信を持って弾けるように。

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きっかけ

2017-02-24 | 日記

 仕事場の環境が大幅に変わった最大のきっかけの一つがWindows95の登場だという話が出た。Windowsの登場前と登場後とで、仕事の効率が大幅に上がっただけではなく、仕事の仕方、求められる仕事の種類も異なるようになった。しかしその事実も既に過去の話、時代の流れはますます加速化し、その加速化現象が当たり前のようになっている。

 私のピアノの再開にまつわるきっかけを思い出してみた。独学で再開したきっかけは、ラジオで聴いたショパンを始めとしたピアノ曲(当時は演奏者には全くと言っていいほど無頓着だった)に運命らしきものを感じ、このような曲が弾けるような人生を送りたいと思うようになったからだ。そこで学生時代にアルバイトで買ったデジタルピアノでハノンから練習した。子供のときに弾いていたアップライトピアノは、とある事情で、途中から住んでいた自宅に置かなくなっていたので、ピアノが家にやってきたときにはものすごく嬉しかった。自己流での譜読みが楽しくてたまらなかった。聴く側だった当時の先生からしたらそれはそれはもうひどいものだったそうだが。そしてレッスンに行ったきっかけは、職場で理不尽なことがあった瞬間、仕事や机上の勉強の世界しかない人間から脱出したい、本音で好きなこともできないまま終わる人生なんて嫌だと思い、ピアノ教室に駆け込んだことだった。そしてピアノ仲間を探したいと思ったきっかけは、職場で一緒だった劇団をやっていた友人による、仲間を作ったらどう?という後押しの一言と、辛い青春時代を送っていた青年がピアノを弾くことで人生が好転しバラ色になったという大人からのピアノ人生について書かれたとあるサイト(今は閉鎖)を読んで感動したからだった。私もピアノを再開して人生をバラ色にしたいと思った。原動力はハングリー精神。人前で弾けるチャンスは真っ先にゲットして演奏を人に聴いてもらう人生を送るのだと意気込んでいた。しかし良く考えてみたら何も分かっていなかった。実際に、人前で弾く機会、そして自分の演奏を録音して聴く機会を重ねれば重ねるほど、自分の演奏レベルというもの、そして今となっては限界らしきものも分かってきて、穴に入りたい気持ちになったのは言うまでもないのだが。

 今になってなぜこのようなことを思い出そうとしたのか、自分でもよく分からないのだが、思い出す時期は、個人的には、よい時期だった気がする。でもなんか不器用で青臭いけど。

 「意識高い系」という言葉が出回っている。古谷経衡氏が文春新書『「意識高い系」の研究』という本を出していた。内容への興味と著者の強烈なインパクトに惹かれて手に取ってみた。「意識高い系」と真に「意識の高い人」との違いを本人の体験と具体例を挙げながら述べているのだが、読んでいくうちに、冷や汗が出そうになった。中身のない中途半端な、そして面倒くさい存在の「意識が高い系」、いつの間にかその罠に、陥っていたかもしれない。

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語り合い

2017-02-22 | ピアノ、音楽

 ブラームスの本番が確実に近づいている今、昨日のレッスンはその前の惨憺たる状態からなんとか立て直したものの新たな課題への対策に直面、しかし音楽が確実に体の中に入っている充実感も感じている。ラプソディ第2番、転調を交えつつも、3連符の動きが絶えることのない中間部、33~37小節目、37~41小節目、41~45小節目、45~49小節目、50~54小節目のこだまの様な受け渡しが、ブラームスとブラームスがこの曲を献呈したというエリーザベト・フォン・シュトックハウゼンが対話しているのように思えてきてぞくぞくしてきた。そこからフォルテッシモを含むフレーズが反復、そして消え入るようなピアニシシモへの移行、その部分のうごめくような世界を、うまく表現できたらいいな。それにしても向き合えば向き合うほど、この曲の底の深く激しい情熱と狂気のようなものを感じる。今まで弾いた作曲家では感じたことのないような感覚、弾いていても曲のパワーに引っ張りまわされそうになる。そういうところが、怖さであり、魅力のように思えてきた。

 演奏者として、どのような姿勢で対峙するか。。。実際は音を外さないように弾こうとするだけで必死になるかもしれないけれど、それでも作曲家への敬意と感じた曲の魅力を聴き手の方たちにお裾分けする、という気持ちを持てますように。

 友人たちが頑張っていたり夢を実現したりしている様子を知り、刺激と勇気を頂いているこの頃。そこに行きつくまでにはいろいろあるかもしれないけれど、行き先の灯台の存在を明らかにしそれを心の支えにするというのも悪くない、と思えてきた。私自身も今までなんとなく蓋をしていたことに向き合えた、今日はちょっと前へ進めたかな?

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