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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「鎌倉殿の13人」のラスボスは、北条泰時だと思う。その17

2022年10月30日 15時42分37秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画
続きです。

大江広元は1125年6月10日、急に下痢を伴う病となり、その日の内に死亡したと言われてます。享年78歳です。

北条政子は1125年5月29日に発病し、頑張ったが同年7月11日に死亡している。

北条政子の発病と大江広元の死はたった11日の違いです。偶然で片付けられない。毒殺だとしたら犯人は同一人物と考えられます。やはり暗殺だったとしたら北条泰時の犯行だと思います。

ところで大江広元ですが、彼が存在していなかったら私の姓は長田でした。だから凄く興味があったのです。

でも、目的が分からない。名誉欲があった。自分の力を試したかったとの思いは感じられますが、それだけでは論じられない。私は空恐ろしさを感じます。

もし大江広元について回答を出さねばならないのであれば、「大江広元はサイコパス」だった。人に伏したり、煽てたり、時には恫喝し、自分の思い通りに駒を動かした。人との争いそして戦を楽しんでいた。

自分は戦わない。戦うのは机上の上でのみ。将棋を楽しむが如く戦を楽しんでいたのではないか。

そうなるとやっぱりサイコパス。とてつもない知能と知識を有しているサイコパスだと私は思う。

それに北条泰時も気が付いた。ほっておいても長くは生きれないのは解っているが、鎌倉の御家人、そして源氏を翻弄した大江広元を病では殺さない。

暗殺しなければ鎌倉御家人や源頼朝とその子達が浮かばれない。その想いから北条泰時は大江広元の暗殺を決行したと考えます。

北条義時、北条政子、そして大江広元は死んだ。これで北条泰時は終わりとした。

執権とはなったが、鎌倉御家人の実質的なトップには三浦義村が握った。泰時もそれを許した。っと言うより自分は大江広元を目指した。

北条家には長老として北条時房が存在する。泰時と時房は北条家のツートップとして互いに対峙しながらも、北条家の存続の為に協力した。共に時政、義時みたいな真似はしたくないという思いがあったから。

その後、鎌倉幕府は蒙古襲来となり、戦は勝利し御家人たちに与える報奨が出せず、北条家は御家人から不満を持たれてしまう。そして滅亡。北条氏とは親戚筋の足利尊氏が室町幕府を起こしています。

結論から言うと、この時代の文化、思想、命よりも面子と権力、権威、そして領地が重要視される感情では、誰が政権を握っても長くは続かなかったと思いますね。

さて、タイトルに対しての総括ですが、鎌倉幕府を動かしていたのは大江広元。として新たな大江広元にならんとした男が北条泰時。

大ボスで対峙したラスボスの泰時。その想いが「鎌倉殿の13人」のラスボスは、北条泰時だと思いました。

北条泰時は私情を捨て、北条家同士の争いは避け、政敵になる要素のある時房、政村、朝時を重んじた。例え騙されても義時のようには生きたくない、その想いが強くあったと思いますね。


ではでは。








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