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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

三途の川の橋を渡れる人を考察する。

2020年07月03日 09時50分40秒 | 信仰
今回の話、過去に下書にしていて、そのままにしていた記事です。下書きにしている記事は100以上あります。折角書いたので、多少手直しをして出したいと思います。


私の人生のテーマは生と死だったりします。私と同じ家系の三島由紀夫もそうみたいです。

死んだらどうなるのか。そんなこと分かりませんね、死んでみないと。

死んだが、三途の川から戻ってきたと言っている人は大勢いますが、彼らの話が本当かどうかなんて誰も分からない。それは人それぞれで良いのかも知れない。

否、これまで生きて来て知りえた知識、経験、自分の性格、信条、感情を脳が判断して、あの世を自分で創り出すのかも知れない。

世界中で死後の世界が語られていますが、それは一つの指標。どれを信じるかは人それぞれ。死後の世界なんて考えても仕方がない。全部が同じとも考えられませんし。

さて、難しいことはさて置き、日本は一応、仏教が国教なんで死んだら天国か地獄に行くと言われてます。

死んだら渡らなければならない三途の川。その名は「三通りの渡り方がある川」を意味してます。十王教での教えです。

上流から山水瀬(浅水の瀬)、中流の有橋渡(橋渡)、そして下流の江深淵(強深瀬)。

この中で一番の罪人が渡るのは江深淵(こうしんえん)です。

兎に角、深いです。溺れて死にます。しかも毒蛇がうようよ泳いで噛み付かれて死にます。

更には息継ぎしようと川面に顔を出すと「大磐石(だいばんじゃく)」と言う鬼、もしくは悪魔がいて、棍棒か金棒だかで頭をぶっ叩かれて、木っ端みじんにされてぶっ殺されちゃいます。

でも安心してください。大丈夫です。直ぐに生き返りますから。そしてまた溺れ死んだり、毒蛇に咬まれたり、ぶっ叩かれたりして死ぬ。そしてまた生き返り、また殺される。その繰り返し。

これはキツイです。三途の川の川幅は448キロメートルも有りますから。これは死んだままの方が良いです。

でも既に死んで三途の川を渡っているのに、殺されて生き返るのは変な話。矛盾している。だから私は仏教系はあんまりピンと来ないのです。

一番上流の山水瀬(さんすいせ)は、一度でも罪を犯した者が渡る瀬です。瀬の深さは膝下位で浅いです。

でも渓流釣りしているから分かりますが、流れる川の中を歩くのは結構キツイです。しかも石もあるから歩きにくい。それを448キロメートルも歩く。まぁーしょうがないのかも知れないけど、やっぱり簡単ではないでしょうね。

一番楽なのは、一度も罪を犯した事がない善人しか渡れない有橋渡(ゆうきょうと)です。善人は橋を渡ってあの世に行けるのです。

この橋は金銀財宝が散りばめられています。448キロメートルを歩くのは大変でしょうけど、それはしょうがない。出来れば私も有橋渡で三途の川を渡りたいもんです。

でも、今まで一度も罪を犯したことが無い人間なんているのでしょうか。

誰が言っているのか知りませんが、聞くところによると有橋渡で三途の川を渡れる人は1万人に1人もいないそうです。これは至難の業だ。どう言う人が善人なのだろう。

実は以前、「神に追われる人」の記事を書いていて有橋渡が出来そうな人を発見しました。それは「神に追われる人」。つまり神に認められたユタや巫女等々のシャーマンです。

「人助けをしろ」と神に強制され、自分の夢も希望も生活も捨てて神に従うユタ。そして巫女。この人達は死んでも有橋渡で三途の川を渡れるのではないか。

例えば「神に追われる人」で具体例としてあげた女性がそうではないのか。

16歳で透視能力を見につけ、「お前は人助けをしなければならない」と神に散々言われ続けた女性が、三途の川を有橋渡で渡れる人ではないかと思うのです。

神に追われてユタになった彼女は、職を何度も変えても神に邪魔をされた。全て上手く行かなかった。父も兄も不慮の事故で死んだ。そしてノイローゼとなり、水と塩しか喉を通らなくなった。

そんな状態が三ヶ月と三日が経過した時、麦穂の束と稲穂の束がクルクル回りながら近づいて来て、彼女の前にピタッと止まった。

翁の神が現れ、「麦穂の束と稲穂の束。どちらが欲しいか」と彼女に聞いた。

彼女は暫く考え、「麦穂も稲穂も必要です。どちらも少しづつください」と返答した。

その返答を聞いた翁の神は、「だからこそお前は選ばれたのだ。人助けに命を捧げろ」と命令。それでユタになる決心をしたとの事です。

この麦穂と稲穂は何を示しているのか。

それは裏と表だと私は考えます。

何事にも表裏がある。善に対して悪。正に対しての負。生に対しての死。それが分からなければ、人助けは出来ない。それが分からないと神に選ばれない。

神に選ばれて人助けをする。そんな人は1万人に1人の有橋渡が出来るのではないか。

神の言う通りに人助けの為に生きたのですから、有橋渡が出来なければ救われない。私は人助けをした者が有橋渡を許されるのだと思います。


ではでは。











コメント (5)
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