続きますよ。
修験道とは神仏習合の宗教です。酒呑童子が修験者のカッコをした源頼光、渡辺綱、坂田金時等々を歓迎し宴会を開いたのは、修験道は鬼に近い存在であり酒呑童子も親近感を感じていたからです(騙されて殺されちゃいましたけど)。
とは言え、修験道は密教の流れにあります。密教のシンボルマークも法輪紋です。インドから流れてきた仏教の一派です。日本オリジナルとは言われていますが、少なからず神道を蔑む部分があります。
例えば修験道の開祖・役行者と一言主の関係。役行者は橋を造る為に神々を召集。しかし一言主は醜い顔を恥じて招集に応じない。怒った役行者は一言主を簀巻きにして川に放り込んでいるのです。
一言主は「物事を一言で言い放つ神」です。神託の神と言えます。故に事代主と同神であるとの話もあるし、賀茂氏の始祖神とも伝わっています。
不思議な事に役行者も賀茂氏の家系。つまり一言主は役行者の先祖神である可能性がある。それなのに一言主を簀巻きにして川に放り込んでいる。それは神道の神よりも修験道の自分の方が立場的に上である。強いては密教が神道より上であると伝えている事を意味します。
ここで私が言いたいこと二つ目。それは「役行者は瀬織津姫を信仰なんかしていない」です。
以前にも申し上げましたが、修験道には「沼矛の印」と言うものがあります。修験者が瀧の中に入り、人差し指と中指を伸ばし「エイッ」と腕を上から下に振り下ろしす。それが「沼矛の印」です。
誰に対しての「沼矛の印」なのか。それは修験道では悪魔とされる禍津日神です。この禍津日神に対して「沼矛の印」でエイッっとやって、悪魔・禍津日神を調伏。守り神に変えると訳です。
ここで調伏に付いて語っておきます。まっ、辞書に書かれているんですが・・・・・・・。
① 内外の悪を打破すること。密教で五大明王などを本尊として怨敵・魔物を降伏する事。
② 呪いによって人を呪い殺す事。呪詛。
っとなってます。
上記を読めば分かりますが、もう完全に禍津日神を敵視していますね。ここまで来ると修験道は、禍津日神を倒す為の宗教と言って良いかも知れません。
そして禍津日神は瀬織津姫とされている。これはどう言う事か。
私は最初、禍津日神が沼矛の印で調伏される事により瀬織津姫になるのではないかと考えました。悪魔が調伏される事により人を守る神、穢を肩代わりしてくれる神・瀬織津姫に変わるのではないかと。
でも、神道の大祓詞に瀬織津姫の名が出てくるのは何故かとなります。「大祓の祝詞=神道」と言って良い。それなのに修験道で調伏された瀬織津姫が何で出てくるのかとなる。これが分からない。
どうも中世に陰陽道・密教の考えが神道に流れたらしいのですが、どう言う事なんでしょ。これは難しいですね。
続く。