最後にしたいと思いつつ続きます。
さて、話を「平成」に戻します。一体誰が「平成」なんて年号を考えたのか気になりますね。
ご存知の方もいると思いますが、日本の政界には影の宰相と言われる占い師・預言者いると噂されています。そして歴代の首相も重大な決定事項等をその占い師に相談して来たそうです。その方が「平成」と年号を決めた訳です。もう故人となられているので名前は出しませんが、「東洋の哲人」なんて呼ばれていました。
「東洋の哲人」で分からない人もいると思いますので、ちょっとヒントを出しときます。うーん何と言いますか、前にも出てきた「H木K子」の師匠兼旦那です。もっとも結婚届けを出したのはH木K子が45歳、東洋の哲人が85歳の時で既に東洋の哲人は認知症を患っていたそうです。
どうもH木K子が認知症の東洋の哲人に上手く取り入って、ササッと婚約届けを書かせ、ソソッと役所に提出し、パパッと哲人所有の美術品を売りまくり、ガッポガッポっと大金を掴んだところポクッと東洋の哲人が亡くなったと聞いています。
後になって東洋の哲人の親族が婚約の異議申し立てをし婚約は無効になったようなので夫婦とは言えないかもしれませんが、H木K子は旦那であると公言しています。流石にしたたかです。
この状況を考えると、どうも東洋の哲人は認知症の時に「平成」なんて年号を考えた可能性が高いんですよね。東洋の哲人と謳われた人が、「平成」の本来の意味、知らない訳ありませんもん。
「平成」の意味が分かってて付けたとしたら、「どうせ僕後先短いから、後は野となれ、山となれ」って感じで付けたのでしょうかねぇー。
もしかしたら、日本を生まれ変わらせようとして付けた可能性もありますが、もしそうなら「平成」に成ってからの日本の落ち込みぶり見てどう思うか聞いてみたいもんです。日本が以前の力を持ち続けていたら、今のように韓国・中国からの侵略の危機も無かったかも知れませんしね。
以上、「平成」の意味を姓名判断で解いて来ましたが、ここまで来たら「平安」、もしくは「平安京」の意味もお分かりだと思います。
「安」は「安寧」の「安」。そして「安らぐ」、「安らぎ」を「平」で平たくする、散らす、消す訳ですから、そりゃ紛争だらけになりますよ。
当然、そこんとこもボケていなければ東洋の哲人なら知ってたでしょうから、ホント「どうしてなんだっ」と言いたいですわ。
まあ次の年号は誰が決めるのか、或いはもう決まっているのか知りませんが、今度こそ末広がりの良い年号を付けて貰いたいもんです。
ではでは。