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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鯨の大群が出て来た。その1

2015年08月27日 11時29分16秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

昨日、またまた夢を見ました。今回はストーリーを伴っています。ストーリー性のある夢は思い出せないくらい久々です。忘れないうちに書いときます。

私は証券会社に勤務。場所は何故か山陰地方の様です。ハッキリしませんが海が綺麗なので鳥取県かも。そんな田舎で何故か証券マンをしています。

当然、辞めたいと思っている。証券マンは自分には合っていないので。もう限界。気が狂いそうに辛い。辞めたくてしょうがない。辞めたいと思いながら会社の先輩と行動を共にしています。仕事をサボって。

この先輩は私が証券会社時代に親交があった実在の先輩。Kさんとしときます。このKこさんの父親は仙台で測量専門学校の校長をしていました。実は私の死んだ従兄弟もこの専門学校に通っていました。

一年に測量士の資格が取れるのですが、私の従兄弟は私同様、出来が悪い事もあるでしょうが、私の家で新聞配達・集金等々のバイトをしていたりしてて、一年で測量士の免許は取れず二年通う嵌めに。

もし一年で取れていたら従兄弟は死ぬ事も無かったと思うとかなり複雑な思いをしていました。Kさんは私が気に入っているみたいでしたけど。

このKさん、二年ほど専門学校に通い就職しようとしたらろくな就職口が無い。それで一浪して早稲田大学に入学。そして証券会社に就職。つまり私より5歳年上です。

はっきり言って早稲田大学を出て中堅証券会社に入社する奴は少ないです。大学の時代は終わったと思い専門学校に入ったが、まともな就職が出来ず大学に入り直した。その点がマイナスとなって良い就職が出来なかったのだと思います。この人、頭は優秀ですが判断力が無いのです。

Kさんは営業成績は普通でしたが、私の勤めていた中堅証券会社では早稲田大学卒はエリートです。英語も話せたのでロンドン支店で勤務していた事もあります。

仙台支店で一年ほど一緒に働いて、数年後東京で再会。勤めている証券会社の合併が控えていて転職で悩んでました。対等合併と言いましても小さい方は吸収される運命です。出世も地位もおじゃんになる。転職すべきかと私に相談しに来ました。

私は「今まで証券会社で働いていたのだから私と違い証券マンとして適正がある。定年まで勤めるべき」とアドバイスしましたが、将来を悲観して上場している大手測量会社に就職。そしたらその会社がブラックで数年で辞め、またどこぞの証券会社に勤めたそうです。

私のアドバイスを退けて失敗したためか、私には連絡してこなくなりました。この人、最終的には失敗する星の下に生まれたみたいです。私が言える立場ではありませんが・・・・・・。

その先輩と夢で会社を辞める相談をしています。でも私には辞めたくない理由がある。その理由は同じ会社に白石美帆さんが勤めていた。白石美帆さんに私、ほの字だったからです。

白石美帆さんは女優の白石美帆さんです。夢に出てきたのです。何故か私と故郷が同じ設定です。彼女も宮城県に帰りたがっています。私は辞めたら東京で編集記者の仕事がしたい。でも彼女から離れたくない。一緒に会社を辞め仙台に帰ろうか。それとも一人東京か。それで悩んでいます。

ここで気が付いたのですが、私どうも茨城県出身の女性を好きになる習慣があるようです。この白石美帆さんも茨城県出身。他に飯島真理、羽田美智子のファンですが彼女たちも茨城です。

私は福島県いわき市出身ですが、福島弁は茨城弁とほぼ同じです。茨城弁を話さなくても雰囲気は伝わる。故に彼女たちのふんわかした雰囲気が好きなのだと思います。実際に茨城県の女性を好きになった事もあります。

そういえば永井直勝も茨城県の古河藩主だった事もある。もしかしたら前世で茨城に住んでいたいた。良い印象が合ったから茨城の女性が好きになるのかも知れません。私に前世があったかは判りませんけど・・・・・。

 

続く。

 

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原町無線塔が出て来た。その2

2015年08月24日 00時51分56秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

続きます。話を電波塔に戻します。

私、写真を貼れないので「原町無線塔」の写真はネットで確認して頂きたいのですが、凄い迫力です。200メートルですから東京タワーやスカイツリーよりも小さいのですが、コンクリート製と言う無骨さが異様さをかもし出しています。この電波塔が大正時代に造られ当時東洋一の大きさを誇っていたと言うのは、昔からの日本の技術力を伺いさせます。

昭和57年に解体されましたが、今残っていたら世界遺産に登録になっていたのではないでしょうか。この電波塔に比べればピザの斜塔なんて子供だましです。

今は10分の1の電波塔の記念碑的塔が建っていますが、出来れば残して欲しかったです。もっとも東日本大震災に耐えられたかどうかは疑問ですけど。

 考えてみたら電波塔が解体された昭和57年は従兄弟が亡くなった年でもあります。従兄弟はいわき市平の祖母の家から原町市の高校までカワサキKH250で通学してました。片道2時間。往復で4時間近い時間を毎日通っていた。そして電波塔を見ていた。そう考えると眼がウルウルしちゃいます。電波塔は私にとっても従兄弟にとっても大事な思い出なのは間違いないですね。

さて、今になってどうして電波塔の夢を見たのか。今まで電波塔の夢は見た事もありません。どうしてなんでしょ。

夢はカラーでした。暗闇に聳え立つ電波塔。仙台から向かって現れた景色でした。あれは何を意味しているのでしょうか。うーん。

あんまり良い感じの夢ではありません。何か自分の墓標のような感じがしてます。どう言う事なんだろう。何かの警告の様な気がする。

もしかしたら私の死期が迫っているのか。はたまた家族のか。何か悪い予感がする。どう言う事なのだろう。もうしょうがない、夢占いを調べよう。

そして調べました。結果が下記です。

○大きな鉄塔の夢は逃げ場の無い状況。物事が立ち行かなくなる状況。

○東京タワーやスカイツリーのような電波塔、巨大なパラボナアンテナが設置されている放送局の夢はコミュニケーションの好転。身近なコミュニケーションの変化。目先の成果ではなく、人生の目標を目指す事を示す。

○塔を目指す夢は高い理想・目標を持つ。

○塔を見上げる・見る夢は、誰かに監視されている。良心の咎め。今後の強い不安・心配。行動範囲の制限・不自由を示す。

うーん、何だこれは。良いのか悪いのか判らんではないか。夢占いはどっちつかずで難しい。何なのだろ。

電波塔はコンクリート製。煙突に似ている。鉄塔とは言えないし、東京タワーやスカイツリーとは全然違う。どう判断したら良いのだろう。

電波塔の夢を見て悪いイメージが過ぎった。これはどう考えても不自由な自分。不安で心配な自分の心情を表していると取った方がピッタリ合う。

ただ、それだけではない。電波塔は或る意味、宮城県と福島県の境界線。境界線に近づいている。それは死なのかも知れないし、新たなステージなのかも知れない。

そのままなら死。頑張れば次のステージと言う事なのかも。

とりあえず、頑張れ、しっかりしろと言う事と捉えよう。その方が良い。そう信じよう。

 

ではでは。

 

 

 

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原町無線塔が出て来た。その1

2015年08月23日 14時04分30秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。

私、以前は毎日夢を見てました。寝てる時に見る夢ですけど。

自分で言うのも何ですが、中々の名作揃いの夢でした。もしかしたら映画監督とか作家の才能があるのではないかと思うくらい。もっともストーリーは直ぐ忘れてしまいますけど。

毎日、夢を見るのが楽しみでした。しかし現在は殆ど夢を見なくなりましたわ。CPAPして寝ているのでね。

何のことは無い、私、無呼吸症候群でしたので眠りが浅かった。だから毎日夢を見ていたんですね。それと私は寝相が悪く、うつ伏せで寝ていたのです。胸を圧迫していたから夢を見やすかったんでしょうね。

そして今はCPAPを付けて寝てます。深く眠れる様になりました。しかし残念ながら夢は見なくなりましたね。滅多に。見てもストーリーになっていない。それが本当に残念でならんです。私の数少ない楽しみだったので。

さて、昨日、久々に夢を見ました。夢と言っても一場面でしたが。

其の場面は「細いバベルの塔」の様でした。焦げ茶がかった暗い灰色をしてました。暗闇に聳え立っていました。砂の嵐が吹き荒れています。ホント、バベルの塔みたいです。アニメの「バビル二世」に出て来た様な・・・・・。

私、その党には見覚えがあります。その党の名は「電波塔」。皆はそう呼んでいます。福島県の原町市、現在の南相馬市に聳え立っていた塔です。正式名称は上記タイトルの通り「原町無線塔」と言います。

この「原町無線塔」は大正10年に建設。全長は200メートル。コンクリート製です。昭和33年に東京タワーが出来るまで、日本の電波はこの「原町無線塔」から発信してました。凄い迫力の塔です。

大正12年に関東大震災が発生しましたが、「東京に大地震が発生し、えらい事になっちまったヨーン」と世界中に発信したのもこの「原町無線塔」です。何故、そんな大事な塔を福島県の浜通りに建設したのかは知りませんが。

特に凄いのは第二次世界大戦をくぐり抜けた事です。大分標的にされたみたいですけど破壊は免れました。神がかりだと思いますね。

私、あえて電波塔と呼びますが、この電波塔は私の住む仙台市から故郷のいわき市平の中間点に位置します。里帰りの旅路で電波塔が見えて来ると、「やっと半分まで来た」と思ったもんです。そして原町市のロードサイドにある、錦鯉を通路に泳がせているこった造りの中華飯店で食事をするのが里帰りでの定番となっていました。

 

続く。

 

 

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K君がノートを見せてくれない。

2014年08月17日 02時55分16秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
昨日もまた夢を見ました。大学時代の夢です。何時もノートを見せてもらい、コピーさせてもらっていたK君がノートを貸さないと言うのです。

私は焦りました。どうすれば良いのか。授業内容を書き写したノートがなければ留年してしまいます。あぁーダメです。どうしましょ。

考えてみれば中学時代から自分のノートは何を書いているのか自分でも分かりません。授業内容が全然頭に入らないのです。ノートを書きながら聞くなんて芸当は出来ません。私は頭が悪いのです。

担任の先生に「知能指数はそんなに悪くないぞ」と言われたことがありますが、「そんなに悪くない」と言う事は、確実に普通より悪いと言う事です。全然励ましになってないです。そのくらい当時の私にだって分かります。酷い褒め方ですよ、まったく。

でも中学・高校は頭の良い級友からノートを良くコピーさせて貰ったもんです。特にO君は親身になってくれました。他の友人からノートを借りたりすると怒ったりしてましたし。

私は中学から男子校でしたが、男子校の生活はそう言う危ない思想になってしまうのでしようか。そう言えばS君も私にノートを見せたがっていたなぁー。こりゃ、危ない世界に行く可能性があったのかも。

助けてもらっていたのに、そんな考えするもんじゃないけど・・・・・・・。

さて、私は中学からエスカレートで大学に行ける学校に通っていましたが、私の成績ではその権利が得られず外から受験しました。結果、経済学部に合格です。

凄いと思うでしょ。全然すごくないです。だって100点下駄を履かせてもらっての受験ですから。

受験科目は3科目。合格ラインは60点。つまり合計180点です。

私は中学からその大学の付属の学校に通っていたので、100点最初から貰っていたのです。つまり、三科目で80点取れば合格と言う事です。つまり一科目だと平均27点取れば良いのです。これだったら誰でも合格出来ますわね。

もっとも高校の担任は「大学に行っても留年を繰り返し、最後は退学するだけだ。大学なんか行かず、家業を継いだ方が良いぞ」と言ってましたがね。

その脅しが聞いてか、私は大学では授業を受けまくり、120単位取れば卒業できるところ198単位取り無事に留年することなく卒業出来ました。

エスカレートで大学に入る生徒は、3年に上がる時に2割が進級できず、卒業時にも2割卒業できません。その殆どが中学からの入学組です。

中でも私はもっとも成績が悪い。進級も卒業も出来る筈がないのです。

それなのに何故無事に卒業できたか。全ては情報を集めた結果です。

私の通っていた大学はかなりいい加減で、「試験はノート持ち込み可、毎年全く同じ内容の試験、甘く採点する先生、出席さえすれば単位をくれる先生」等々がいました。その情報をフルに集めたからこその198単位です。

それでもある程度勉強も必要。だからK君のノートもコピーをとらして欲しい。でもK君は見せてくれない。

「どうしよう、留年する、卒業できない、はあはあはあはあ」となる。何時もここで目を覚まします。

考えてみれば今の生活、大学を出た意味が全くないです。サラリーマンの適性がなかったのだから、大学に行ったって意味がなかった。それなのに目を覚ましてからしばらく「試験どうしよう、勉強しなくては」等々考えている自分。ハッキリ言って滑稽です。

滑稽な人生を歩んでいるのは確かですがね。

あっ、今回の夢の分析を忘れてました。K君がノートを貸してくれない意味です。彼はかなりのケチです。ケチだから見せてくれない。その彼に頼るしかない。その危うい綱渡りの人生だった学生時代の思い出が残っている。

そしてそれは現在も続いている。今も綱渡り。いや、今は渡るのも躊躇してしまうくらい細い綱。渡れる筈もない。

「どうしよう、とうしよう。もうここでギブアップしようか。諦めるか」と思っている感情が当時の夢を見せたのかも。

それだけ今、困難にぶつかっているのを肌で感じているからあんな夢を見たと思えます。

「そろそろ動きたい、動かねば」と思う自分への焦りがあるのでしょうね。


ではでは。
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アオレンジャーである私が・・・・・。

2014年07月09日 08時20分15秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
今回話す夢は私の定番の夢です。よく見るんです。私の心情を表している夢。私そのものの夢です。

あまり読んでは欲しくないのですが、私の夢の話はメモリアル的に書いています。私の夢日記です。出来れば読まないでやってください。恥ずかしいので。

この夢は私が特撮ヒーロー番組「秘密戦隊ゴレンジャー」のアオレンジャーになる夢です。ゴレンジャーは子供の頃見てました。仮面ライダーと並んで人気がありましたね。

今でも仮面ライダーシリーズ同様、戦隊シリーズが放送され続けていますが、その初代のシリーズです。

ストーリーは仮面ライダーやキカイダーに比べると、子供心にも下らないものでしたが、私は仮面ライダーV3に変身していた俳優の宮内洋さんのファンだったんでしょうがなしに見ていました。アオレンジャーを演じていたのが宮内さんだったので贔屓にしていました。

主人公のアカレンジャーは俳優の誠直也さんて、モモレンジャーに変身していた女性は「そのまんま東」の最初の奥さんでしたね。時の流れは速いもんです。あっという間です。

そう言えばキレンジャーを忘れてました。カレーライスを何時も食べていました。短髪で小太りの俳優さんが演じていて、アオレンジャーの宮内さんとの掛け合いが小気味よかったのですが、番組途中で九州支部長昇進という形で降板してます。

ゴレンジヤーはキレンジャーで持っていた所があったので、何でかなぁーと思っていましたが、このキレンジヤーを演じていた俳優さん、どうも鬱病に掛かっての降板だったようです。最終的には自殺してますしね。

まぁーね。夢を追いかけるのは素晴らしいことですが、挫折も覚悟ですね。それでも夢を追いかけたい。でも生活ができない。どこかで夢は諦めるべき・・・・・等々考えていたのでしょうか。生きるってのは切ないもんです。

人相からしてキレンジャーを演じていた俳優さんは優しい人だと推察しますが、優しい顔をしている人って、周りから攻撃されやすいと思います。日本でも。

朝鮮から渡ってきた血がそうさせるのかも知れないですが、そこが日本社会の嫌なところです。

そう言えば日本国中をヒッチハイクで働きながら旅行した若い女性のトラベルエッセイによると、一番人に親切にされた県は青森県だったそうです。。

確か青森県は縄文人の血脈が一番濃い県です。助け合う縄文人の血が旅ゆく人を親切に饗すのでしょう。青森県は沖縄県に次いで貧しい県ですが、人の心はお金じゃないと言う事ですね。日本に青森県があって良かったと思いますわね。

さてアオレンジャーです。アカレンジャーが主人公で熱血漢のリーダー。アオレンジャーは脇役でニヒルなサブリーダー。ひねくれて王道を歩めない私はアオレンジャーの方が好みです。そのアオレンジャーが私です。

アオレンジャーの私の実力はリーダーのアカレンジャーよりも本来は凌ぎます。でもクールなアオレンジャーは実力をひけらかさない。それがアオレンジャー。そんなアオレンジャーの生き方が私好みです。

そんなアオレンジャーの私。"バーディー"との掛け声の元、腰に付いているロケット??で空を飛ぶのですが、私だけ何故か飛べません。他のメンバーは全員飛んでいるのに、アオレンジャーほどの私なのに、私だけが"バーディー、バーディー"言いながらやっと宙に浮いているだけ。

他のメンバーから「何やってるんだー、しっかりしろー」との声が飛びます。一番負けたくないアカレンジャーからは「ダメな奴だなぁー」と蔑みの声が聞こえます。

私は宙にやっと浮いている状態で、何とかメンバーの元に飛ぼうと気合をいれますが全然ダメ。最後は他のメンバーには呆れられ見捨てられ、置いてきぼりにされます。そして何時もここで目を覚ます。

この夢から判断すると、私は見栄を張りたいが見栄を張るだけの実力を持ち合わせていない。何時も劣等感を感じている。だからこんな夢を見るのだと思います。

私は子供の頃、母親に「お前は人の三倍努力しろ。三倍努力しなければ一人前になれない」と言われ続けてきました。あんまりです。人の三倍努力しなければ普通になれないなんて。

こんな事言われたら誰だってやる気を無くします。こんな事言われ続けたから私は親を否定する様になったんだと思いますね。

そしてこんな事言われ続けたから劣等感でこんな夢を度々見るようになったんだと思います。

トラウマです。私は親に一度も褒めてもらえなかったが、何かしら褒めてもらえたらもうちょっと違う人生だったと思います。

出来ることなら来世生まれるとしたら、私の親とは敵として産まれたいです。

こんなこと考える私には魔が宿っていると言えます。その魔を心から消すのが因果な家系に生まれた私の最終目的のような気がしますが、中々難しいです。

悲しいかな、悲しいかな。


ではでは。





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