心の平和を求めて・・・

夫と別居中。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との関わり合いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の夫との関わり合いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

実家の違和感

2024-07-27 08:25:39 | 

夫の実家との違和感を感じていた私は、
自分の実家の違和感も感じるようになった。
その違和感ってもしかしたら、夫の実家や私の実家の問題では無く、
ただ、私自身がおかしいってことなのかと落ち込んだこともあった。
実際にそうなのかもしれないけど。

結婚を決めて夫の実家の違和感はすぐに感じたが、それはよその家だからこそ自分の家との違いで
違和感を感じるのだ、結婚すると言う事はそういう事なのだと言い聞かせていた。
でもどうしても夫や姑のやり方には納得がいかなかった。
それでも嫁ぎ先のやり方に従うのが嫁なのだと。

その後、ふと、自分の実家の違和感を感じるようになった。
実家に居る時は気づかなかったのが、結婚する時に少し気になった事があった
それでもそういうものかとやり過ごしていたが、
子供を出産する頃にその違和感が大きくなった。

それってなんだろうね、自分の心が大人になって色々なものが見えてくるようになったのではないかなと
私は今では思ったりする。

もともと私の実家は家族として偏ったところがある。
それに気づいたのも違和感を感じた頃なのだけど。

昔からの亭主関白、私はどうやら色々な記憶に蓋をしてしまっているようで
今現在でもその記憶を掘り起こす気にはならないけど、
多分子供の頃父親に何かと怒鳴られ殴られて育ったと思う。
よく殴られた事があるなあ、程度の記憶しか無いけどその理由は思い出せない。
私たちの小学校時代は先生が殴るのは当たり前で、(忘れ物1個に1ビンタなんて教師もいた)
殴られる事には慣れていた。今の時代とは全く違う。

なので成人してもヤクザのように怒鳴る男性や殴られると、そこで心がシャットダウンしてしまうのだ。

若いころ付き合っていて結婚寸前まで行った彼氏も、それは私のわがままだったけど
ぶたれた事がありその時にもうこの人と居るのは無理、と心がシャットダウンした。
その後、彼氏は執着して暫く付きまとってきたが彼氏がそうする程私は嫌になり結局別れた。

怒鳴る男性、殴る男性に反応してしまう自分にはトラウマがあるのだと感じた。

話しがだいぶそれたけど、実家の違和感は今もずっと感じている。
娘がこれだけ大変な目に遭っているにもかかわらず、ずっとポーカーフェイス。
夫の実家に年賀状を送り、お歳暮お中元を送りつづけている。
話しは幾らでも聞くからね、と言うけどただうんうんと本当に聞くだけ。
気遣う事も無く、助けてくれることもなかった。
結婚した時からだったけど、お金に関して助けてくれたことは一度もない。
逆に『親は頼るものじゃない』と逆切れされた。
私は独身時代に給料やボーナスをかなり家に入れて来たのにね。だから早く家から出たかった。

娘に対していつだって都合の良い両親、そして渦中の娘が苦しんでいても何とも思わない。
いつも世間体を気にする。そんなに世間体を気にするような家でもあるまいし。
だからたまに実家に行くと腹が立つ。
いつも何事もない様に接していつでもおいでよ~と言った感じ。
お金が無くて困った時にほんの少しでも手を差し伸べてくれていたら・・・
私は一生恩に思ったかもしれない。困っていると言っても軽くスル―されてきた。

高齢の母は苦労して生きてきたと思う、だけどそれは子供たちを犠牲にした。
子供たちに何も感じてやれない人だったと思う。

そんな母が今趣味で絵手紙の葉書を時々送ってくる。
昨日もそれが送られてきた。


文面が、

酷暑お見舞い申しま~~~す。
色々大変な夏になりましたが、
頑張って下さ~~~い。

そのハガキの能天気でデリカシーの無さに思わずハガキを破いてしまいたくなった。
母の行動にはいつもそうしたデリカシーの無さを感じるのだけど。
自分の事でいっぱいいっぱいで、保身で子供達の気持ちを考えてやる余裕も無かったのかもしれないけど、
母のデリカシーの無さはもともとの心の危うさかまたは、夫のモラハラによるおかしさなのかもしれないが
母には何かとデリカシーの無い行動や発言が多く腹が立つことがあった。

私が引っ越しをすると話したら、そういえば離婚した従妹の〇〇ちゃんも、同じ○○市に住んでいるよ~と。近くだねえ~と。
だから何??その従妹とは小っちゃいころに会った事があるぐらいで何の交流も無い、その従妹と一緒だから何??近くだから何?一緒だから何?(笑)
母のそういう事がいつも私をいらつかせる。

時々近くの実家に色々と持って行く機会があるたび、「ゆっくりして行きなさい」と
引き留められるのだけど不愉快な気持ちになるのが嫌で
私はいつも「このあと用があって。ごめん」とそそくさと引き返す。
引っ越ししたら少し実家からは遠くなるので多分もう実家にはそんなに来なくなるだろう。

次男の出産後、父親の心無い発言でしばらく実家に行くのをやめていた時期がある。
出産後、しばらく実家でお世話になっていたけどどうしても我慢できず喧嘩してに自宅に戻った。

娘としては親に対してそういう態度は罪悪感を感じるが、そういう実家なのだ、
罪悪感を感じるけど我慢して付き合うのはやめることにした。
そして自分が行ってもいいと思えば行けばいいのだ、
我慢して実家に付き合う必要はもうないのだと自分に言い聞かせることにした。

そんな実家だからこそ、私は実家の姓に戻る事を別に希望していない。
その姓にもこだわりが無いし戻る事に何の意味もない。そして夫の姓にもこだわりは無い。

離婚後の姓をどうするか随分悩んだけど、戸籍を新しく作り今の姓を自分の名前として名乗ると決めた。
これは夫の姓では無い、ただ夫と同じ名前の姓なのだと。
人生、もうすでに今の姓で生きてきた期間が長い。これが私の名前なのだ。
そして、息子達と同じ名前でいたいと言うのが一番の気持ちだ。

最近そうしていろいろな事をつい分析してしまうのだけど、結局は全て終わってしまったこと、
いくら分析したところで人の心は変えられないのだというのが結局は事実だ。
その要所要所で私がそれに気づいていたとしても、だからと言って何かを変えられたわけでは無い。

少しでも私の両親が私に対して愛情を持って何かをしてくれていたら
私はどんな両親たちであっても両親たちを思い、困ったときには手を差し伸べて来ただろう。

何故違うんだろう?同じ血が流れているのに?私は自己犠牲が強すぎるのかもしれないけど、
それでも息子達が困っていたら一緒に何が出来るかを考えて来たし、
お金に困っていたら貯金を崩してでも息子達が困っていたら助けてやりたいと思うしそうしてきた。
息子達が辛いと自分も辛い。私の両親はそうは感じないように思える。
私の周りはみんな壊れていると思う。私もかもだけどね。

コメント
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