はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
会社の常務さんが仕事中に私のところへ来て色々とお話をしてくれた。
今回の調停離婚・引越しなどについて、社長や社長の奥様には簡単に話してあったのだけど
それを大変心配してくれた常務さんが私を色々と励ましてくれたのだ。
常務というのは社長のお母さんで八十過ぎのご高齢なのにとても人間が出来た方で
とても温かい方なのだ。
当時、私は正社員の仕事を必死に探していた。
私のような年齢の者はなかなか面接すらしてもらえなかった。
前の仕事を辞めて仕事探しをしながら子育てをして多分人生で一番つらい時期だったのではないかと思う。
絶望的な気持ちの中で職安で履歴書の書き方のアドバイスを受けてやっと2社、面接してくれる会社が決まった。今仕事をしているのはその2社の内の一つでした。
その前に建設土木の事務と言う肩書の、弱者ビジネスのヤクザの会社に知らずに入ってしまい、
怖くて3日でやめたこともあり全く経験のない建設業の事務というのが実は不安でもあった。
面接時に印象的だったのが、今でも変わらない社長の明るさと常務の温かさでした。
何もかも絶望的だった私は採用されて本当に救われたのです。
社長一族の皆さんはみんな温かい。それは余裕なのか?わからないけど。
それが本当に嬉しかった。給料は安いけど、時には無理な事も押し付けられたりもするけど
家族のような温かい雰囲気の会社なんです。
おかげで私はこうして長い事働いてこられた。多分これからもね。
ダンナが家に帰りたいと言い出した頃、私は拒否した。
あなたは一人で寂しくないのか?とダンナが聞いて来た。
私は、「職場が家族みたいなものだからちっとも寂しいとは思わないの」とその時に言った。
失礼だけど私にとっては社長はお兄ちゃん、社長の奥様はお姉ちゃんのような存在。
そして、うーん、常務は私の母よりもはるかに人間が出来た人なので母親だとは言えない。(笑)良いお姑さんかな。
とにかくそんな常務が一生懸命私を励ましてくれたのだ。仕事中なのに泣きそうになった。
あなたはいつも頑張ってくれているから、頑張って大丈夫なように見えてもストレスはたまるのよ、体に出てくるのよ、(目のこともすごく心配してくれている)絶対無理したらだめよ!と。
常務も家族や親戚の問題では苦労されて来た方だ、会社の色々な問題が起きた時もいつも動じない。いくつになっても頭が冴えていて堂々と立ち向かう。
お茶の先生でもあり、何度も足や手を骨折したりするけどその割にとてもフットワークも軽い。じっとしていられない。
私もそんな人間になれるかな。誰かを元気づけてあげられる心の余裕を持った老人になりたいなと。