Niyatsukuのあなろぐゲーム探検隊

ドイツ発信、電源不要な傑作ゲームの数々。
遊びやすくて抜群の面白さ、その謎を追え!

ベストセラー小説の書き方5

2005年12月30日 | 雑記
どこまでも~、どこまで~も~♪
クーンツの「ベストセラー小説の書き方」から。

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結末がおもしろくなければ失敗作と見なされる
プロットの結末、つまり主人公が恐ろしい困難を克服する方法は、小説のオープニング・シーン同様に重要である。なぜなら読者が本を読み終わって数日、数週間、数ヶ月たってから思い出すのは、このラストシーンだからである。
結末が弱くておもしろくなければ、読者はその小説の最初の五分の四がどんなにすばらしくても、失敗作と見なすだろう。反対に結末が賢明で、スリリングなアクションに満ちていて、そのうえ登場人物やテーマが満足できるものであったなら、読者はあなたの次作を買おうと心に決めることだろう。

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「うんうん。そうですよねえ。」
「なんや、それだけかいッ」
「クンちゃん、そのとおり!」
「まともなコメントないんかいッ」
「いや、こめんたな・・・」
「スベっとるやないかいッ」
「る~る~るる~♪ るるるるる、る~るる~♪」
「なんで大岡越前やねんッ!」

《引用文献》
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ著、朝日文庫

ベストセラー小説の書き方4

2005年12月29日 | 雑記
さてさて、今回もクーンツの「ベストセラー小説の書き方」より。

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《相次ぐ困難によって主人公を追い詰めよ》
真の困難は、局面が変わるたびことに、主人公は助かる見込みがあるのだろうかと、読者をやきもきさせるものである。

《状況を追い詰める最後の大型爆弾》
最後の困難は最悪のものでなくてはならない。主人公の状況はもうこれ以上悪くなりようがないと読者が確信したその時に、作者は大型爆弾級の最後の困難を投下して、読者がグウの音も出ないようにしなくてはいけないのだ。

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これもまた、ボードゲームにも通用するお作法。

私の大好きなゲームの1つにクニツィアの『指輪物語ボードゲーム』がある。もともと『指輪物語』の小説自体が大好きで、その世界観が見事なまでにボードゲーム化されていて、とてもエキサイティングで面白い。プレイヤーたちはホビットを演じ、お互いに助け合いながら指輪を葬るべく滅びの山を目指すが、息継ぐ暇なく次から次へと様々な困難が襲いかかる。一切の容赦なく。

以前プレイした時、どうにかこうにか満身創痍で滅びの山に到達したものの、その直後のダイス振りで、何と最後の最後でサウロンに指輪を奪われ敗退するという、何ともドラマチックな結末を迎えたことがある。思わず「うわぁ~!」「うっそー!」と叫ぶ者あり、無言で唇を噛みしめる者あり。旅の仲間達は皆、あまりの惜敗のショックに打ちひしがれ、しばし茫然。小説の中でホビットが経験したであろう困難をこれほどまでに体感できるとは・・・。いやはや、素晴らしくよく出来たゲームです。


《引用文献》
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ著、朝日文庫

ベストセラー小説の書き方3

2005年12月27日 | 雑記
今回もクーンツの「ベストセラー小説の書き方」から。

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そこでわたしは「予告」という文体上のテクニックを用いざるを得なかった。読者の注意をひきつけておくために、大事件が今にも起こりそうであることを、あらかじめ知らせておく必要があったのだ。

わたしは第二段落で主人公のハリー・カーペンターに災難を予感させ、このシーン全体をとおしてハリーを落ち着かない気分にさせることによって、その目的を達した。さらにハリーの予感に加えて、風景の暗鬱な描写や、氷原を詳細に墓と比較するなどして、不吉なムードをただよわせようとした。わたしがしたことは、いわば読者をゆり動かし、こうささやいたようなものだ。「おい、これは危ないぞ。今はなんとかうまくいっているようだが、もうじき恐ろしいことが起こって、取り返しがつかなくなるぞ」

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これは筆者が「予告」のテクニックと呼んでいるもの。ボードゲームで「予告」テクニックが使われているものはあるか? と考えて、真っ先に思いついたのが『麻雀』。相手の前にだんだんと並んでいく捨て牌を見ながら、相手の狙いを予想。「こいつ、かなりヤバイ手を狙っているな」

捨て牌は相手の狙いを知る情報源になる。だから、単に要らない牌を捨てていけばいいってもんじゃなく、自分の手を悟られないような捨て方が重要。ふと考えてみると、『麻雀』ほど牌(手札)の捨て方にスキルを要するゲームはないんじゃないかな。


《引用文献》
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ著、朝日文庫

ベストセラー小説の書き方2

2005年12月25日 | 雑記
再び、クーンツの「ベストセラー小説の書き方」から。

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もしも君が小説の冒頭で、主人公たちに果たさねばならぬさし迫った任務を与え、そしてもし彼らが短い時間内にそれをやりとげられなければ、恐ろしい事態が起こるという状況を作り出せたとしたら、君は読者の心をとらえたも同然である。

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このような手法を筆者は「時を刻む時計のトリック」と名付けています。ボードゲームでは、プレイヤーは一定の時間内(ゲーム終了まで)に与えられたミッションをクリアしなければならないので、それ自体に上記の構造を内在していると言えます。もっとも「さし迫り感」をどう表現するかは、ゲームデザイナーの工夫のしどころでしょう。

『タムスク』『ドラゴンズゴールド』などは砂時計を使って手番に制限時間を課し、プレイヤーの思考にプレッシャーを与えます。時間が充分にありさえすれば何の問題もないものを、残りの砂の量をチラ見しながらセカセカ、アタフタ、凡ミス連鎖。

『ワードバスケット』では手札を出すのは早い者勝ち。一番最初に手札を出し切った人が勝ちで、誰彼かまわずリアルタイムかつインタラクティブに手札を出せるルールが、プレイヤーにプレッシャーをかけます。

『指輪物語ボードゲーム』では、ホビット達はさまざまな困難を乗り越えつつ指輪を滅びの山に捨てに行きます。サウロンに捕らえられる前に、果たして滅びの山にたどり着くことができるか。ゲームでは、その様子がホビット駒とサウロン駒の距離が徐々に近づく形で表現されていて、これがプレイヤーにかなりのハラハラドキドキ感を与えるのに成功しています。


《引用文献》
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ著、朝日文庫


ベストセラー小説の書き方

2005年12月23日 | 雑記
ああ、忙しい、忙しい。12月に入って毎週の出張。12月末に納期を向える仕事の山。それもヒマラヤ山脈級。明らかに今までで一番忙しい師走。しかし、どうにかこうにか来週には山頂にたどり着ける目途も立って、久々に心ゆるやかに3連休の初日の朝を存分に満喫。ようやく、ブログを更新する心のゆとりも出てきました。

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アクション・シーンは多すぎてもまずい。理想をいえば、物語が進むペースは緩急が交互に現れ、ペースが速くなるたびに徐々に興奮の度合いが高まっていくことが望ましい。そしてその合い間に、読者が興奮を静め、次の展開を思い描くことのできるような小休止を綿密に配分していくのである。このような小休止は、サスペンスを効果的に盛り上げるための重要な要素である。

作者が非常に緻密で抜群の能力がある場合を除いて、アクション・シーンが次から次へと出てきて息つくひまもない作品は、しょせん同じことの繰り返しになり、対照的な性格を持つ場面に欠けるために、単調になりやすい。これは、気ぜわしいクレッシェンドを多用したシンフォニーが、単調に聞こえるのと同じ理屈である。

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上記は、クーンツの「ベストセラー小説の書き方」からの引用。これは全くもってボードゲームにも当てはまります。緩がなくて急急急の連続というのは、身にこたえます。人の集中力というものは、そう持続するものではありませんし。第一、極度の集中力を長時間にわたって要求されるゲームなんぞ、1回目はそうとは知らずに遊ぶことがあっても、また2回目を遊びたいなんて思いませんしね。

もちろん、緩ばかりが続くとゲームがダレてしまいます。プレイヤーに集中力の持続を要求しすぎることもなく、かといって集中力を途切れさせて緩慢にさせることもなく。

何度も繰り返し遊びたくなるゲームは、プレイヤーの集中力を巧みに持続させる緩急のリズムを奏でているといって間違いないでしょう。


《引用文献》
「ベストセラー小説の書き方」ディーン・R・クーンツ著、朝日文庫

ハゲタカの晩餐会

2005年12月18日 | 雑記
なになに、『ニコリダービー』とな?

「あなたは馬主です。1頭の馬を持っています。ニコリダービーは1レースだけ行われます。あなたの馬を出走登録しましょう。1~300のどれかの枠を選んで、馬名を登録するだけです。出走登録はおひとり1回しかできません。」

ふんふん。

「2頭以上の馬が登録された枠は全部落馬してしまいます。1頭だけが登録した枠の馬だけが完走できるのです。完走した馬は、枠の数字の小さい順にゴール。」

ほうほう。

「1枠に1頭しか出走登録されていなければ、1枠が優勝。1枠から50枠までが全部2頭以上出走登録されていれば、51枠が優勝します。小さい数字の枠順の方が完走できれば有利なのですが、たったふたりが同じ枠に登録しただけで落馬していまいます。完走するにはみんなが選ばない数字を選べばいいのです。」

おうおう。

これは、つまり大人数でやる1回こっきりの『ハゲタカのえじき』やな。なるほど、こういう風に遊ぶのも面白そうやな。今年の会社の忘年会では定番のビンゴ大会やったけど、これを採用したらむちゃくちゃ盛り上がったやろなあ。よし、来年に試してみよっ! まあ、雰囲気的には「ダービー」っていうよりも「ハゲタカの晩餐会」ってとこかな。

ボーナンザ2

2005年12月12日 | ボードゲーム
昨日の続きどす。

『ボーナンザ』は、何と言っても他人との「交渉」が楽しい。そこにはやはり「交渉」を活性化させる仕掛けが施されているわけで。はてさて、その仕掛けや如何に?

手番の初めに豆を必ず植えなければならない。したがって、自分の番が来るまでに手札の余分な豆を何とかしないといけない。プレイヤーは次の手番が回ってくるまでという制限時間内に課題解決を迫られる。これにより、自分の手番以外でも交渉が活発に行われることに。

また、目先の豆植えだけ考えていてもゲームに勝利できない。先の先の手番のことも考えながら余分な手札を処理しなければ、いずれ行き詰まってしまう。ゲームに勝利するためには長期的視野に立つ必要があるのだ。

さて、とりあえずはうまく交渉できて、次の自分の番には無事に豆を植えられる目途が立ったとしよう。ほうほう、それは良かったね。でも、次にデッキから2枚めくって、それをまた何とかしなければならない。自分の畑に植えたい豆ならラッキー。でも、植えたくない豆なら、さあ大変。他人と何とかうまく交渉して引き取ってもらわないことには、畑に植わった豆を泣く泣く売り払う羽目になる。というわけで、プレイヤーはまたまた課題解決を迫られる。

前述の、手番の初めに豆を植えなければならない行為が「予定できるmust」だとすれば、この行為は「予定できないmust」と言えるかな。どんなカードが出るかは運次第なのだから。

でも、豆の種類は8種類あって、4~5人プレイの場合、各自2つの豆畑(あとで3つ目の畑を買うことも出来るけど、ここでは本題から外れるので省略)を持っているから、確率的には、そのめくられたカードを欲しがる人が誰か1人はいる計算。3人プレイの場合は、各自3つの豆畑を持てることになっているから、やはり確率的にそのカードを欲しい人が誰か一人はいる。ゲームに華を添える運の要素を注入しながら、同時に「交渉」というアクションを活性化させる絶妙なバランス取りが素晴らしい。

また、一度に収穫する豆の数が多ければ多いほど換金率が良いというルールも、人の欲望を巧みに刺激して「交渉」の活性化に貢献している。

ローゼンベルクの名を世に知らしめた『ボーナンザ』。今尚、独自の魅力を放つ良いゲームですねえ。

ボーナンザ

2005年12月11日 | ボードゲーム
ドイツにはこんな格言がある。
「手札の順番を並び替えてはいけない」
これは、人に何かしてあげるとき、その機会を与えてくれたその人に感謝しなさい、という意味でよく使われる。カードゲームの鬼才ウヴェ・ローゼンベルクの名言だ。

ウヴェの生まれたボーナンザ村は、赤豆・青豆・そら豆・大豆にインゲン豆など、昔から豆作りがさかんな土地だった。村には古くから「豆畑は2つだけ。1つの畑には同じ種類の豆を植えること」「自分の番が来たら必ず豆を植えなければならない。このとき、手持ちの何種類もの豆は順番どおりに植えなければならない」というしきたりがあった。

収穫した豆は豆問屋に持ち込んでは買い取ってもらうのだが、一度に収穫する豆の数が多ければ多いほど換金率が良い。例えば赤豆なら2kg1ターラーで買ってもらえるが、3kgなら2ターラー、4kgなら3ターラーというように、どうせならどっさり持ち込んだほうが稼ぎがいい。

しかし、そうは問屋が卸さない。1種類の豆をたくさん育てたくても、しきたりがそれを許さないのだ。手持ちの豆を順番どおりに植えなければならない。しかし、2つしかない豆畑には違う種類の豆が植わっている。そうなると、いずれかの畑の豆を全部収穫して畑を空っぽにし、そこに新たな種類の豆を植えなければならない。だから豆植えの時期には、「あぁ、あと1kg多ければ3ターラーで売れたのに・・・。ふぅ。」という嘆き声をよく聞く。

え? しきたりが厳しすぎて、村人の不満も相当溜まっているんじゃないかって? 確かに「手持ちの何種類もの豆は順番どおりに植えなければならない」のは厳しい。だけど、他の村人に豆をあげたり、交換し合ったりすることは許されているので、皆とうまくやりながら、できるだけ1種類の豆をたくさん育てて換金率が高くなるように努力するのだ。外部の人からは理不尽にしか見えないしきたりでも、これらのしきたりがあるからこそ、ボーナンザ村ではいつもおしゃべりが絶えず、和気藹々と賑やかなのだと言えよう。

ところで、こうした交換の風習では、カタン島もよく知られている。カタン島では島を発展させるのに必要な資源を効率よく集めるために島民どうしで交渉しあう。つまり、自分の足りないものを補うための交渉である。ギブ&テイクなのだが、どちらかというとテイクに力点を置いている。他方、ボーナンザ村では、自分の余計な豆を他人に引き取ってもらうための交渉である。ギブに力点を置いたギブ&テイクといえる。この辺りがボーナンザ村独特の魅力を作り出している。

さて、次回はいよいよボーナンザ村の魅力の核心に迫りたい。

[data:Bohnannza 3~5人用、Uwe Rosenberg作]

20Q

2005年12月01日 | ボードゲーム
非電源ゲーム主体の当ブログではありますが、今回は電子ゲームネタです。

昼休みに職場の同僚が「これ、凄いねんで」と、赤くて丸っこいものを私に差し出しました。それの何がどう凄いのかよく分かりませんが、でも、同僚の手の平の上にちょこんと乗ったその愛らしくも何か謎を秘めたる形状に、私は一瞬にして心を奪われてしまったのでした。

「何なん、それ?」
「これなあ、人の思ったことを当てよんねん」
「えっ、何それ? どうやって当てんねん?」
「ほんなら何でもええから、何か心に思ってみぃ?」
「何かって、何でもええんか?」
「例えば、腕時計とか自動車とかサボテンとか」
「んー、よっしゃ。決めたで」
「ほんなら始めるで」
「ソレハ、ショクブツデスカ?」
「なんやねん。いきなり怪しい外人みたいな言い方やなあ」
「いや、これがそう言いいよんねん」
「ほんまかいな?」
「ほら、見てみいや」
「あっ、ほんまや」

小さな電光掲示板にカタカナの文字が流れている。

「ほんで、答えはどう? ”はい”か”いいえ”か”分からん”か”ときどき”かで答えてくれ」
「おお、ほんなら”はい”」
「ソレハ、ショクパン1キンヨリ、チイサイデスカ?」
「”はい”やな」

こんな質問を何度か繰り返しているうちに・・・

「ソレッテ、ヤバクナイ?」
「何やねん、それ?」
「いや、ときどき感想いいよんねん、これ」

ええやん、ええやん!
何かかわいいやん、こいつ。

で、20の質問を終えて・・・

「カンガエチュウ・・・」
「ガンバレッ、オレッ!」

なんちゅうキュートやねん、お前は!

「コタエハ、ウメボシ デスネ!」
「うわっ! えーっ!? まじー!?」
「当たりか?」
「おお、当たりや!」
「カンタンデスネ! ワタシノカチ! ワッハッハ!」

いや、オドロキました。その後、何度も遊んでみましたが、ヒネったものは当てられませんが、素直なものなら相当な正解率です。「靴」に対して「スニーカー」とか、「スパゲティ」に対して「パスタ」とかニアピンも多いですが、それも十分に正解と言っていいでしょう。

そうそう、この娘の名前は「20Q」といいます。トゥエンティキューと読みます。この面白さはアナログゲームの感覚に近いなあと思ったら、もともとは「20の扉」とか「20の質問」とか言うトラディショナルな遊びがベースになっているそうです。

コミュニケーションゲームとして使うと、かなり面白いです。実際5~6人で、1人が出題者役になって、他の人たちはQちゃんといっしょに答えを当ててみるようにして皆で遊んでみましたが、盛り上がる、盛り上がる!

後でネットで調べてみると、アメリカで爆発的に売れていて、日本でも既に各所で話題になっている模様。まだご存じない方へ、これは結構イケますよ。一目惚れ。


《参考》
20Q公式サイト
紹介記事