Niyatsukuのあなろぐゲーム探検隊

ドイツ発信、電源不要な傑作ゲームの数々。
遊びやすくて抜群の面白さ、その謎を追え!

怪談の語りかた

2005年10月31日 | 雑記
ボードゲームで、果たしてホラーは表現できるのでしょうか? それを考える前に、怖い話を怖く語る技法を知る必要がありそうです。

***

【中山】怪談というのは芸だと思うんです。みんなで膝を突き合わせて、みんなでひとつの空間を共にして、自分の「怪」を提示する。それで反応を見るというのが「談」なんですよ。
【京極】そうそう。ただ「怖かったよう」と言われても、話すほうが怖がっているだけでは聞くほうはまるで怖かない。聞き手が怖くなるように語るのが怪談ですよ。だから、ネタではなくて語る技法にこそ怪談の秘密は隠されている。単に時系列の順番を入替えて語るだけでも不安や恐怖感を喚起することは可能ですからね。

~中略~

【京極】怪談は情報ではなくて表現だ、ということですね。それも自己表現ではなくて、聞き手や読み手の心情になんらかの変化をもたらす技巧。データではなく効果的なデータ開示のテクニックね。小説でもエンターテイメントの場合は、泣かせるとか、笑わせるとか、全部テクニックですよ。主義主張とかストーリーとか全然ない(笑)。怖がらせる場合は泣かせるより遥かに難易度が高いですよ。それをクリアしないと怖くならない。

***

情報を効果的な順番で開示していかないと怖くならない、と。書き物であれば、もっとも怖くなるようにストーリーラインを組み立てることができますが、ボードゲームではそうはいきません。ゲームがどのようなストーリーを紡ぐかはプレイヤー達の意思決定にゆだねられます。そうした結果が、物書きのプロが考え抜いたストーリーラインより怖い物語になることはまず有り得ないでしょうから。ボードゲームでホラーを表現できるかどうかは、そのあたりが一番の課題な気がします。


《引用文献》
『怪談之怪之怪談』怪談之怪 編、メディアファクトリー ダ・ヴィンチ編集部

一昨日の夜の出来事

2005年10月29日 | 雑記
ここ最近、ボードゲームではホラーは表現できないかものかと考えてまして。それで、ホラーの手法とか怖さの演出とか、そういったものを知りたいと思って、スバリそのことを教えてくれるようなノウハウ本がないかと探しているんですが、あまり適当なものも見当たらず、それでは自分で考えてみようと怪談話の本を4~5冊買い込んだんです。長編ものだと怖さの構造が捉えにくかろうと、3~4ページで完結するような話がいっぱい詰まった本を選びました。

それで片っ端から読みまくりました。本のタイトルは明かしませんが、いかにも怖そうなタイトルの割には存外怖くない話が多かったのですが、中には首から背中にかけてぞわぁと来るような、本当に怖い話もちらほらとありました。そんなものを読み続けたせいで、仕事が終わって夜遅くに駅から家に帰る途中、都心から離れているので人もほとんどおらず、街灯もまばらなところを20分ほど歩いて帰るのですが、街路樹の傍やら道向かいの街灯の下やらに何かいそうな気がして、鼻唄なんか無理に口ずさみながら「あほやな、おれって」と思いつつ足早に帰りました。

家に着いて、部屋の明かりをつけても、何かがいるような気がしてならず、違うことを考えるようにしようとノートパソコンを開いて、ボードゲームのホームページをチェックしたりしました。

そのときにふと、見えてしまったんです。
ディスプレイに反射して、自分の後ろに映っている影が・・・。

顔はよく見えないんですが、真っ赤な服をきた女の人らしいものが、部屋の隅からじぃっとこっちを見ているんす。うわぁっ、と思って振り返ったら・・・。

誰もいないんです。
でも、ぞぉっとする気配は確かにあって、何か禍々しい空気がじわりとこちらに近いて来るような・・・。

それで、またディスプレイに目を戻したら・・・。
今度は自分のすぐ後ろに立っているんです!!
凄い目で睨んでるんですが、口元だけ笑っていて・・・。

その後、ある恐ろしいことを私に告げて、それは消えました。
以来、そのことがいつ起きるのかと怖くて怖くて仕方がないのですが、誰にも相談できないのです。言うなよ、といわれましたので。

何かぞくりとしたときは、だいたい傍にいるようです。見えないだけで、でも、体では感じているようです。そういうときの波長が、呼び寄せるんでしょうねえ。ともかく、怖い本を読むことも、ボードゲームでホラーを表現できるかなんてことを考えることも、やめようと思



ホラーは表現できるか

2005年10月25日 | 雑記
ジレンマ、スリル、ハプニング、ユーモアなどを演出するボードゲームは星の数ほどありますが、ホラーを表現したボードゲームというのはないのでしょうか?

『暗黒の大広間』『ゾンビーズ!』『おばけ屋敷ゲーム』などホラーをテーマにしたゲームはありますが、それはテーマだけであって、決してホラーを表現しているわけではないですし。

ボードゲームでホラーを表現するのは、そもそも不可能なんでしょうかねえ。

怖い話

2005年10月23日 | 雑記
その一。
マンションの窓辺から毎夜こっちを見下ろしている少女がいることに気づく男子学生。いつしかそのコを好きになってしまった彼は、思い切って彼女の部屋を尋ねる。しかしそこにいたのは首を吊った女のコだった!こちらを見ているように見えたのは、首を吊ってうつむいた顔だった。

その二。
あるときケータイに電話がかかってきて「もしもし、あたしメリーさん。今○○にいるの」といって切れる。しばらくしてまたかかってきて「あたしメリーさん。今、すぐ近くにいるの」とどんどん近づいてくる。そして最後に「あたしメリーさん。今あなたのうしろにいるの」との声にハッと振り返ると・・・。

その三。
市販されている○○人形の中に、工場の機械トラブルでたまたま足が3本ついて出荷されてしまった人形があるという噂。その人形は「あたし呪われてるの」としゃべるとか、「おままごとする? それともかくれんぼする?」と聞いたりするらしい。そこでおままごとを選ぶと刃物で切り刻まれ、かくれんぼと答えるとあっちの世界に連れ去られるという。

これらの話にはそれぞれ、さすがは都市伝説になるだけあって、人づてに伝播していく力を持つ強烈なオチがある。しかし、いくらオチが極上であっても、それで怖い話になるわけではない。そのネタを生かすも殺すも、語りかた次第。語りかたがヘタクソだったら、ネタがよくてもひとつも怖くならない。

ボードゲームでも同じことが言える。アイデアがユニークだからといって、面白いゲームであるわけではない。プレイヤーにどういった情報を与えてどういった情報を隠すか、手番の選択肢をどう用意するか、ランダム要素をどのくらいどういった形で盛り込むか、得点方法はどうするか、など設定の仕方がうまくなければ、せっかくのユニークなアイデアを殺してしまうことに。

《引用文献》
『渋谷怪談』(都市伝説研究所編、福谷修監修、ジャイブ)

ハイパーロボット

2005年10月21日 | ボードゲーム
ロボットが目的の場所まで移動するのに、最短で何手かかるか。
これをみんな一斉に考える。
・・・シーン・・・
黙りこくって考える。
「・・・こうでああで、ほんでこうで・・・」
沈黙、ところにより呟き。
・・・シーン・・・
「21手っ!」
静寂をやぶってA男が短く宣言。
「おおー、21手!?」
周囲の感嘆の声にA男、だいぶ誇らしげ。
そして、すばやく砂時計をひっくり返す。
・・・さらさらさら・・・
・・・さらさ・・・
「8手っっ!!」と今度はB子が。
「ウッソー、まじー!?」とA男、かなりあせる。
そして砂が尽きて。
答えを確認。
「1、2、3、・・・ハイ、8手」
「うぉー、そんな手があったんか!!」
A男、撃沈。

『ハイパーロボット』は相当ユニークなゲーム。
ロボットが何手で目的地に達するか、頭の中で考える。
それも全員が一斉に。
そして、答えが分かるやその手数を宣言。
1分間の残り時間が経過したら、答え合わせ。
そして、次の問題へと続く。
このゲームは、新たなる問題が延々と”自動的”に出題されるところが、本当によく出来ている。

ところで、常々不思議に思っていることがあって、「宣言後の1分間はなんで必要なん?」「一番早く答えが分かったんやったら、それで答え合わせしてしもたらええやん」と。

でも、よく考えてみたら、この1分間こそゲームを面白くしているのだと気づいた。というわけで、ここからが本題。

誰かが初めに手数を宣言することで、他の人の頭の中にはどういう変化が起きるか。
まずは、不可能ではないことを知る。
そして、宣言数を上回る最善手がないかどうか考える。

話は逸れるが、こんな話を聞いたことがある。
アメリカとソ連とでどちらが早く原子爆弾を完成させることができるか競っていた頃。理論的には実現可能なのだが、果たして実際に実現できるものなのか・・・。両国とも開発は手探り状態で困難を極めた。そして、十数年の歳月を費やして、ようやくアメリカが先んじて完成させた。ソ連はアメリカの成功をみて、それが決して実現不可能なことではないと知るやいなや、そのわずか数年後にはソ連もまた成功させた、とか何とかいうお話。

プレイヤーは不可能ではないことを知り、頭のネジをもう一度巻き直して、思考をフル回転させて最善手を探る。すなわち、ラスト1分間にプレイヤーの集中力をさらに高めさせる仕掛け。これによって、その後の答え合わせの時間がいっそう楽しいものに変わる。

そして、また次の問題へ。
集中と弛緩の繰り返し。
静と動のリズム。

このメリハリをよりくっきりさせるのが、この1分間。
答え合わせをさらに盛り上げるための仕込みが、この1分間。
ランドルフ、偉大なり。

ほかにも副次的な意味合いがあって。
なんとなく行けそうなら、とりあえず手数を宣言して、他プレイヤーにプレッシャーを与えつつ、残りの1分間で手数を確かめる。こういったゲーム的な駆け引きも生む。


[data:Rasende Roboter 2人~無限、Alex Randolph作]

プエブロ

2005年10月18日 | ボードゲーム
あるとき一族の酋長は、若い建築家たちを集めて、こう命じました。
「一族みんながいっしょに暮せるようにな、大きな大きなプエブロをこさえるのじゃ」
「ただしな、言っておくがな、派手な色はいかんぞよ。白じゃ。真っ白な建物にするのじゃぞ」
「なんでじゃと? 決まっておろうが。わしのラッキーカラーじゃからのぉ」
「なんじゃ、その不服そうなツラは。おぬしらが、勝手に派手な色を使わんように、わしは毎日見回りするからのぉ」
「そうそう、屋根は見つからんじゃろとは思わんことだ。わしのジャンプ力はすごいからのぉ」

この設定が何ともおかしい。(って、ちょっと脚色してますが)
というわけで、今回は『プエブロ』をた~へるあなとみあ~っ!(謎)

3次元立体パズル風味で、自分の色を隠すようにして建築資材を積み上げていく、というのが『プエブロ』の基本アイデア。自分の色を隠すには、他人が隠してくれるように期待できる位置に配置するか、中立色である白い資材を使って自分で隠すかして、酋長が見回りに来るまでに何とかしか隠さなければならない。

そう、酋長が来るまでには時間的余裕があるので、それまでに何とか隠せばいいのだ。このアイデアがユニーク。この「間」から、おもしろ味がジゥジゥと滲み出てくる。

そして、「階数が上になるほど失点が大きい」というスコアリングシステム。これがジレンマの素。建築面積は8×8マスに限られているので、序盤は建築資材が中央付近に寄り添うように置かれる。悩ましいのは中盤以降。低い階の周辺部分に置くか、高い階の中央部分に置くか。前者なら失点は小さいものの、酋長の目にとまるのは避けられない。後者なら見つかれば失点は大きいけれど、あとでうまい具合に周囲が覆われれば失点を避けられるかもしれない。

さらに、また面白いのが“立体ねじれL字型”の建築資材の形。ここに置きたいと思っても、ねじれの方向がうまく噛み合わず、それでも諦め悪く、資材をくるくる返しながら、しまいには「やっぱ、合えへんわ」となる。この形状、遊べば遊ぶほどに、ほんまよう出来てるわと唸ることしきり。

これらの要素が相俟って、プレイヤーは手番のたびに建築資材をどこに配置しようか、あれこれと悩む。この悩ましさが面白い。

このゲームの楽しさはぐだぐだと考えるところにあるのだから、ちょっとくらいの長考は大目に見よう。ガチガチに勝負するのではなく、いろいろとおしゃべりも交えたりしながら、じっくりと考えることを楽しむ。そんなスタイルでプレイするなら、とっても充実した時間が過ごせること請け合い。

さて、このゲームで特筆すべきは、シンプルなルールでとても遊びやすい点。手番でやることといえば、建築資材を1つ置いて、そのあと酋長駒を1~4マス進めるだけ。それでいて、しっかりと考えどころもあるし、毎回盤上に様々な展開が生まれるような工夫もされている。

この点は『ブロクス』 と比較してみると面白い。どちらのゲームもシンプルで遊びやすいのは共通しているが、展開に多様性をもたらす方法はそれぞれ異なる。『ブロクス』は、個々に形状の異なるピースが盤上に様々な状況を生み出す。他方、『プエブロ』ではピースはどれも同じ形でありながら、その独特のねじれ構造によって、そして『ブロクス』と違って立体的な配置が可能なことによって、盤上に様々な状況を生み出す。

最後に、面白さを演出する工夫を2つほど。

1つ目は、クライマックスの演出について。
前述した「階数が上になるほど失点が大きい」というスコアリングシステム。ブロックは終盤に向かって高く積まれていくため、スコアの動きも終盤に向かうほどに激しさを増す。
そして最後に、酋長がひと回りしながら仕上がり具合を入念にチェック。ここで勝負が大逆転ということもよく起こる。要するに、ゲームが進むにつれて盛り上がり度も高まっていき、最後にドッカーンとクライマックスを迎える、という構成に。

もう1つは、コンポーネントについて。
先住民の手織の文様をあしらったボードデザイン。建築資材の色合いや触り心地。そのカラフルな資材がボード上に積みあがっていくのを見るだけで、何とも楽しい気持ちになる。コンポーネントがゲームの雰囲気を作るわけだから、いや、ほんとコンポーネントって大事やねえ。


[data:PUEBLO 2~4人用、Wolfgang Kramer & Michael Kiesling]

マンハッタン

2005年10月15日 | ボードゲーム
中世ヨーロッパのキリスト教徒は、神に近づけ、天まで届けと高い教会を建てました。
現代のわれわれは、どうしてこれほどまでに高いビルを建て続けるのでしょうか?
その問いに対する答えがここに。

な~んて、そんな哲学的なところは微塵もなく、ただひたすら人の欲望を駆り立てずにはいられない白熱必至のゲーム。私の大好きなゲームの1つであります。シンプルにしてエキサイティング。今回は『マンハッタン』の謎に迫りたいと思います。

1.限りある手番
このゲームは基本的に後攻有利ということもあって、4人プレイなら4ラウンド、1ラウンドごとにスタートプレイヤーを変えていくというスタイル。各ラウンドの開始時にビルのパーツを6個ずつ持って、手番で1個ずつ盤上に配置していき、すべて配置し終えたらラウンド終了、そしてスコアリング。これを4ラウンド行って、一番得点の大きい人が勝ち。つまり、24回(=6個×4ラウンド)という限りある手番で、いかに効率的に高得点を稼げるかが勝負。

2.ビルを乗っ取れ!
さて、そこで得点システムなんですが。
①各ビルのオーナーには1点
②各都市の中で一番高いビルのオーナーには3点
③世界一高いビルのオーナーには6点
だから、ビルは高ければ高いほどいいのだけど、そのビルの最上階に居座らないことには得点にならない。そして、限られた手番で他人より高得点を稼がなければならないのだから・・・。 この得点システムのインフレっぷりと、最上階をめぐる乗っ取り合戦で、そりゃもう熱い戦いが繰り広げられるのは避けられませんぜ。

3.そうは問屋が・・・
ビルを乗っ取るとは言っても、何時でも何処でもそれが可能なわけでもなくて。そらそうやわな。それが簡単にできるんやったら、後手が有利すぎるもんな。というわけで、どこにビルを配置できるかは、手札のカードによって規定される。カードでは9区画のうちの1箇所が指定されている。そして、手札は4枚。手番でお望みの場所にビルを配置できるかどうかは、すなわち4/9の確率。といっても、1ラウンドで6回の手番があって、手番の終わりにカードを補充できるので、実際にはもう少し確率は高まる(可能性がある)。

また、乗っ取りにあたっては、「そのビルで一番たくさんの階数を積んでいるプレイヤー以上の階数を積み重ねなければならない」という制約事項があって、これはゲームの興醒め防止といったあたりかな。例えば、プレイヤー3名の熾烈な乗っ取り合いの末、世界一の高さに成長したビルが、これまで静観していた残りの1人に、最後の最後にポンと乗っ取られたらたまらんからね。

4.バランスが大事です
いくら世界No.1、各都市No.1は得点が大きいといっても、そればっかりに注力していてはゲームには勝てない。4つのビル・パーツを消費して各都市No.1の座を獲得するくらいなら、低いビルでもいいから4つのビルのオーナーであったほうが、むしろ得点効率がよい。前者は3点、後者なら4点だからね。世界No.1や各都市No.1を目指して極端な集中化戦略に傾きすぎても勝てないし、かといって、低いビルばっかりでも得点効率は悪いし。集中と分散のバランスをどう取るか、それがこのゲームの悩みどころ。

5.分かっちゃいるけど・・・
そうはいっても「世界一の座はオレのものだ!」「いや、そうはさせるか!」と仁義なき乗っ取り合戦に突入してしまうのは、なぜ? 「アホと煙は高いところが好き」とばかりに、不毛な争いをやめられないのは、どうして? そう、ここにこそ、このゲームの素晴らしき罠が仕掛けられている。 ポイントは、リスクとリターン、そしてコスト。

まずはリスクとリターンの関係について。
あるビルのオーナーが現在自分であるとして、そのビルが乗っ取りに合うリスクは、低いビルよりも各都市No.1のほうが、各都市No.1よりも世界No.1のほうが大きい。そういう具合になるのは、言うまでもなく、そのほうがリターンが大きいから。すなわち、リスク&リターン正比例の法則どおり。

つぎにコストについて。
投資した分量と言い換えたほうが分かり易いかも知れない。
各都市No.1だとか世界No.1のビルというのは、プレイヤーの面々がそれぞれ、それなりの投資をしているからこそ、その高さに成長しているわけで。全部で24回しかない手番のうちの貴重な何手番かを消費しているのだから、何としてでもキッカリ得点ゲットしないと。なんせ恐ろしいことに、どれだけビルの高さに貢献してようと最上階を制覇しなければ、得点は一切得られないのだから。そして、それは他のプレイヤーにも言えることで。かくして、プレイヤーはアホ争い、失敬、最上階争いを止められない羽目に。

いやぁ、実に人間の果てしない欲望を刺激する、イヤラシくも素晴らしいゲームですねえ。(イヤラシイと言うのはここでは褒め言葉。このゲームではカード運の要素がそこそこ強く、足の引っ張り合いといった泥試合にはならないよう配慮されている点がいい。)

6.その他の工夫として
最後に、ゲームを面白くさせているその他の工夫を2つばかり。

1つはテンポに関する工夫。
建設場所はカードによって規定されていて、そしてそのカード4枚が手札。手番ではその中から1枚を選んでいくだけなので、ゲームは長考することもなくテンポよく進む。

もう1つはゲーム展開のダイナミズムに関する工夫。
ビルには1階から4階までの4種類のパーツがある。この高さの異なるビルを盤上に配置していくことで、各都市No.1や世界No.1のビルが入れ替わりやすくなる。

これらの工夫がスパイスとなって、ゲームの面白さを陰で支えている。


[data:MANHATTAN 2~4人用、Andreas Seyfarth作 ]

ロイヤルターフ2

2005年10月12日 | ボードゲーム
すごく面白いゲームなのに惜しくも絶版だったのが、Table Games in the Worldによると、今度Face2Face Games社から『ウィナーズ・サークル』という名前で再販される模様。でもって、何やら馬の数が増えるとの情報が。むむ、何となく嫌な予感。

(1) 馬の数は全部で7頭。賭ける馬は各プレイヤー3頭。この馬の数が「協力と対決の関係」をもたらして、ゲームを盛り上げるための土台を成している、というのは一昨日のブログで書いたとおり。『ウィナーズ・サークル』では馬の数が多くなったとのことだが、とすると、「協力関係」が薄まり「対決関係」が濃くなるということかな? これがゲームの面白さにどう影響するのか気になるところ。

(2) レースでは7頭の馬を順番に進めていき、全ての馬が移動を終えるまで同じ馬を移動させることは出来ない。このルールはプレイ人数とも関係がある。『ロイヤルターフ』は2~6人で遊べるけど、7頭という数で割り切れないのがミソ。仮に、馬の数が6頭しかなくて、3人で遊ぶとしたら、特定の人がいつも馬カードリセット直後に手番が回ってくることになる。これでは不公平。『ウィナーズ・サークル』で馬の数が多くなったとすると、9頭あたりかな?

個人的には「べつに7頭のままでええやん。ていうか、馬の数増やしたらおもろなくなんのとちゃうの?」と思ってみたり。




ロイヤルターフ

2005年10月10日 | ボードゲーム
『ロイヤルターフ』は私の大好きなゲームの1つ。
遊ぶたびに、ダイナミック&ドラマティックなレースが繰り広げられる競馬ゲームの傑作。競馬好きな人も、そうでない人も、これはほんまにもう、むちゃくちゃ燃えまっせぇ!
「よっしゃ行けー、アールグレイッ!」

レースでは7頭の馬が出走。プレイヤーはどの馬が勝つかを予想し、そのうちの3頭に賭ける。レースでは、プレイヤーが順番にダイスを振って馬を進めていく。1~3着の馬には配当が出るが、人気馬は配当も低く、穴馬は配当が高いのは実際の競馬と同じ。ルールはシンプルなのに、ゲームはエキサイティング。それがドイツゲームの凄さ、ゲームデザイナーの技と力。その工夫やいかに?

(1) 馬の個性
いつも堅実な走りを見せるオセロ、鋭い末脚を持っているがムラッ気の多いアールグレイなど、7頭の馬にはそれぞれに特徴が。でも、どの馬が強い弱いというのは実はなくて、ダイスの期待値の合計はどの馬も同じで30に設定されている。その数値の割り振り方の違いで、馬それぞれに個性をもたせている。この個性の違いが、次に説明する馬の進め方と相俟って、ダイナミックなレース展開を生み出す。

(2) 馬の進め方
レースでは、手番でダイスを振って、どの馬にダイスを適用するか決めたら、その馬を進める。そして、進めた印にその馬カードをずらして置くようにする。次のプレイヤーに手番は移り、同様にダイスを振って進めたい馬を決めるが、このとき馬カードがずれて置かれているものは選べない。残りの馬から1頭選び、馬を進めたらその馬カードをずらし、また、次のプレイヤーが残りの馬から1頭選び、馬を進めたらその馬カードをずらし・・・。で、7頭すべての馬カードがずれたらリセット。つまり、どの馬にダイスを適用するかは、リセット直後は7頭から好きに選択できるが、徐々に選択肢は狭まっていき、最後の1頭にどのダイス目が出るかはダイス次第というわけ。ダイス運のグラデュエーション効果とでもいいましょうか。これが実にいい塩梅に、レースにドラマをもたらしてくれる。もう、ほんまに簡単なシステムやのに、素晴らしくあっぱれ。

で、簡単だからこそ、テンポ良くレースが進む。
これもまた重要なことやね!

(3) 勝ち馬の予想フェイズ
レースの前に、プレイヤーはどの馬が勝つかを予想する。このフェイズはいわば、プレイヤー同士でゲームのバランスを取ってくださいな、というもの。どの馬に賭けるか考える時に、馬の個性に目が行きがちだけど、7頭の馬にはそれぞれ個性の違いはあっても、前述したように、ダイスの期待値の合計はどの馬も30になっており、実は優劣はない。重要なのは、むしろどのプレイヤーがどの馬に賭けているかという点。多くのプレイヤーが賭けている馬は基本的に勝ちやすいし、1人しか賭けていない馬が勝つのは容易ではない。

ということは、一番お金を持っているプレイヤーが賭けた馬には、他のみんなは協力して賭けないようにすれば、そのプレイヤーの独走を阻止できる。ダイスゲームでは、運の良いプレイヤーが独走してしまうことがよくあるけど、このゲームでは予想フェイズでプレイヤー間のバランスを取るように出来ている。

そして、さらに重要なことが。
馬の数は全部で7頭。
賭ける馬は各プレイヤー3頭。
実はこの数がミソで、これによってプレイヤー間に協力と対立が生み出されることに。レッドフォックスはAさん、Bさんが応援し、サハラウィンドはCさんだけが、アールグレイはAさんとCさんが応援、という具合。この後のレースで白熱の展開が繰り広げられるのは、この予想フェイズの段階で「協力と対立の関係」という仕込みがされているからこそ。

つらつらと書いたけど、まとめてみると。
レースで盛り上がるための「協力と対立の関係」を前もって予想フェイズで仕込んでおいて、レースでは馬の個性と進め方によってダイナミック性とドラマティック性を見事に表現している。そんな具合な、センス溢れる好ゲーム。

その他にも、人気馬は勝ちやすいが配当も低いという得点システム、ペースマーカーや最下位の減点システムなど随所に工夫が散りばめられているけど、それらはここでは省略。


[data:Royal Turf 2~6人用、Reiner Knizia作]

スリルの構造4

2005年10月07日 | 雑記
2005年10月4日付のブログで、スリルの要素として、(1)期待感または不安感、(2)ままさらなさ、(3)間、(+α) 雰囲気、という3点+αを上げてみたけど、(1)についてはちょっと突っ込みが足りないことに気づいた。

期待感の前に生じる思考とは、どんなもの?

こっちは安全だけど利益もほどほど、あっちは一か八か当たれば利益はデカイけど外れれば何も得られない。ローリスク&ローリターン or ハイリスク&ハイリターン。

どっちを取るか? ジレンマ。

ここで、思い切ってハイリスク&ハイリターンを選択してはじめて、その結果が判明するまでの間、成功の期待感と失敗の不安感を味わう。

これがスリルの正体か?

ローリスク&ローリターンを選択しては、決して味わうことのできない体験。

さて、もう一度スリルの要素を整理してみると、こんな具合かな。
(1) ハイリスク&ハイリターンの選択
(2) ままさらなさ
(3) 選択してから結果が出るまでの「間」
(+α) 雰囲気(スリルを高めるため道具立て)

(1)は、リスクが大きければ大きいほどスリルも高まる、といったものではない気がする。リスクが大きすぎると、そもそもそれを選択しないし。つまり、成功の期待感と失敗の不安感のバランスがほどよく取れている状態。これが一番スリリングなんじゃないかな。
(2)は、自分の思い通りに状況をコントロールできるわけではない状態。先の見通しが不確実だからこそ、期待感もあり不安感もあり。
(3)は、期待感または不安感を熟成するのに適切な時間。短すぎず長すぎず。

(1)から(3)の要素は、スリルを演出するのに必須だけど、(+α)の要素は必ずしも必要というわけではない、というのは先日言ったとおり。 「雰囲気」が人の想像力を刺激して、期待感や不安感をより強めるので、雰囲気があったほうがもちろん良い。