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にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

給料振替をまかされた

2007-07-29 17:16:21 | サラリーマン1年生
 7月24日は、給料日の前日だ。普通預金係としては、明日の給料伝票を前日の締後(翌日付)に処理してしまう。そうすることで明日の事務の忙しさを、ちょっとでも緩和させる。先月までは、いく田先輩がやっていたが、今月はやってみるようにと指示を受ける。

 まず預かった給料一覧表を元に、振替入金伝票を起票する。一口座づつバロース会計機に掛けて、元帳リーフに記帳する。記帳合計が伝票合計に合えば終わり。伝票を処理済み箱に入れて、明日を迎える。合わないときは、伝票の検証印字を再点検して間違いを見つけるのだが、合っても検証するように教わる。検証欄を一件一件見比べて豆印を押す。念には念を入れて間違いを防止するのだと。1963.7.24のこと。



社内野球、今年('63)も優勝

2007-07-22 23:36:28 | サラリーマン1年生
 7月21日(日)快晴、いよいよ今日は決勝戦だ。先々週の対戦で決勝進出が決まった洲本支店のナイン。昨日のうちにいつもの旅館に泊り込み、控えていた。朝7時に起床、8時にグランドへ向かう。開会式まで1時間ほどあるので、軽く練習してから本戦にのぞんだ。

 今までの予選と違い決勝戦は、本部役員が見守る中で開会式が行われた。総務部が手配したバトン部やブラスバンドの行進が雰囲気を盛り上げていた。音楽に興味があったわたしは、大きな管楽器やドラムの音に聞き惚れて、浮かれていた。あれ!大きなラッパを吹いている人、同期のあら木さんじゃないか。 ユニフォーム姿で整列するナインの前を、ブラスバンドが行進する。背中から肩の上に捻じ曲がる大きなラッパ。そこから出てくる重低音は、豚や牛の鳴き声のようであるが、それより低い。左・右に首を振り音を出す姿勢は手馴れていて、学生時代からやっていたみたい。それにしても入社してすぐ、吹く機会が得られるとは、うらやましいなぁ。(吹けといわれても、わたしには経験がないので吹けないが)
淡路島の支店からは、朝一番の関西汽船で、老若男女の応援団が到着。選手席の横に陣取り、みんな気を吐いていた。

 10時15分にプレーボール。はやくも初回に先取点が4点取れた。試合は楽に運べ、中盤では大差が付いていたが、決勝戦なので9回までプレーした。補欠のわたしも出番がつくられ、打席に立った。ヒットによる貢献はできなかったが、試合は15対4と大差がついた。終わったのは13時30分。試合時間3時間15分という長丁場。負けてる相手のチームはさぞかし、しんどかったに違いない。勝ったわが洲本支店は、昨年に続いての2連勝。持ってきた優勝旗を、再び持って帰ることになった。1963.7.21のこと。

 洲本支店は、翌('64)年も優勝してV3なる(↓そのときの写真) ちなみに巨人のV9は、この翌々('65)年から始まる。
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    ↑ 決勝戦プレーと応援席(右)

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↑ 表彰式に整列する選手たち(向かって右から6番目が筆者のわたし。ひとりだけユニフォームが違う)

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↑ 3年連続優勝を記念して、ナイン全員にレプリカが配られた。(この像、左打ちなのか?) 像をもらって2カ月後、10月10日から、「東京オリンピック」がはじまった。




年休で農業

2007-07-18 23:52:27 | サラリーマン1年生
 7月17日(水)。年休をもらって両親の農業(葉たばこの収穫)を手伝った。ボーナス直後の年休ということで、申請にちょっと気が引けたが、思い切って申し出たところ、上司は気持ちよく判を押してくれた。それには大変うれしかった。

 葉たばこを栽培する農家は、7月は収穫で忙しい。土日を利用すれば年休をとらずに済むのだが、社内野球とぶつかるので、平日に休みをとった。

 葉たばこの収穫作業は、背丈ほどに伸びたたばこの木から、葉っぱをもぎ取ることから始まる。今日は、たばこの木に付く葉っぱをすべてもぎ取る、伐採作業だ。
 田んぼでもぎ取った葉っぱは、家に持ち帰り1枚づつ連縄(れんなわ)に挟みこむ。全部を挟み終えたら、乾燥室という密閉の建物に吊るして、乾燥の準備が完了。乾燥室のかまどに薪を入れ、火を点けて室内温度を上げていく。たばこの葉っぱが黄色くなるまで燃やしつづけること2~3日。家族が交代して徹夜でかまどの薪入れと室温管理を続けるのであった。1963.7.17のこと。


初めてのボーナス

2007-07-17 22:07:55 | サラリーマン1年生
 7月15日、夏のボーナスが出た。先輩たちは、春に続いて2回目たが、春に入社したわたしは、初めてのボーナス。失礼だと思いながら、一つ年上の先輩に額を聞いてみた。2万3千円ももらっている。わたしの1万円の倍以上だ。でも見習いの分際を忘れていた。来年に期待しよう。1963.7.15のこと。

 欲しい電気製品があったので、会社帰りに電気屋さんへ立ち寄った。お目当ての扇風機を値段交渉したが、ボーナスの範囲には収まらなかった。仕方なく、本日はパンフレットだけもらって帰ることにした。
 帰って母に相談すると、わたしのボーナスを使うのではなく家で買うという。それならと、翌日、13,000円也のハイグレード型を買って帰った。

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 ↑ これがその型(風速3段切り替え、首ふり角度自由、高さ調節のハンドル付き)
 はじめのうちは、家族全員が扇風機の前に群がり涼風を楽しんでいたが、そのうち、風呂上りに涼む程度に落ち着いた。


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 ↑ 扇風機がないときは、このような「うちわ」を使っていた。1963年夏


おじいさんが町議に立候補

2007-07-16 22:29:52 | サラリーマン1年生
 7月14日 日曜日、晴れ。今日は、南淡町々議会議員選挙の投票日だ。祖母(きくやん)と縁あったおじいさんが立候補していると聞いて、母が選挙事務所の手伝いに加わっていた。玉葱の仲買いで成功したので、後は名誉が欲しくなり立候補したのであろう。

 昨年、わたしが高校3年の夏休みで暇をもてあましていたら、商いに使う玉葱の木箱を、アルバイトで作るよう頼まれた。商いには厳しいひとと聞いていたが、逢ってみると気さくな、物分りのいい人だった。玄関には、自分の名前、「鹿一」にちなんで、剥(はく)製にした鹿の頭が飾られていた。

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  ↑2年後の鹿一つぁん

 あれから1年、わたしはサラリーマンになったが未だ18歳で選挙権は無し。是非、当選してもらいたいと思いながら、幟(のぼり)がたなびく事務所の裏に自転車を置かせてもらう。そして電車駅に向かうわたし、今日は、はじめての日曜出勤だ。1963.7.14のこと。


初めてメグロに乗った

2007-07-10 23:52:05 | サラリーマン1年生
 今日は、めずらしい体験をした。自動二輪車に乗る、それも「メグロ」という白バイとおなじ車種だ。

 預金係は、3時に窓口を締めると、よく外出する。いつもは、原付のカブ(50cc)かベンリー(125cc)に乗って一人で出かける。だが、今日は違った。渉外係のH上先輩から、「メグロ」に乗って遠出しようぜと薦められた。
商談の見聞ができるうえに、メグロにも乗れる。早速、後ろに載せててもらい、得意先へ向った。

 用事を終えての帰り道、今度は私がハンドルを握った。右足変速、左足ブレーキにはちょっと戸惑ったが、独特のエンジン音と力強さには感動した。これが、みんなが注目する所以(ゆえん)なのか。先輩曰く。この二輪車は、転倒したら重くて、一人では起こせないぞ。それを聞いた私は、おじけづいたのか、メグロのように大きな二輪車に乗ることはなかった。1963.7.10のこと。


手形交換に行く

2007-07-08 23:57:58 | サラリーマン1年生
 入社して4ヵ月目に入った。今日から私は、当座係として手形交換に行くことになった。他行の手形を一箇所へ持ち寄り、現物を手渡し、自行分を持ち帰るのである。枚数・金額を当たり、違算がなければ貸借決済して帰れるのだが、ここでもそろばんがものをいう。初日の今日は、K下先輩が同伴してくれたが、明日から一人で行かなければならない。

 他の同期生のW村君は渉外担当、H岡君は福良出張所で渉外担当に就いていた。

 今日は、あたらしい仕事の初日だったので(学ぶのに)疲れた。帰って夕食後、連続テレビドラマ、「図々しい奴」を家族と一緒に観た。6月から始まった連続ドラマで今日は6回目。主人公(丸井太郎)の図々しさと行動力には、新米サラリーマン(私)を元気にする何かがあった。1963.7.8(月)のこと。


今日も圧勝

2007-07-07 23:48:07 | サラリーマン1年生
 7月7日(日)。園田学園のグランドで支店対抗野球試合があった。補欠の私も、いつもの旅館に昨日から泊まりこみ、今日の試合に臨んでいた。
今日の対戦は、大阪ブロック代表の谷町支店である。相手も勝ち進んできたチームだけに、手ごわい。5回裏までは1対3で負けていた。その後、ベンチでの私の応援が効いたか、6回に逆転する。そのまま最後までリードし続けて、結局10対3で大勝した。終盤、わたしも、ピンチヒッターで出た。おまけに、まぐれのヒットが出た。我が人生でユニフォームを着て打てた初のヒットである。

 これで洲本支店が、V2に王手をかけたことになる。再来週がその決勝戦。1963.7.7(日)のこと。



口座元帳の残高照合

2007-06-27 23:48:30 | サラリーマン1年生
 6月26日。普通預金係に就いて1週間経った。I 田先輩が突然電動加算機を取り出してきた。何をするのか尋ねてたら残高照合だという。口座元帳の残高を、全枚加算するのだそうだ。そうして得た全口座の残高合計を、経理係の総勘定元帳の残高に一致しているかを確認するだという。
 残高が合わなければ、誤りの口座の元帳を探しだして修正する。長時間不合のまま放置するとお客とのトラブルにつながる。口座元帳は正確に記帳できていて当たり前。常に正しい残高を維持することが大事であると教わる。それにしても、何千枚もの口座元帳を一人で加算するとは大変な仕事だなぁ。先輩の根性には感銘する。

 加算作業を傍観していたら、読みあわせを手伝わされた。加算した合計が合わないとき、加算機のジャーナル紙を外して、元帳と読み比べるのである。
私が元帳をめくりながら残高を読み上げ、先輩が加算機ジャーナル印字の数字チェックを分担した。全枚チェックして、加算合計に誤りなければ、元帳の記帳誤りと断定できる。口座元帳の残高増減を全枚再点検するのであった。

 口座元帳は、バロース会計機に差し込むように厚紙のリーフで出来ている。伝票とリーフと通帳の3点を会計機に差込み、前残高と入出金額を入力すると、新残高が機械式計算機で算出され、同時に3点にタイプ印字される。1日の入出金合計も算出されるが、前残は人目に依存するので、要注意。これが、後日の残高照合に委ねる所以(ゆえん)だ。

 この会計機の値段を先輩に聞いたら、昨年、購入した最新式で、100万円あまりもするのだと。田んぼを耕す耕運機なら、発動機つきで15万円ぐらいだけど、それに比べると高いなぁ。初任給の60ヶ月分に相当する。この数年後にコンピュータに取って代わるのだが、当時は、商店のキャッシュレジスタと共に重宝する会計機だった。1963.6.26


対戦結果は圧勝だった

2007-06-23 23:49:19 | サラリーマン1年生
 今日は6月23日(日)。支店対抗の野球試合が園田学園のグランドであった。これから1ヵ月、毎週、地域別の予選が行われる。我が洲本支店は、今日の午後明石支店と対戦する。それに備えて昨日から、グランド近くの旅館に泊まりこんで準備していた。旅館からグランドまでは徒歩で10分。朝食を旅館で済ませたナインは、ユニホーム姿で田んぼの畦(あぜ)を一列に歩んでいた。風が吹いてくると、近くに養豚場があるのか、豚の臭いがする。わたしが通ってた中学校の近くにも豚小屋があって、そこと同じ臭いがする。そんな養豚場を抜けたら目指すグランドだった。

 洲本支店は昨年の優勝チーム。V2を目指して、グランドに早く来て練習する熱心さだ。支店に常駐するB府監査役の野球好きが、チームを掻き立てているらしい。2時間程練習してから、午後の明石支店との対戦に臨んだ。結果は13対1と圧勝だ。勝負がついた試合の終盤、わたしはピンチヒッターで打席に立った。結果はアウトで残念だったが、それからの毎試合、ピンチヒッターで出て、守備はライトとパターン化した。1963.6.23(日)のこと。



野球の試合に臨む

2007-06-22 22:35:08 | サラリーマン1年生
 6月22日、今日は土曜日なので仕事は2時で終わる。でも、明日日曜日は、支店対抗の野球が尼崎の園田学園であるため、みんなは3時半の関西汽船で神戸へ向かった。海上2時間で元町中突堤につく。三宮までタクシーに乗り、阪急で塚口だという。園田学園だと聞いていたので、名前から推測して最寄り駅は園田駅だろうと思いきや、ちがっていた。ひとつ手前の塚口駅で降りて10歩ほど行ったところに旅館さとうがあった。今夜はここに泊まるのだ。

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↑ 塚口駅前ある旅館の入り口は、1963.6から変わっていない。


今日から普通預金係

2007-06-21 23:49:54 | サラリーマン1年生
 6月21日、今日から普通預金の窓口係だ。入社して3ヵ月目のこと。
先ずは、カウンタ側に座って、先輩を見て学ぶ。お客様が着た。「いらっしゃいませ!」。半月前まで、隣のカウンタの出納係にいたから、あいさつには慣れていたが、緊張していた。


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↑ 通帳とお金と、このような伝票を受け付けていた。
現金を出納係で収納済ませたのち、後方のバロース会計機で、伝票、通帳、元帳リーフを機械印字する。機械操作は間違いが許されないので、しばらくは I 田先輩におまかせする。わたしは通帳をお客様にお返しすることから、始めていた。1963.6月


経理係は今日まで

2007-06-21 00:38:15 | サラリーマン1年生
 今日、6月20日で経理係の見習いを終えた。2カ月間見習う予定がなぜか急きょ変更され、明日から、普通預金の窓口係を命ぜられた。そこで今日は後任へ引き継ぐため、「総勘定元帳」と、「損益補助簿」を仮に締めて、突合することになった。えらいこっちゃ!10円合わない。 再度、そろばんを入れて間違い箇所を発見する。小計の出し方で10円の計算ミスをしていた。これを直して、後任の方へ無事引き継げた。指導くださったN川課長、N川先輩、有り難うございました。後任のT中同輩、よろしくおねがいします。


 半月の見習いでは、月末処理や決算処理を経験出来ないが、経理の基礎だけは理解できた。高校2年のとき、Y富先生から習った簿記の心がやっと分かった。そして今回のこの経験が、7年後のコンピュータシステムの設計に役立つ知識だとは、思いもしていなかった。1963.6月。


野球の練習、背番号16

2007-06-16 22:26:37 | サラリーマン1年生
 6月15日(土)。野球の練習をするので、今年入った新入男子社員も参加するように! 前日から言われていたので、業務を早めに終えてユニフォームを着用した。同期のW村君は、高校野球の経験があるのでポジションが与えられていたが、わたしは、ベンチウァーマー兼ボール拾いの役だ。小学時代、ソフトボールを授業でやった程度で、野球はまともにやったことがない。それでも、ユニフォームが一式揃っていたので、着用して参加した。背番号16がわたしの番号だ。

 今日から1ヵ月、毎週末に練習して、翌日曜日に他店との予選試合に臨むなど、社内野球に力を注いでいた。それもそのはず、昨年は、全店優勝したので、今年もと、V2をねらって臨んでいるのだと。
Uniform16
↑ わたしも、いつのまにか勝ち試合にだけ、恩情のピンチヒッターとしてバッターボックスに立っていた。
でも、同期のW村君のようにヒットはなかなか出ない。もうひとりの同期のH岡君とわたしは、どんぐりの背くらべであった。

 それにしても、年輩のK合代理の身のこなしには関心する。腰周りがm級なのにセカンドの守備に着いて身を軽快にこなしている。すごい人だなぁ。仕事では、電動加算機よりそろばんを使えと厳しい人だが。1963.6月のこと。


経理を一部交代する

2007-06-14 23:14:45 | サラリーマン1年生
 今日6月14日から、記帳作業を同期のT中さんと交代した。日計表をT中さんに作ってもらい、本支店伝票の記入はぼくがすることになった。それにしても、経理係は、いろいろな帳簿に書くことが多い。
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196306051

簿記は、高校で習っていたのでそれ程難しくは思わないが、ペン字とそろばんは苦手だ。帳簿は、鉛筆で書くわけにいかない。ボールペンかインクペンで書くのだが、好き嫌いは言っておれない。丁寧に時間をかけて書くことにつとめた。1963.6のこと。