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にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

千里山へ転寮した

2014-03-03 00:22:44 | サラリーマン7年生
 先月、急に上司から転寮するように告げられて、3月1日に引っ越しした。同僚のT祢さんと一緒にだ。

 3月14日から大阪万国博覧会が始まる。そうすると地方のお得意様の宿泊に寮を利用してもらう。そのために寮のワンフロアを空けることになったらしい。それなら、千里山寮の方が近くて便利が良いと考えるが、違うらしい。

 甲東園寮の方を空けるのだと急に決まり、甲東園へ入寮予定の新入社員も全部、千里山寮へ変更になったのだ。1970(S45).3のこと。

 
 転寮は、センター勤務のT祢さんとわたしの二人だけ。なんでやと理由を尋ねたら、センターへ赴任する新入社員のコンピュータ指導を寮内で先輩が行うためだという。引っ越しは会社都合なので、引っ越し費用を全部会社が持つというので、応じた。

 3月1日の日曜日、会社が手配した業者のトラックで荷物を運び、千里山寮に替わったら、住み込み寮監の歓迎を受け、後輩の研修部屋まで用意されていた。



帰省

2014-01-04 23:43:23 | サラリーマン7年生
 この年の1月4日は日曜日。正月休みが例年より1日多い年だった。年末から田舎へ帰り、両親や兄弟とゆっくりお正月を過ごす予定だった。それが、おんなのこからの連絡で1日早めて戻ることになった。1970(S45)年正月のこと。

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お話し聞いてと、遠くから出てきた娘、喫茶店にあった新聞の切れ端(↑)に、こんなメモを残して帰った。

 2年程まえだった、職場の上司からこの娘への教育・指導を引き受けさせられた。それが、それ以上だとのうわさが発ったが、そのような仲にはならなかった。
 そして今日1月4日、10年後に互いが、子連れの家族になっていることを誓い合い、別れた。やれやれとの気持ちと、そうでない気持ちが交錯した正月だった。

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 ↑ 「今日でお別れ」/菅原洋一
 1969.12.25再発売。
このころ流行り出したこの歌が、妙にピッタリしていた。



'69クリスマス

2013-12-21 08:53:44 | サラリーマン7年生
 12月21日の日曜日に、恒例のX'masパーティがあった。昼の部は10時半から17時まで、夜の部は18時から21時半まで。大村崑さんのゲスト出演で、社員の家族や子供たちは、思い出に残る楽しい時間を過ごすことができた。1969(S44).12.21のこと。

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 ↑ 大村崑さん。昨年に引き続き、今年も有り難うございます。

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 ↑ 500名の子供を交えた家族パーティは、総数1,100名も集った。

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 ↑ 夜の部は女子社員300名に対して男子社員250名というが、、、



合宿してシステム設計

2013-12-19 23:55:56 | サラリーマン7年生
 12月中旬、オンライン・リアルタイム・システムの開発作業の進捗発表を、研修所に泊まり込んで行った。コンピュータ・ベンダー(ユニバック)からは設計指導者(SE)が2~3名、当社からは課長以下15人ぐらいが参加した。1969(S44).12のこと。

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 ↑ 当時の研修所の入口

 夏から作ってきた仕様書やフローチャートを、担当ごとに発表していく。仕様書を読み上げたり、黒板に図示したり。SEからは質問や修正意見がときどき飛んだ。発表が長引いても大丈夫。その場に泊まり込みだから、たっぷりと時間があった。

 B場先輩の発表はユニークだった。B4用紙に書いたフローチャートが巻き物のように細長く糊づけされていたのだ。広げていくと畳部屋の端から端まで伸びた。それをみんなが、絵巻物を見るようにしゃがんで覘きこみ、先輩の説明を聞いた。

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 ↑ 時折り眺めて頭をやすめる前庭。
1週間続いた発表会だったが、白壁の事務所と違い、畳部屋も使えたので心がいやされ、楽しかった。

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 ↑ 初日の夜は、SEがこっそりと持ち込んだウィスキーで懇親した。
ふとんを敷く前の畳の上に、ウィスキーとグラスが並んでいた。



'69寮祭

2013-12-14 20:39:02 | サラリーマン7年生
 12月14日、恒例の寮祭があった。役員の人は前日から、パーティー会場を設営するなど、ご苦労をなさっていた。わたしは役員ではないので去年同様、レコード演奏用にと、ステレオ装置の貸し出しで協力をした。
そして当日、ハワイアンバンドのメンバーとして演奏にも参加して、みんなでワイワイ楽しんだ。1969(S44).12.14のこと。

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 ↑ 寮長からバンドメンバーの紹介があり、パーティが始まった。

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 ↑ 夏と違って冬は流行歌などの軽音楽が多い。新しい曲だと練習不足ぎみ。真剣に譜面を追いながらの演奏になっていた。

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 ↑ レコード音楽にあわせて、ダンスにも参加。

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 ↑ 縄を使ったゲームにも参加したが、みんなの笑いの的になってた。



NEAC1240からOUK9300へ

2013-12-12 22:26:22 | サラリーマン7年生
 12月にOUK9300中型コンピュタが新設稼働した。オンライン機の導入に先駆けて、先ず、処理の遅いNEAC1240小型コンピュータでやっている紙テープベースの日計システムから移行したのだ。1969(S44).12のこと。

 OUK9300は、講習中のUNIVAC418Ⅲとプログラム(アセンブリ)言語が異なる。すぐにプログラム開発できる社員がわが社にいない。でも、プログラムはUNIVACのスタッフが作ってくれるというので、移行仕様書だけを提出してプログラミングを頼んだ。

 オンライン機の研修~設計の合間に、システム・テストが終わり移行の日がきた。旧システムの紙テープをOUK9300へ読み込ませていく。移行途中、紙テープがスムーズに読み込めず、何度もリスタートする。深夜まで立ち会った日は、寮に帰らず、課長の家に泊めてもらった。

 深夜だというのに、奥様が起きておられて、風呂や下着の準備までしていてくれたのには、恐縮した。(新しい下着のお礼もせずに、2012年にその課長は亡くなられた。残念)

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 ↑ 稼働開始のOUK9300コンピュータ



忙しいひと

2013-11-30 22:39:36 | サラリーマン7年生
 11月30日、遠いところへ引っ越した娘が、訪ねてきてくれた。この秋に新しい仕事に就けたので、忙しい毎日を送っているとの報告を聞き、安堵した。
わたしも今、オンライン・システムの設計真っ最中で忙しくなりつつあった。1969(S44).11.30のこと。


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 ↑ 別れたあの人 唄:加山雄三
 1967年9月15日発売曲。
  この歌では手紙を焼いていたが。


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 ↑ 喧嘩のあとでくちづけを
唄:いしだあゆみ 1969年11月25日発売。
  いしだあゆみさんは1年前、「ブルー・ライト・ヨコハマ」で、別人のように女っぽくなって大ヒットを飛ばした。それから1年たって、さらに女っぽくなり、またヒットしそう。そんな予感がする曲だ。



EXEC3研修

2013-11-26 23:28:22 | サラリーマン7年生
 11月18日から24日、先送りされていた入出力系のプログラミング研修が行われた。EXEC3と呼ぶ制御ソフトを通じて入出力を行うアプリケーション・プログラムの組み方。入出力の対象には、磁気ドラムや磁気テープ、コンソール・タイプライタやライン・プリンタなどの周辺装置の他に、回線接続端末などがあった。1969(昭和44)年11月のこと。

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 ↑ 文字のビット構成表(6ビット文字コード)



情報処理技術者認定試験

2013-11-16 21:38:22 | サラリーマン7年生
 11月16日(日) 情報処理技術者認定試験(Ⅱ種)にチャレンジしてきた。第一回ということで、どんな問題が出るのか予想がつかない。この夏買った予想問題集にそのように載っていた。受験料1,000円も無駄にしたくないので、とりあえず受けてきた。1969(昭和44)年11月16日のこと。

 午前は9:30~12:00、午後は13:00~15:30の計5時間、途中で投げず最後まで答案用紙に向かった。無い頭を使ったので疲れた。

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 ↑ 当時の試験要領


「水平思考」が大流行り
 このころ「水平思考」という言葉が新聞・雑誌をにぎわしていた。電子計算機時代の思考は、従来の概念にとらわれてはならない。従来のを「垂直思考」というなら、水平とは横断的に思考すべしといったところか。

 ビジネス街の喫茶店には、週刊誌や漫画雑誌が多数置いてあった。コーヒーを飲みながら、みんなこぞって時間つぶしに読んだ。そのなかに、水平思考と垂直思考の違いが載っていた。エドワードなんとかという人が、説いた論だったのかも。
 


秋の慰安旅行

2013-11-03 22:33:31 | サラリーマン7年生
 11月2日から3日にかけて、部の慰安旅行で和歌山の勝浦温泉に行ってきた。今までのバス旅行と違って、今回は多人数で、はじめての特急「くろしお」だったので、良かった。 1969(S44).11のこと。

 朝8時半に国鉄天王子駅に集合。この駅ははじめての場所なので自信がなかったが、一緒に行く同僚が詳しかったので、付いて行った。

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 ↑ 潮岬観光タワー前で記念写真/企画調査部

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 ↑ 潮岬灯台のふもと

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 ↑ 灯台のふもとからの眺め。ここが本州の最南端か!

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 ↑ 串本の海岸にはこんな岩ばかりが立っていた。橋杭岩というらしい。名前もしらない他課のおんなのこと記念写真。

 このあと勝浦温泉「ホテル浦島」に宿泊して、洞窟温泉に入って、翌日は瀞峡へ。

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 ↑ 瀞峡(どろきょう)をプロペラ船で上っていく。船上の後方にはおおきな扇風機のようなプロペラが回って船が進んで行く。外にいては大きなエンジン音が響くので、船室に入って窓から景色を眺めた。

 水深が深いのだろう、水面が緑色に見える。川は大きくそびえ立つような岩肌に挟まれて、水面が広いので不気味さを感じる。半時間以上乗っただろうか、崖の上に建物が見えてきた。

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 ↑ 「瀞(どろ)ホテル」だとガイドさんから案内され、ここで休憩するようにと船が接岸された。

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 ↑ 船から降りて、グループごとにスナップ写真を撮った。ネガフィルムが此処で終わったので、後の行程は忘れた。



はじめての出張

2013-10-29 23:01:53 | サラリーマン7年生
 10月29日、オンライン・リアルタイム・システムを先行稼働している会社二社へ、上司のお供をして見学してきた。1969(S44)10.29のこと。

 二社とも東京駅から歩いて行けるところに事務所があり、担当の方にお会いでき、設計のポイントなどをご教示いただけた。一社はコンピュータが近くにあったので、稼働の様子まで見せていただけた。 

 当時のコンピュータは、制御装置と記憶装置だけで部屋いっぱいになる感じ。豆球が点滅するボードが有ったが、人目にはなんのこっちゃ分からない。テープが回る磁気テープ装置と帳票に印字するラインプリンタを見て帰ったかのだったかな。



転勤して1年

2013-10-24 22:46:46 | サラリーマン7年生
 早いもので、尼崎から事務センターへ転勤してきて1年が経った。営業店と違って、直接顧客に会うことがないので気楽な勤めだ。こんなこと社長に聞かれたら首になるかもしれない。とはいっても、オンライン・システムの開発が決まってからは、ユニバックSEの指導による設計作業が、ほぼ毎日つづいていた。1969(S44).10月のこと。


 寮に帰ると、友人から「Happy Birthday Card」が届いていた。
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 ↑ カードには直径5cmのビニール製のレコードが付いていた。
  取り出して手持ちのプレーヤーにかけたが小さすぎて再生できない。ピックアップアームがすぐリターンしてしまう。残念。