goo blog サービス終了のお知らせ 

にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

マツタケ狩りに行く

2007-10-21 22:54:04 | サラリーマン1年生
 10月20日日曜日。支店のチョンガー有志で鮎屋(あいや)へマツタケ狩りに行ってきた。朝、9:40賀集発の電車に乗り、広田駅で下車。みんなと落ち逢い、目指す松茸山へ。

 マツタケはとれなかったが腹は空いてきたので、だれかが弁当を広げた。↓
196310203
 ↑ あれ! いく田先輩、サウスポーだった? 1963.10.20




冬服をつくらなくちゃ

2007-10-21 22:23:39 | サラリーマン1年生
 10月に入ったら大分涼しくなった。先輩にたずねたら、冬には冬服を着るのだという。今年入社したわたしには、冬服はもっていない。買うにも、お金が貯まっていない。今春、入社祝いにと、両親が無理して買ってくれた「あい・冬兼用」の背広が1着だけある。今年は、これで辛抱するか。

 でも数日後、取引先の花野洋服店を訪ねて、あずき色の生地を探していた。
先月、公民館の青年芸能祭で粋なスーツで歌を唄った青年がいた。そのスーツはあずき色。中学の部活で2か月ほど、ご指導いただいた、2つ年上の先輩ではないか。「あっきゃん」とみんなから呼ばれるその先輩。着こなしというか、そのカッコのよさに近づきたくて、同じ色の洋服をつくろうとしていた。

 あずき色は無かったが、それに近い茶色があった。色に迷い、値段にも迷ったがそれを誂(あつら)えた。洋服屋のおじさんが、22,000円に勉強してやるという。今日は採寸のみ。1週間後に仮縫いができるので、試着にくる約束で今日は帰った。母から15,000円借りる約束はできていたので、今日、注文できた。1963(S38).10.3 


青年団の芸能祭で唄う

2007-09-30 23:59:47 | サラリーマン1年生
 9月21日は土曜日だった。夜、7時半から公民館で青年団の芸能祭があるというので、夕食を終えてから急いで駆けつけた。
舞台は始っておらず、各地区の青年団の踊りが準備に入っていた。

賀集公民館
 ↑ 当時の公民館

  踊りの後は、ダントー(株)のバンド演奏による恒例ののど自慢。飛び入りOKなので、思い切って私も出て唄った。曲は橋幸夫の「白い制服」。あとで聞くと、内気な私が舞台に出たことに、家族等はびっくりしていた。してやったり。

 というのは、昨年、父と一緒に観客席で見ていたときのこと。いきなり私に、飛び入り参加するようけしかける父。急に言われても、こころの準備ができていないと、尻込みする度胸のない私。そのとき以来ひそかに考えるようになった。来年は、かならず出て唄うぞ!と。

 そして1年後の今回、勇気を振り絞って出たわけだ。月刊「明星」誌の附録の楽譜を引きちぎって胸ポケットに。出るか出ないか迷いながら、おそるおそる楽屋をのぞくと、バンドの音合わせ真っ最中だ。思い切って雑誌の楽譜を提示すると、演奏OKとなり、部隊のそでで順番を待つことになった。そして、唄ったのが橋幸夫の196308「白い制服」♪「白い制服」('63.8.5発売)
 これで父の鼻をまたひとつ明かすことができた。サラリーマンに成りたての18歳のわたし。1963.9.21のことだった。

 その一週間後、今度は賀集小学校の講堂で南淡町青年団での芸能祭があったが、これには、出るだけのエネルギーが残っていなかった。

今日は、利盛日

2007-09-24 20:47:54 | サラリーマン1年生
 3月と9月は決算月、普通預金係は、全口座の利息を計算して口座に振り込む(支払う作業を行う。これを「利盛(りもり)」と呼んで、第二土曜日と翌日曜日に出勤して行う大変な作業だった。私にとっては、今回が初めての利盛。いく田先輩の指導のもと、手分けして作業を行った。(この方式は、数年後のコンピュータ化でなくなるが、私としては、事務の基本として貴重な経験だった)

1963_9
 ↑ 私の普通預金口座の元帳はこんな感じ(再現イメージ)。残高が少ないので、利息は17円。だが、税金(利子所得 分離課税20%)が引かれて入金額は14円だ。

 日常、普通預金の入金や出金は、バロース会計機で元帳に印字する。だが、故障時はペン書きになる。
利息は、メカ式のバロース会計機では計算できないので、昔から行ってきたペン書きで記入する。でも、通帳には、後日持ってこられたとき、会計機の後日記帳モードでタイプ記帳する。これでお客様の通帳と銀行の元帳が同一の内容になる。


 では、普通預金の利息は、どのようにして計算するのか。電卓なんてものは無く、コンピュータも普及していない、そろばんだけの時代、計算を単純化する工夫がされていた。

 利息の計算式は、残高×預入日数×日歩6厘÷100円。
だが、入金・出金により残高が変動するので、毎回計算するのは面倒臭い。 そこでいろんな数表を利用する。

 まず、式の前半「残高×預入日数」を、残高異動の都度、積数早見表で求めて積数欄に日々記入しておく。(積数=残高増加(減少)額×決算日までの日数。表を使うのでそろばんは不要)
 3月・9月の利盛時に、積数を合算して、式の後半に当る「×日歩6厘÷100円」を、利息早見表で求めて、税引き利息を入金記入する。(積数に応じた利息額・税額・税引き利息を表から読みとり元帳に書きとめる。表を使うのでそろばんは不要)

 いままで述べたように、掛け算・割り算がなくなって、その分、計算ミスが防げる。こうして、ソロバンが苦手だった私にも、複雑な利息計算が多数こなすことができた。

1963_9_2
 ↑ 積数早見表と利息早見表とはこんなもの。(記憶をたどっての再現)1963.9.15 誕生日がまだなので18歳終わりのこと。


本採用になる

2007-09-24 16:46:20 | サラリーマン1年生
 9月11日、本採用になる辞令を店長からいただいた。3月11日に入社して以来、半年の見習期間が過ぎたのだ。これでやっと月給制となり、有給休暇がもらえる身分になった。

 19630911 
  ↑  高卒入社の初任給は16,000円(大卒だと20,000円)。
コッペパン¥10、牛乳¥15、昼定食¥60の時代。1963.9.11のこと。



「図々しい奴」が終わった

2007-09-23 23:13:17 | サラリーマン1年生
 1963年の6月3日から毎週放送されたTVドラマ、『図々しい奴』が9月9日、15回の最終回で終わった。戦中から戦後に生きた元気な貧乏人が、大富豪に出世する物語。進駐軍を相手に商売する主人公は、戸田切人(丸井太郎)。持ち前の図々しさと行動力で毎回、商いを成功させる。所詮、ドラマだが、商いのやりかたに感動を覚える。サラリーマンになりたての私には、元気づけられたり、励まされたりの番組であった。


宿直中に台風が

2007-09-22 00:34:20 | サラリーマン1年生
 8月27日、今日は宿直。朝起きて母に言われるまでそのことを忘れていた。宿直は月2回まわってくるので、いつの間にか母が日を当てるようになっていた。私よりよくわかっている。入社当初のことである。空の弁当箱を電車の網棚に忘れたことが何回かある。居眠りに目覚めて、あわてて降りるので網棚の点検を忘れる。そのたびに母が言うのである。「忘れっぽさとそそっかしさは誰に似たのだろう?」 

 会社へ着くとやはり、今日は宿直日であった。台風11号が接近してきているので、ちょっと心配だなぁ。でも、住まいが近くの運転手のやま野さん、ときどき様子を見に来てくれる。アドバイスどおり、とっさのときに対応しやすい事務室のソファーで休むことにした。

 朝起きて、テレビで確認したら、台風は遅れ気味。中心を外して今夜通過するとの予報だ。一安心したらおなかが空いてきた。向かいのお店へ駆け込み、いつもの菓子パンと冷たい牛乳で朝食を済ませた。1963.8.27のこと。


月賦はもういやだ

2007-09-07 22:50:12 | サラリーマン1年生
 明日8月25日は日曜日なので、1日繰り上がって今日24日(土)が給料日だ。これで、5回払いの月賦が完済する。やれられ。それにしても、月賦払いでものを買うとこんなにしんどいとは、、、。

 そういえば、祖母がこんなことを言っていたな。「借金したら、夜逃げせねばならない。だから、絶対に借金するなよ」って。月賦も借金と同じようなもの。完済できなかったら、この地に住んではおれない。でも、完済できたのでよかった。これで追っかけてくる人はいないはず。

 これからは、買ったつもりで金を積み立てることにしよう。そして貯まるまでは、ものを買わないぞ。もう、毎月の月賦に追われるのはいやだから。そう思ったのは1963.8.24のことだった。


キャンプが中止

2007-09-07 19:21:14 | サラリーマン1年生
 今日、8月17日は土曜日で半ドン。半ドンといっても支店の場合3時まで業務がある。それを終わり次第、大浜海岸でキャンプをする予定だった。だが昼過ぎから雨が降り出したので中止になった。残念!

 でも、私は、あきらめきれず、5時頃まで会社に居残った。先日から拝借しているいく田先輩の手書きノートをみるなどで時間をつぶす。そこには、バロース会計機の訂正操作などがたくさん載っている。見るだけでは覚えられないので、役席に頼んで鍵を再度借りて、会計機を動かす。訂正方法などを繰り返し練習していたら、あっという間に時間が過ぎた。

 先輩いわく、「訂正しなくてもよいよう、通常操作を間違えるな!」だって。それもそうだ。母からはいつも言われている。「おまえは、そそっかしいから、間違いを起こしやすい。そうならないよう気をつけろよ」と。またしても、自分を再認識するわたしだった。1963.8.17のこと。


トヨペットクラウンに初乗り

2007-09-07 13:34:35 | サラリーマン1年生
 8月17日(土)、出社したらうれしいことが待ち受けていた。運転手のやま野さんに代わって、車で店長を迎えに行くようにと云われたのだ。

 入社前、18歳の誕生日が過ぎた12月、自動車教習所で毎日2時間、10日間で20時間乗って取得した運転免許証。まだ、路上運転はしたことがない。日頃、「運転してみたいなぁ」とやま野さんにおねだりしていたのだが、いつも「ダメ ダメ!」と断られていた。それが、今日、代わりに運転してくれと頼まれたのだ。

 店頭業務は、いく田先輩にお願いして、さっそく運転することにした。

Crown



↑ これが初めて運転した「トヨペットクラウン車」
 観音開きのドアーに、コラムシフト。9カ月前に教習所で練習した車と同じ車種だ。無事、店長宅(宇山)を往復した。わたしは胸をなでおろした。初乗りのことは、店長はもちろん、運転手に内緒にしていたが、もしかしたらバレていたかもしれない。その後、転勤するまで2年半、ふたたび運転する機会は得られなかった。1963.8.17のこと。


バロース会計機が故障

2007-08-08 23:51:08 | サラリーマン1年生
 今日、8月8日、バロース会計機が動かなくなってしまった。いつものキーをいくら押しても、うんともすんとも言わない。 いく 田先輩に告げると、すばやく、通帳を手書きして自分の証印を押して、お客様へ渡していた。
ふーん。故障のときはそうするのか。トラブル時の対処方法を知らないわたしは、またひとつ新しいことを教わった。

 先輩は、故障した機械を解体・点検していたが、らちが開かない。結局、保守会社へ電話して、神戸から来てもらうことになった。でも台風が近づいているので今日中は、来られない。 しかたなく、今日処理する(締前)伝票は、ペンで元帳へ手書きした。伝票を、先輩と二人で分け合ったが、手書き作業はしんどかった。


Burroughs
↑ バロースF250S会計機(イメージ図)

 先輩には報告しなかったが、故障の原因に思い当たる節がある。会計機の実行キーの押し方が強引すぎたのだ。メカで出来た会計機は、キーを押すたびにガチャガチャと音を出して計算・印字、そして次ぎの印字位置へタブ移動する。移動が止まってから、実行キーを押すのが良い。それを早めに押したので、ガリ・バタン・きゅうと止まってしまった。だから、わたしが押す実行キーのタイミングが早すぎたのが原因だ。そんなこと怖くて、先輩には言えなかった。1963.8.8のこと


月末は忙しかった!

2007-08-01 23:21:21 | サラリーマン1年生
 7月31日は忙しかった。月末払いの手形が多いうえに、現金を出し入れに来る店頭客が多いからだ。午前10時に手形交換所に出向き、手形・小切手を持ち帰ってくる。月末だけあって、枚数も金額も多い。
 早速、持ち帰り処理を行う。手形要件をチェック、印鑑を照合、残高を確認してバロース会計機で元帳を記帳するのである。
いく田先輩と手分けして進めるのだが、大事なところは先輩にあまえてしまう。まだまだひよこだ。

 それにしても、手形や小切手の大きさがいろいろと違うので、ソロバンを入れるのも苦労する。
手形用紙は、文房具店でサイズの違うものがいろいろ売られているから、揃わない。そのうえ金額欄が縦書きや横書き、アラビア数字や漢数字、チェックライタや手書きなどとある。 後に、手形や小切手は統一されるが、この時代はまだだった。1963.7





宿直で寝ぼけていた

2007-07-30 23:17:11 | サラリーマン1年生
 7月28日(日)のこと。昨夜から会社に泊まり寝ていたところ、枕元でベルの音で目をさます。あわてて、電話の受話器をとり、もしもしと問いかけるも応答が無い。しかもベルが鳴り止まない。寝ぼけまなこをこすりながら、音がする方へ出向くと、玄関からの呼び出し音であった。べっ府監査役から呼び出しがあったと、運転手のやま野さんが宿直のわたしを呼んだのであった。