古いネガをスキャナで取り込んでいたら、撮った覚えがない父(47)の旅先写真が出てきた。ネガのままでは父だと分からず、ピンボケなので、焼き付けの注文をしていなかった。サラリーマン2年生の終わりごろ、1965(昭和40)年2~3月のネガフィルムから。
そういえば一度だけ、父にカメラを貸したことがある。農協の団体旅行に参加するのでカメラを貸せという。カメラを触ったことがない農家のおっさんだが、うまく使えるだろうか。大枚はたいて半年前に買った一眼レフ。壊されないかと心配になったが親を信じて、新しいフィルムを装てんして貸してあげた。当時のカメラは、今と違って露出や焦点距離はすべて手動式。距離の合わせ方を伝授してあげた。

↑ 旅先で誰かにシャッターを押してもらったのであろう。ピンボケの本人が1人だけとはちょっとさびしい。だが、背景がきれいに撮れているので場所は分かる。この何日か前に、私も会社の仲間らと行ってきた場所、城崎の日和山だから。
出発前、自分のコートはボロボロだから、サラリマン2年の息子のコートを着て行った。それにしても、フィルムの巻きあげが分からなかったのか、カメラに自信がなかったのか、他人や景色が1枚も撮られていない。写っていたのは、この一枚だけ。5年早く、この写真に出会っていたら、生前のおやじに確かめられたのに、今はできない。(残念)2009.3.20記
そういえば一度だけ、父にカメラを貸したことがある。農協の団体旅行に参加するのでカメラを貸せという。カメラを触ったことがない農家のおっさんだが、うまく使えるだろうか。大枚はたいて半年前に買った一眼レフ。壊されないかと心配になったが親を信じて、新しいフィルムを装てんして貸してあげた。当時のカメラは、今と違って露出や焦点距離はすべて手動式。距離の合わせ方を伝授してあげた。

↑ 旅先で誰かにシャッターを押してもらったのであろう。ピンボケの本人が1人だけとはちょっとさびしい。だが、背景がきれいに撮れているので場所は分かる。この何日か前に、私も会社の仲間らと行ってきた場所、城崎の日和山だから。
出発前、自分のコートはボロボロだから、サラリマン2年の息子のコートを着て行った。それにしても、フィルムの巻きあげが分からなかったのか、カメラに自信がなかったのか、他人や景色が1枚も撮られていない。写っていたのは、この一枚だけ。5年早く、この写真に出会っていたら、生前のおやじに確かめられたのに、今はできない。(残念)2009.3.20記